21 失望を恐るる

「大丈夫。治癒の魔術で、すぐに治るわ。痕もきっと残らないはずです」

「そういうことを言っているのではありません」

「……少しへまをしてしまったの。大丈夫だから……」


「陛下」


 決して殺気にはならない、しかし本気の怒気を正面から浴びせられ、身を縮めた。

 わかっている。無理に送り出してこんな怪我をして。俺の不甲斐なさと、不誠実と、身勝手さにさぞかし腹が立つだろう。


 失望されたか、と、それが怖かった。……今度こそ、同盟を結ぶ価値無しと。


 そこでふと気づいた。


(……怖いのか、俺は。こいつに見捨てられるのが)


 本来は、それで正しい・・・はずなのに。


 シャルロットに嫌われる、見捨てられる――そことはまた違ったフィールドで、俺はこいつに失望されることを恐れている。


「――ごめん」


 思わず口をついて出た。衝動的な謝罪でも、周り――茫然自失のグレンロイと、安堵で動けなくなっている子爵に聞こえないように、声を絞って話すだけの心配りはできていたのが幸いだった。


「迂闊な真似だったのはわかってるんだ。……こんなざまじゃ、お前の力になれる日が遠そうで、それが自分自身でも不甲斐ない」


 アインハードは答えない。

 もしもアインハードが、俺を排して、新たな王を立て、そいつと盟を結ぶ約束がしたくなっても、俺に止める術がない。……それがひどく恐ろしい。


「……このお怪我は、また、身体が勝手に動いたためですか」

「それは……」


 ちらとアインハードがグレンロイを向く。瞬間、怒気の中に殺気が混じり、凍てつく敵意にグレンロイが身体を震わせ、その場を飛び退く。


「な、な、なんだ……なんなんだよ……」

「……」


 冷ややかな一瞥をくれるだけで、アインハードはグレンロイには言葉一つかけなかった。歯牙にもかけない、そのことわざがふと頭に浮かんだ。まさにその通りの光景だった。


「……わかりました。もう、お聞きしません」

「え」

「お早く手当てをしなくては。痕が残れば、義妹君が泣かれますよ」

 

 こちらへ、と手を引かれ、俺は戸惑いながら――心臓が冷えていくのを感じた。



(今、俺、何か……こいつに、見限られた。諦められた?)



 何を、見限られたのか、わからない。

 だが、確実に何かを、諦められてしまった。


 しかし何も言えなかった。どうしたのかとも聴けなかった。

 ーー問うて、アインハードから何が返ってくるのかが、恐ろしかったからだ。




  *




 神官たちの尽力もあり、なんと、国境警備隊はその日のうちに帰っていった。

 正規軍はまだ出てくるかもしれないが、とりあえず撃退することができたので、俺は王都へ帰還することとなった。

 ひと足先に神殿へ戻るというので、俺は枢機卿と巫女長の見送りに出た。



「改めて、この度は、本当にありがとう。あなたたちの働きに感謝を」

「当然のことをしたまででございますわ」

「アリアナ……」


 先代聖女時代からの顔見知りの彼女の微笑みに、安堵する。今回の件の、俺のあまりの勝手さに、神殿勢力からも見放されていたらどうしようか……という懸念はまだあったのだが、アリアナの言葉に救われる。


「陛下もお疲れの御様子だ。いつもは御身体を満たしている月の女神の御力が薄くなってしまわれている」

「!」


 枢機卿の言葉に、一瞬ぎょっとする。……それはそうだ。いつも彼らは、真の聖女シャルロットの力で満たされた、儀式の時の俺しか知らないのだから、常の俺を見て違和感を覚えてもおかしくない。


「よくよくお休みなさいませ。それでも昨日よりかは、幾分か疲れも取れたご様子ですが」

「え、ええ……」

「ああ……確かに、昨日は慣れぬ戦場におられたからか、闇の力を感じたような気がしておりました」


(ウッ)


 こ、怖い。高位の神官、怖い。なんでわかるんだ魔力の質とか。


「……まだ魔力は枯れたままです。儀式以外でここまで力を使ったことはなかったので、調子を崩しているのかもしれません」

「器が空であれば、調子が出ないのも自明でしょうな。では、よくお身体を労わって過ごされますよう」

「はい、枢機卿」


 頭を下げ、その姿を見送る。

 その姿が遠くなり、見えなくなったあたりで、俺は額の汗を拭った。……なんとか誤魔化せたか。まずいな、これからは迂闊にカラの状態で彼らと会うのはやめておこう。




 城に戻れば、俺たちの帰還の準備も整っていた。城の者に見送られながら馬車に乗り込む。まだ民はリェミーに戻ってきていないので街は静かなものだったが、今回のいざこざでの街への被害はない。すぐに活気も戻るだろう。


 子爵はふかぶかと頭を下げ、何度も感謝の意を述べた。

 俺は逃げるわけにはいかなかったから逃げなかっただけだ。そもそも女王が、土地を守ってお礼を言われるなんておかしな話だ。むしろ礼を言うべきはこちらだろう。


「先代領主も、お見送りに伺えればよかったのですが」

「先代のご領主がリェミーにいらしたのですか? ご挨拶をしていないわ」

「あいにく体調を崩しがちでして……。陛下に知らせれば余計なご心労をかけるだろうからと」

「そうだったの……」


 先代領主というと先代ロゼー侯爵か。会っておきたかったが体調不良なら仕方ない。


「グレンロイ様はいらっしゃらないようですね」


「あ……」アインハードの言葉に、子爵が恐縮したような顔で言う。「申し訳ございません。その、陛下にお怪我をさせてしまったショックが大きく、茫然自失とした状態のままで……」


「そう……お大事にと伝えて頂戴。別に責任を感じなくていいからと」

「は……」


 子爵が頭を下げる。果たして茫然自失となっているのが俺に怪我を負わせたことへのショックかどうかはわからないが、まあ、別に見送りに来てほしいというわけでも、感謝をしてほしいというわけでもなし、どうでもいいか。


「それでは帰還します。万一の時のため、すぐに王都から人を差し向けるわ。その間に、何かあったら伝達の魔術で連絡を」

「はっ。仰る通りにいたします」

「ええ。出して」


 御者に声を掛け、馬車が出発する。

 遠ざかっていく内陸側の城壁を見て、俺は息を吐いた。……まさか、視察が、こんなに長引くとは。

 シャルロットも心配しているだろう。

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