女王編

第二部プロローグ

 ――戦火が。


 天球を、灼く。



 怒号と悲鳴に塗れた戦地に放たれた火が、空も大地も真紅に染め上げる。ここは遥か昔に創世神様がお造りになられた神々の平安の地であるはずなのに、いまや、人も、神も、数多くが大地に伏し、ぴくとも動きはしない。


 我らが父の手によりこの世界が創られて幾万年、共存共栄してきた我々神と人間たちだったが、この大きな戦を終えれば、もう共存も難しくなろう。人も、神も、死にすぎた。



「ディアテミス様! 敵が――シュヴェルが! すぐそこまで迫ってきております」

「……ええ。わかっています」


 城から見下ろすだけで、敵の魔の手がすぐそこまで迫ってきていることは肌で感じられた。どうしてこうなってしまったのだろうと、考えてももはや詮無いことなのだろう。


 夫さえ。

 我が夫――太陽神ヘリオスさえ、この地にいてくれれば。


 何度そう思ったかはわからない。しかしあの方はもう、創世神と同じ場所にお隠れになってしまった。


「……支度を。出陣ます」

「はっ」


 この戦は、闇の神シュヴェルが太陽神ヘリオスを殺したところから始まった。シュヴェルはヘリオスの祝福が与えられた土地ソリスを奪い、自らの土地とした。


 ヘリオスは神の中でも、もっとも強かった。それなのになぜ、ヘリオスはシュヴェルに殺されてしまったのか。その答えを知る者はきっと、シュヴェル以外にいないのだろう。そしてシュヴェルも、何があっても語る気はないのだろう。


 それが、私にはわかる。

 聞かれずとも、わかるのだ。




「……おや。麗しの月の女神ディアテミス。あなたが御自ら御出陣ですか?」

「これは、叡智の神エステル。相も変わらずシュヴェルの腰巾着ですか」


 兵を率いて決戦の地に赴き、闇の勢力と向かい合う。


 シュヴェルが率いるは闇の祝福が与えられた土地オプスターニスに生まれた魔族、それから闇の眷属――魔物たちだ。黒い出で立ちの軍勢の中で異彩を放つのは、シュヴェルの副官――叡智の神エステルの出で立ちだ。闇に焦がれ、取りつかれた、この世で最もよく冴える智を闇に染めた男。細身の身体に白い衣をまとい、神秘的に嗤う。


「腰巾着はお互いさまでしょうに。光の神の一柱でありながら、自らの力では輝けない手弱女。もっとも、あなたを輝かせる光の最高神はもういないのですがね」

「……そうですね」


 ヘリオスはもういない。

 信じ難く、受け入れ難い真実。愛する夫は殺された。


 空に輝く太陽そのものの明るい笑顔と、黄金(きん)に輝く瞳を持った方。老女のようだと揶揄された私の銀に近い白金の髪を、美しいと褒めてくれた方。


 ――なぜ。

 ああ、なぜ。



「なぜあなたが……よりにもよってあなたが、ヘリオスを殺したのです。シュヴェル!」



 しかし私が叫ぼうとも、美貌の闇の神は、答えない。

 ただ魔物の軍勢の先頭で、ひややかな目をしているのみだ。


「あなたも私と同じだったはず。同じようにあの方に焦がれていた。

あの眩い光を……あの方の光を求めていたはず!」


 そうだ。

 シュヴェルとヘリオスは親友だった。好敵手であり、双子の兄弟であり、ある時は二つで一つの存在であり、ある時は鏡映しの存在だった。


 光ある所に闇ができる。

 だからこそ、互いが互いのことを一番よくわかっていた。それが、羨ましかった。


「……あの方の眩さに、共に目を細めたではありませんか……!」


 私の想いとは違うかもしれないが、シュヴェルはヘリオスを愛していたはずだ。そしてヘリオスも、シュヴェルを愛していた。

 だというのに。


「なぜ、なぜ裏切った……!」



「――裏切りだと?」



 初めてシュヴェルが声らしい声を漏らした。嘲るように、は、と鼻で笑う。


「お前にはわかるまい、ディアテミス。あれの光を受けとめ、自らも輝けるお前には」

「何を……」

「私にはあれが……あれの強烈な光が、煩わしくて仕方なかったのだ!」


 シュヴェルが腕を高く上げた。風に漆黒の髪が舞う。

 のばされた指が天を指し、それから、地を指した。黒く、影の広がる大地を。



「――射日」


「私が射殺し、日は、地に堕ちた」


日嗣ひつぎはいない。これからは、闇がこの世界を支配する」



 雄叫び。

 魔族の大音声が、大地を鳴動させる。


 ――シュヴェルとヘリオスは、互いのことをよくわかっていた。故に、ヘリオスは、自分がシュヴェルに殺されると、予感していたのかもしれない。


 だからこそ、私と最後に言葉を交わす機会に、こう言ったのだ。



『太陽は、沈もうとも、そこに在る』

『沈んでもまた日は上る。だから』


 ――ディアテミス、我が妻。


その間、夜闇を照らすは任せたぞ、と。



「……させぬ」



 右手を振り上げる。

 瞬間、私が祝福した土地ルネ=クロシュから、鐘の音が響き渡る。

 冴ゆる月光を浴びた大鐘楼の鐘の音は、魔族の雄叫びを食い破って熱気を鎮める。



「させぬぞ、シュヴェル!」


「来い、ディアテミス」



 また日が昇るまで、私はこの世界をシュヴェルから守る。それは、愛する夫に託されたから、というだけではない。


 ……シュヴェル。

 私はあなたを、心の底から友だと思っているのだ。今、この瞬間も、なお。たとえ、あなたがそう思っていなかったとしても。


 だからこそ、私はあなたを止める。

 他ならぬ、自分自身の意志で。







⟡.·*.···························⟡.·*..·


次回より第二部開始です!

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