30 約束を
「……」
俺は黙ってアインハードの腕を振り払った。そして口を開いた。
「
まさしく、正しい。
そう――俺は誰のことも、信頼できていないのだろう。
自分でも薄々わかっていた。俺は誰のことも心から信じられていない。信じようと思いながら、真の信頼を向けられない。――向けられなくなった。
孤独な王になりたいわけじゃない。臣下を信じることが必要になることもわかってる。
だがダメなのだ。
頭がどこかで、信用するなと叫ぶのだ。心の最奥まで許すなと。
「ああ……そうだ、そうなんだよ、アインハード。俺が一番信じていないのは、俺自身の『人を見る目』だ。だから誰も……心の底から信じられない。
だって、そうだろ?
――俺が誰に、どれだけの時間騙されていたと思ってる?」
ずっと――嫌な予感がしている。
あの放火の報せがあった時から。また何か起こると――お前は根本的な何かを見誤っているのだと。
長年、道化でいた自分の勘が言うのだ。
――エクラドゥール公爵は裏切り者だった。
あれほど背中を預けていたのに。
(……あの人を信頼していたせいで、父は死んだ。兄も死んだ)
その結果国は割れ、今、この状態を招いている。
「今回だって、謀反の報せがあってからのこの短時間で、兄アーダルベルトが生きていればこんなことにはならなかった、と何度脳裏を過ったかわからない」
玉座で無力を感じる度に、死ぬべきなのは兄ではなく俺だったと、そう思うのだ。
あの子との約束を果たせ、理想を追え、と死んだ兄は言ってくれている……と自分を励ましながらも、兄なら俺より上手くやるのにと考えてしまう。
何度も。何度も。何度も。
(いや違うか。死ぬべきだったとか、そういう次元じゃなかったな。殺す価値すらなかったんだろう――エクラドゥール公爵にとって俺は)
それでも変わりたいと思ったから、足掻いている。
だが、ここはもう死地。アインハードを俺と心中させるわけにはいかない。
「アインハード。お前の怒りはよくわかる。……俺もそうそう死ぬ気はない。ここまでの働きの対価は必ず払う。同盟は成る。……最悪、俺が死んでも、自分が囮になってでもキャロルナ公を逃がしてそうさせる。
神に――いや。死んだ兄に誓う」
「俺がいなくてどうやって勝つんです。シャルロット殿下お一人だけで戦力差を埋められるとでも?」
「じゃあ聞くが、他国の王太子に頼ってなんとか女王の座を守って、それが本当に勝利と言えるのか? お前に寄り掛かって成る国なんぞと、盟を結ぶ価値があるのか?」
「まず
「違う! お前は魔国オプスターニスの王太子だ!」
そう。
アインハードは、魔国オプスターニスの運命を背負ってそこに立っている。
彼は王太子でありながら、
だからこそ、もう巻き込めない。もうこれ以上は。
……万一のことを恐れて。こいつは還さなければならない。魔国の民の為にも。
「魔国を統一するんだろう。俺はお前を死なせるわけにはいかない。万一のことがあったら、お前を慕う魔国の民に顔向けできないからだ。――【
「! それは……」
見る間に空中に黒の文字が浮かび上がっていき、文字列を、文章を形成していく。
この文字列は、契約魔術における、誓い――つまり契約の条項を示した文章。
アインハードと交わした、従属の契約の条項だ。
「……何をなさるおつもりです? その契約は双方の合意がなければ解除できませんよ。つまり俺の同意がなければ、あなたの勝手では――」
「そうだな。……だが、その契約魔術における同意とは、何を使って行う?」
「何を? ……、まさか」
アインハードが目を見開く。
……そう。契約魔術の同意のサインは、魔力だ。拇印の代わりに魔術そのものに魔力を込めて同意を示す。
そして俺は、他人からの魔力を受け取って、身体に溜めることができる体質。リェミーの戦いでほとんど使いきってしまったが――契約破棄の同意分くらいは残している。
「やめっ……」
「――【
ぱりん。
音を立てて、空中に浮かび上がっていた文字列に亀裂が入り、そのまま砕け散る。
これで、契約魔術の破棄の完了だ。
唖然とした顔のアインハードが、よろ、と一歩後ろに下がる。
「……、それほどに、俺が信じられませんか? やはり、俺が敵国の王子だから……御身から遠ざけるのですか。従属の契約を切り捨ててまで……」
「……そう言えば満足か?」
違うと言いたかった。お前を信じていると。真の意味で切り札だと思っていると。
だが、多くの理由が、俺にそう言わせてくれない。
「死ぬかも、しれないんですよ」
「死ぬ気はない。たとえ死んでも代わりは立てる。敵の思う通りにはさせない」
「――約束を、破るんですか」
「え?」
「……あなたでなければ意味がないのに」
小さく呟かれた言葉に、目を見張る。……意外だったからだ。
(約束って。あの約束の事か? ……なんでこいつがそれを口にする?)
東屋でシャルロットと話していたのを聞いていたからか? いや、だが、アインハードがそれを気にする理由は特にないはずだ。あなたでなければ意味がないと言うほどの拘りがあるとも思えないし――。
(……あれ?)
そういえば。
あの子も、アインハードと同じように、黒い髪をしていたような――。
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