1 薄弱の女王

(きつい。キツい。キツイ。

 死ぬ……!)



 ――女王になってひと月が経てど、俺は国王としての業務に慣れることができないでいた。


 王女時代もエクラドゥール公爵を摂政役として政治を動かしていたつもりだったが、幻覚だった。やった気になっているだけだった。ひとの考えたことに頷いているだけだった。


 それを、いざ玉座に座ってみて最近、ようやく感じ取っている。




「それでは――最高国務会議を始める」


 朝八時。一応は議長である俺の号令で始まるのは朝議だ。

 午前中、宮廷のもっとも大きな執務室は、宰相を首席とした主要大臣と、女王である俺で政治について話し合う場になる。


 宰相キャロルナ公。

 外務大臣リストルーヴ侯。

 法務大臣兼内務大臣ダンネベルク公。

 軍務大臣アルベルティ侯。

 文部大臣ブロシエル伯。

 農商務大臣フェリクス伯。

 財務大臣ロゼー侯。


 いずれも格式と伝統ある貴族の文官たちであり、俺など到底及ばない奸智を備えた魑魅魍魎だ。


「先日起きた災害ですが――」

「治水工事は――」

「東国ノヴァ=ゼムリヤとの関係は――」

「国立魔術研究所で汚職があったという報告の対処について――」


(……かんっぜんに蚊帳の外だよな、俺……)


 黙って聞いているだけで勝手に会議は進む。


 こういう場合、王が無闇に口を挟むのはよくないということは俺でもわかるが――大臣たちは王には鷹揚に構えていてほしいというより、小娘に余計な口を挟んで欲しくないと言わんばかりだ。


 ――前宰相エクラドゥール公爵が失脚し、家が取り潰され、公爵の傘下にあった貴族たちは最大派閥であるキャロルナ公爵の下についたかというとそういう訳でもない。もともとルネ=クロシュには三公といって、三人の公爵が立つのがならわしだ。今はエクラドゥール家が没落して二公になったが、いまやダンネベルク公がキャロルナ公に次ぐ派閥の長としての幅を利かせるようになった。


(叔父上殿はやっぱり、いまいち味方なのか判然としないしな……)


 教育はつけてくれる。非常に厳しいが。

 彼はこの国を想っている。それは間違いないと思う。

 ……そう、彼に強い権力欲はない。――その代わり、俺が使えなくなったらばっさり背後から斬り倒されそうな、そんな緊張感がある。


「うーむ……。宰相閣下、ご意見を伺っても?」

「そうですな……」


 キャロルナ公爵は、専門分野でなくても意見を求められる。ポーズではなく真剣に。


 それはあのエクラドゥール公爵もそうだった。政治家たちが意見を聞きたがる。どうすべきか、導いて欲しいと言わんばかりに。


 キャロルナ公爵は、俺の意見を親切に皆に浸透させようとはしてくれない。意見を通してみたいのなら自分の力で信を得よと言いたいのだろう。だから未だ『ついてきてくれる官吏』がいない俺は、日々の朝議ですら戸惑うことしかできないままだ。


(不甲斐ない)


 最近、兄なら――アーダルベルトなら、と考えることが増えてきた。


 兄が生きて玉座に座っている光景を、この頃何度も夢想する。兄が国王、シャルロットが王女で月の神子。並び立つふたりを想像すれば、まるで太陽と月の夫婦神だった。

 アイシャルとはまた別の次元で、それはある種、俺の理想そのものなのだろう。

 きっと全てがうまくいったに違いない。兄なら若かろうが素晴らしい采配をした。こんな情けない姿を廷臣の前で晒すなんてことはなかったはずだ。


 アーダルベルトが、生きていれば。


「陛下。何かございますかな」

「ええ……」


 会議も終盤に差し掛かり、大臣から声を掛けられる。俺は微笑み、「しかるべく進めなさい」と、それだけを言った。逆に、それだけを求められていたとも言える。


「今挙げられた議題、特に否やはないわ。王の承認が必要なものは取り急ぎまとめて璽を求めること」

「御意」

「……それから、一つ。以前より懸案事項としていた福祉政策のことだけれど……」


 ――とはいえ、黙っていろと思われていたからといって、ただ黙してじっとしているわけにもいいかない。


 王となったら推し進めようと思っていたことの一つに、救貧政策があった。


 王都西区の貧民街で出会った少年との約束が、俺の王族としての原点だ。子供が飢えないで済む国。善人が笑える国。それを実現するのが俺の王としての目標だ。

 公教育、貧民街をなくす区画整理、保険法の制定、貧しい子どもでも無償で受けられる公教育――社会福祉の推進。


 それはずっと、俺が会議の俎上に載せたいと思っていたこと、だったが――。


「……陛下。残念ながら政策を推し進めるのに財源がありませぬ」


 財務大臣ロゼー侯が苦く笑う。失笑に近い笑みと感じたのは俺の被害妄想か。


「税を引き上げれば金は確保できましょうがな。民を絞るのは陛下の本意ではありませんでしょう」

「……累進課税という手も」

「陛下」


 遮られる。

 無礼な振る舞いだが、俺には咎められるほどの権威がない。


「ご心配なされずとも、時はそのうち来ましょう。陛下は女王、月の神子として、泰然と構えておられればよいのです」

「確かに。聖女でおられるのですから、陛下が健やかであれば、この国に恵も齎されましょうな」


 頬が引き攣った。聖女は聖女らしく、政に首を突っ込まず巫女として大人しくしていろと、そういうことか。


「…………、そうね」


 だが、何も言い返せない。俺にはあまりにも経験と、知識――何より威厳がない。

 大臣たちが笑う。

 俺も笑みを貼り付けて頷いた。拳を握り込みながらも。



「――ではこれにて国務会議を終える。皆、ご苦労でした」



 情けない。

 俺は無力だ。

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