外伝:夢現(トリップif)2
「うん、こんな感じでいいのではないかしら」
「あ……りがとうございます」
わたしは半ば信じられない気持ちで、手元に落とされた柔らかい布を見落とした。
魔術でほどよく冷やされた布は、ほんのり湿っている。これで腫れた目を冷やせということなのだろう。
(どういうことなの……?)
この人は、わたしの知る王女ディアナなのだろうか。……まるで別人だ。
見た目はそのままディアナ・リュヌ=モントシャインだ。魔力も彼女のものだ。それなのに、わたしの知る『ディアナ殿下』とは、まったく違う。
(ディアナ殿下は、わたしにこんなふうに気を使ったりしない。それに……、)
ここは王族の居住区、しかも私室だ。
あの人が
「大丈夫かしら。冷たすぎることはない?」
「は、はい。あの……ちょうどいいです」
「よかったわ。最近、机での執務ばかりで魔術の訓練なんてろくにできていなかったから、少し心配だったの……あら、大分腫れも引いたのではないかしら?」
「あ、ありがとうございます」
鏡を見せてもらうと、確かに目元の赤みは引いていた。ちらりと彼女の様子を窺うと、目が合った瞬間に嬉しそうに微笑まれた。
そして、
「これでいいわ。思った通り丸い縁の方が似合うわね、シャルロット」
「は、はい……」
ありがとうございます、殿下――と、そう言おうとして、はっと目を見開いた。
違う。
この人は、
なぜなら彼女の頭にある
(この方は……
ならば未来に来たのか。何かしらの魔術で?
いや、そうだとしても、あのディアナ殿下が数年経過したところでわたしに対する態度をこうも変えるだろうか。
そもそもこの方は一体どうしてわたしに優しくするのだろう。目的は……?
「あ、あの……
彼女は先程執務で多忙と言っていた。
なら、この発言もさほど違和感があるものではないはず。
案の定、きょとんとしていた彼女は、仕方なさそうに――それでも、少し嬉しそうに――笑った。
「いいわ。最近はなかなか二人でゆっくりおしゃべりができる時間も取れなかったものね。
それに、シャルロット……二人なのだし陛下、でなくてもいいのよ。いつものように、お義姉様と呼んでくれれば」
*
しばらく話して、わかった。
信じ難いことに、この世界のシャルロット・アンベールは、シャルロット・リュヌ=モントシャインとして、王の養女という立場にあるらしい。
自分が第二王女――今は正式には王妹という立場のようだが――であるなどと、とてもじゃないが現実感がなかった。
しかも、さらに信じられないのは、
アンベール家からわたしを養女として引き取ることを決めたのは、このディアナ女王ご自身のようであること。
(本当に……別人なんだわ)
ここは、わたしの住む世界とは。
まったくもって、別の世界なのだ。
「……ロット? シャルロット、聞いている?」
「あ……、申し訳ありません、ぼうっとしていて……」
「それはいいけど……あなた、今日、少し変だわ。元気がないし、きちんと眠れている?」
「大丈夫です……」
優しい人だ。
この人も――わたしから魔力を奪い、月の神子としての名誉を奪い、その上で笑っているのだろうか。
そうだとしても――彼女がわたしを心配するその目に嘘はない。
(いや……わたし、じゃない。この世界のシャルロットのことね)
「あまり無理をしてはだめよ。あなたはいざと言う時にいろいろ抱え込んで一人で解決しようとするのだから。……頼りない義姉かもしれないけれど、話してくれれば、きっと助けになれることもあるわ」
「はい……」
「……むしろ、わたしの方があなたに頼ってばかりなのに、何を言っているのかという話かもしれないけれど。それでも、あなたはわたしの可愛い義妹だから」
「可愛い、ですか?」
「ええそうよ。……いやだわ、自覚がないとは言わせないわよ。シャルロットは世界で一番可愛いわ。お義姉様が保証する」
――そんな、誇らしそうな顔をして。
どうして、あなたが嬉しそうに笑うの。
世界で一番可愛い、だなんて。
遥か昔に、母に言われたのが最後で。
それなのに……。
「う……」
「えあっ、シャルロット!? なんで……」
ぼろりとこぼれてしまった涙に、
あたふたと困ったように周囲に視線を巡らせている。
「……ごめんなさい、わたし、少し疲れていて、それでっ……」
「ええ、大丈夫、そうよね、不安定なときなんて誰だってあるわ」
「お義姉様、」
「大丈夫よ。ここにいるわ、わたしの可愛い義妹」
優しく抱き締められて、さらに涙が零れる。
彼女からは、陽だまりと花の匂いがした。
……どうして彼女は、
ここで暮らしたシャルロットは、この優しい方に、ずっとそばにいてもらって、慈しんでもらっていたのだろうか。
愛をもらって、愛を返していたのだろうか。
この方の役に立ちたいと、そう思いながら、そう過ごしていたのだろうか。
不味い、と。
紅茶をカップごと投げ捨てられた記憶が、蘇る。
(……こんなことって、)
どうしてわたしではなかったのだろう。
どうしてわたしだったのだろう。
ぎゅう、と、彼女の背中にしがみついたその時。
「――お義姉様、ご無事ですか!」
焦りが見えるノックとともに、悲鳴のような声が、部屋の外から聞こえてきた。
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