29 誰も

 二人きりの執務室。


 既に夜は深く、背後の大窓からは欠けた月が覗く。月の満ち欠けも地球と同じで、原作で描写されていないところは、地球に揃えられているのかもしれないとふと思う。


 前世との共通点を見つける度に、俺は本来の身体の持ち主から器(からだ)を奪ってまで、この世界に転生した意味を思う。


 この世界に神がいるなら、俺に一体何をさせたいのだろうと。


「ディアナ様。一体、何の御用でしょうか」


 念のためにか、軽く防音の魔術を掛けたアインハードが、俺に向き直る。

 俺は椅子に腰掛け、執務机の上で手を組んだ。視線を合わせづらく、口を開き難い。


「何か、秘密裏に動くことがあるのでしょうか? 隠密はそれなりに得意です。ご命令があれば、なんなりと」

「……そうか」

「二万対五万。確かに不利ではありますが、俺とシャルロット殿下が前に出て戦えば、なんとかならないでもありません。……あなたの御命は、俺と殿下で必ずお守りします」


「アインハード」


「はい」


 俺は顔を上げ、真っ直ぐにアインハードを見つめた。

 漆黒の髪と、ピジョンブラッドの瞳。

 本当にこいつは――夜の化身のようだ。


「ありがとう。お前の気持ちを嬉しく思う」

「……ディアナ様?」



「だがお前はもう国に還れ」



「……、は?」


意図的に硬くした声。

その言葉の意を呑み込み、アインハードの血のように赤い瞳が、徐々に見開かれていく。ざわりと、奴の莫大な魔力がさざめいた。


「何を、言って……」

「女王直属護衛騎士の任を解く、と言ったんだ――魔国太子アインハード。悪いが、ここまで来てしまうと、他国の人間を傍に置いておくことはできない。今すぐ国を出ていけ」


「――何を言い出すのかと聞いているのです!」


 怒気交じりの魔力の風が、叩きつけられる。


 髪が風で巻き上げられたが、身体そのものには一切害が及ばない魔力風。怒りに任せて魔力を迸らせてもなお、俺を傷つけようとしないんだな、お前は。


(ごめんな)


 勝手なことを言っているとは、わかっているつもりだ。だが、ここまで来ると、もう俺に付き合わせることはできない。

 なぜならアインハードは、ルネ=クロシュ王国の女王の騎士である前に、魔国オプスターニスの王太子だからだ。


「……今まで散々こき使ってきて身勝手な、と思われることは承知の上だ。だがここからは本当に我が国の問題。真の亡国の危機に、他国の王太子を巻き込むわけにはいかない」

「本当に、何を今さら……」

「今さら、だからこそだ。そもそもお前は魔国からの間諜だろう。本分を果たせ」


 突き放した物言いに、アインハードの額に青筋が浮かぶ。


 ギッと俺を睨むと、奴は大股でこちらに歩いて来て、ぐいと俺の腕を掴んだ。『王族に害を及ぼせない』従属の契約が、ばちりと黒い稲妻を弾けさせて警告を発するのも構わず、力任せに俺を立ち上がらせる。


 痛みはなかったが、随分と乱暴だな、と思った。――それほどに怒っているのだろうが。



「……俺をお疑いですか」



「何?」


 予想外の問いに目を見開く。

 アインハードは低い声で、再度問う。


「俺をお疑いですかとお聞きした。……あなたと殿下の秘密を流して国を荒らし、魔国オプスターニスの尖兵としてルネ=クロシュを征服する第一歩としたと」

「……そんなことは一言も言ってないが」

「本当に? 俺があなたと盟を結ぶ価値がないと判断し、秘密裏にあなたの力を削ぎにかかった。従属の契約なんぞ魔族王太子の力があればどうとでもなる。――そうお疑いなのではないのですか?」

「……」


 そんなことを、考えたことはない。……とは言えなかった。


 俺は皮肉に笑った。


「お前の不実を疑ってはいない。これは本当だ。……だがお前こそ、本当に俺に失望していないのか? 俺が本当に、お前と対等になれる王だと、お前は信じていると言えるのか?」

「当然です」


 すぐさま彼は応えた。これはやや意外で、面食らう。


「……即答か」

「ええ。……確かにあなたはまだ弱い王なのでしょう。決して天才ではないし、欠点も多いのでしょう。しかし、それでも、俺はあなたを信じている。――あなたと違って」


 至近距離から赤い目と視線がぶつかる。怒りが燃えている。


「……俺と違って? どういう意味だ」

「あなたを一番信じていないのは、あなただ、という意味ですよ。理想を語って、なんとか自分を保っているだけで、あなたは自分の素質をずっと疑っている。違いますか」

「っ」


 短い言葉だったが、鋭く胸を刺した。その通りかもしれない、と思わせられる。


「それだけじゃない。俺のことも、キャロルナ公のことも、いつ敵に回ってもいいように心の準備をしている。――唯一あなたが味方としているのは、あなたと同じ罪を背負うシャルロット殿下だけだ」


 守りたいというお気持ちは本当でしょうが、とアインハードは吐き捨てる。――彼女にとってはその想いすらも辛いだろうと付け加えて。



「あなたは誰も信じていない。違いますか? 女王陛下」

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