外伝:夢現(トリップif)3


 同じ声だった。

 

 わたしと、まったく同じ音。そして気配。

 わたしを抱きしめていたは、はっとしたようにわたしから身を離すと、目を見開いたまま扉の方とわたしとを見比べる。

 

 否が応でも理解する。

 今の声の主が、シャルロット・リュヌ=モントシャインだ。


「……、あなた……」

「お義姉様! 緊急事態ゆえ失礼いたします!」

「!」


 音を立てて開いて、姿を現したのは榛色の髪の少女と、それから黒衣の騎士だった。

 少女の榛色の髪はつややかで、纏うドレスは瞳と同じ紫色。華やかでいて品のある、まさしく姫君にふさわしい装いだった――、

 

 そうか、これが。

 違う世界のわたしか。


(一瞬、同じ人間だと分からなかった。あまりにも違う)

 

「……、陛下。ご無事でようございました」

「して、そちらの侍女は。見たことがない顔……と言うにはいささか無理がありますね」


 のシャルロットも、わたしがであることに気がついたのだろう。

 難しい顔で眉根を寄せ、陛下の無事を喜ぶ言葉だけを口にしてみせた。代わりにわたしの存在に言及したのは、スターニオ様だ。近衛騎士とは少し違う衣装の服を着ている。


「え……、あの、これはいったい……? シャルロットが、二人?」 

「にわかには信じ難い話ですが、おそらくはそうなのでしょう。突然覚えのある魔力の気配が二つに増えたのでぎょっとしました」


 ディアナ女王がわたしを驚愕の眼差しで見る。

 

「あの、イーノ。それは……いつ頃のこと? 気配が二つに増えたというのは」

「つい先程ですよ。王族の護衛騎士の合同訓練が終わった頃合いですので。シャルロット様とはそれからすぐに合流し、不審な魔力の居場所にこうして向かってきたというわけです」

「つい先程……? おかしいわ。わたしが彼女と会ったのはしばらく前のことよ」

 

「――そうでしょう。わたしもしばしの間、に行っておりましたから。

 わたしが帰ってこれたということは、そちらの彼女ももうすぐ帰れるのではないでしょうか」


 ……そうか。

 わたしがこちらにいる間――彼女は、向こうにいたのか。


 アンベールでなくなった彼女が、アンベールであった過去を思い出すことになるだろう、あの場所へ。


(でも……そうか。

 もうわたしも、帰らなくちゃいけないのね……)


「……そちらの世界……」

「はい、お義姉様。そこにいる女は、確かにこのシャルロットで間違いありません。

 他の世界の、同じ存在。それが――なんらかの原因で入れ替わったのでしょう。わたしにもまだそれが何かはわかりませんが」

平行世界パラレルワールド……のあなた、ということなのね……」

「こういった現象をご存知なのですか? さすがはお義姉様。見識が深くていらっしゃいます」


 義姉を褒める時のの声色に嘘は感じない。

 ……本気で彼女を慕っていることがよくわかる表情だった。心做しかうっとりとした目をしている。


(そりゃあ、そうよね……)


 あの手で救ってもらって、慈しんでもらえたのなら。

 同じ顔のひとに苛まれているわたしですら、縋って泣きたくなるような笑顔のひとなのだから。

 

「……じゃあ、あなたはこの世界の人間ではない……のね。どうしてそんな事が……なんて、きっとわたしたちのような人間が気にしても分からないことなのだろうけど」

「……はい。薄々、気づいておりました。黙っていたことをお許しくださいませ」

「それは……いいのよ。あなたも、見知らぬ場所で警戒していたのでしょう? わたしから情報収集しようと考えるのも自然だわ」


 お人好しな方だ。……本物の義妹でないとわかっても、そんな気遣わしげな顔をなさるなんて。

 スターニオ様が苦笑して、「甘い方だ」と肩をすくめるのが見えた。……そうか、こちらの世界では、彼もに笑顔を見せるのか。


「それに……あなたも、だもの。責めたりなんてできないわ」

「……!」

「あなたの境遇は……聞かない。踏み込んではいけない領域だと思うから。でもきっと、苦労をしてきたのでしょう……」


 するりと目元を指で撫でられる。

 先程まで赤くなっていたところだ。


「わたしのことも……義妹シャルロットだと?」

「ええ」

「お義姉、様」

「ええ。あなたもそう呼んでくれるの?」


 ありがとう。

 そう、少し嬉しそうに言う彼女は、もうわかっているのだろう。

 わたしの世界では、シャルロットがディアナの妹などではないこと。


(それでも……ここにいたいとは、言えない)


 ここには、他にシャルロットがいる。

 ここは、わたしではないわたしの居場所だ。わかっている。


 けれど……。


 

 ――それは、駄目」



「! え……」

「……わたしもそちらの世界に行って、を見たわ。だからあなたの境遇には同情します。

 とはいえ、わたしにない不幸をあなたが持っているように、きっとあなたにもわたしにはない幸せを手に入れるときが来るでしょう。――でもね」


 お義姉様は駄目。

 ――わたしと同じ紫色の目が、剣呑に細められた。


「この方はわたしのお義姉様。――あなたのではない」

「……っ!」

 

 ……ああ。

 そうでしょう。わかっている。わかっていますとも。

 それでも、だって。

 わたしには何もないのに。

 あなたもわたしならきっと、望んだでしょう。慈しんでくれる誰かが欲しいと。わたしの愛を返せる誰かがほしいと。

 あなたはそれをもうもらっている。だというのに。


(どうして……どうしてわたしには)


 お義姉様あのひとがいなかったのだろう。


「時間のようね」

「!」

「わたしはどうしても帰りたかったから、あなたより一足先に帰ってこられたけれど、多少は意志で時間の差があるのかもしれないわ」


 の言葉に、はっとして自分の手を見下ろす。

 うっすらと透けている自分の手を見て、ぎょっとした。


 そうか。何の因果かここに飛ばされてきたけれど、本来この空間にとってわたしは異物だ。

 元の世界に帰らなくてはならないのだ。


「シャルロット・アンベール」

「! ……はい、

「……、聞いて。今はきっと辛いこともあるのでしょう。でも、きっといつか、あなたの労苦が全部報われる日が来るわ」


 報われる。労苦が。

 どういったかたちで報われるのだろう。

 

 もしもそれが、わたしを苛むらに報いを与えるという意味で果たされるのだとしたら、わたしに――それができるだろうか。

 目の前の、この方と同じ顔をしたあの人に。


(……いや。きっと、できる)


 彼女とこの方は別人だ。

 だからその時が来ても、わたしはおそらく躊躇わない。


「そして……あなたを愛し、守ってくれる人が必ず現れる」

「……陛下」


 ――馬鹿みたいだ。唐突にそう思った。


 この方が、あの人のように、月の神子を騙っているかどうかを気にしたことがあったが、馬鹿みたいだ。

 彼女は月ではなく、太陽だ。

 月の女神が愛し、闇の神が嫉妬と羨望に焦がれた光の最高神。 


「ありがとうございました。……あなたと言葉を交わしたこの時間は、わたしにとって宝物です」


 優しいこの方に、どうか末永く幸せと輝きがありますように。

 ……なんて、日輪のようなあなたに、要らぬ世話かもしれないけれど。




 *




 ――はっ、と、我に返る。

 

 わたしはぽつんと王宮の廊下に立っていた。

 後ろを振り向けば、先程出てきたばかりのティールーム。前には、誰もいない。


(……なにか、忘れている気がする)


 今、なにか、大切なことがあったような気がする。だというのに……何も思い出せない。


「アンベール伯爵令嬢?」

「! スターニオ様」

「大丈夫ですか。お顔の色がよくなかったので、声をかけさせていただきましたが……おや」


 気づけば、最近よく気にかけてくれる黒衣の騎士が近くにいた。

 彼の形のよい眉がほんのわずか寄せられ、「目が赤い」と呟きが漏れる。


「こちらにおいでください。冷やした布を用意します」

「……、」

「……? どうかしましたか」

「いいえ……」


 どうしてだろう。

 ごく最近、わたしに、同じような気遣いをしてくれた人がいたような気がする。そんなこと、あるはずがないのに。


「……ありがとうございます、スターニオ様」


 それでも、ほんの少しだけ。

 落ち込んでいた気分が晴れた気がした。

 

 

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