40 冒涜

 ずるり、と、ソレが灯りの下までやってきて、その全貌が見えるようになる。


「ヒュッ……」


 俺は思わず引き攣った声を上げ、後ずさる。

 喉の奥が強制的に引き絞られたかのように、声が混じった空気音が自らの口から零れた。それは紛れもなく俺の悲鳴で――それも驚きではなく、恐怖のための悲鳴だった。



 ――公爵が最高傑作と言ったソレは、形容しがたい、冒涜的な見た目な化け物だった。



 蛸のような、軟体生物じみた胴体。

 胴体に埋め込まれた多くの目玉はぎょろぎょろとせわしなく動き、視線が定まらない。 

 極めつけに、その足だった。その化け物から生えている青ざめた肌色の足は、人間のものによく似ていた。


(どこの神話生物だよ、おい……)


 気持ちが悪い。

 吐き気がする。


 一体何種類の魔物を組み合わせたのか、最早元となった魔物の種類すらわからない。

 

 あまりのおぞましさに俺が上体を仰け反らせると、そのあまりの醜悪さと気配の重さに耐えきれなくなったのか、横からアインハードが俺を見た。


「ディアナ殿下。まず俺が」

「えっ」


 俺が何かを言う前に、アインハードは飛び出した。

 いつだったゼーゲマンバを屠った魔族の剣が、灯火の光を受けて鈍くきらめく。


(よし。さすがにアインハードに斬れない魔物なんて……、

 え?)


 ――しかし、振りかざした剣が、その魔物に傷をつけることはなかった。


 それどころか、傷を負ったのはアインハードの方だった。剣先が魔物を掠めた瞬間、黒い光が弾け――アインハードの腕を深く抉ったのだ。


 血が、飛沫(しぶ)く。


「ア……イーノ!」


 思わず叫んで、アインハードに駈け寄った。


「大丈夫か! っ、血が……」

「……大したことは」


 どうして、どうしてこいつが傷を負った? 

 今の攻撃は十分に強い威力があったし、隙もついていた。普通に刃が届けばこの化け物……合成獣を間違いなく斃せたはずだ。それなのに――。



 アインハードがハ、と自嘲するように顔を歪ませた。

 そして言った。「なるほど」と。



「殿下。どうやら、あれがあなたの父君を使って作った合成獣のようですよ」

「どうしてわかる」

「忘れましたか。俺は、『王族に傷をつける』ことができません」

「あ……!」


 ――従属契約の影響か! しまった!!


 確かにそういう誓いをアインハードは立てていた。

 誓いを破れば反動でアインハードが傷つき、最悪、死ぬ。腕の怪我で済んだのは、身体の持ち主が死んでいるからだろう。

 それが仇になったのだ。


(でも、どうする?

 今、悠長に従属の契約魔術を破棄しているような時間はないぞ!?)


 じゃあ、アインハードは、こいつとの戦いに参加できないってことか?

 俺は青ざめて、冒涜的な姿をした化け物を見遣った。


 ……つまり、俺が一人でこれをやるのか?

 父の肉を使った、化け物を?


「おや。よくわかりませんが、イーノ・スターニオ騎士は、その子に攻撃できないようだ。原因はなんなのでしょうか。興味深い」


 宰相が愉快げに笑い声を立てた。何も言い返せず、ぎりりと奥歯を食いしばる。


(ああくそ、間が悪すぎる……!)


 どうして俺はこうなんだ。その時はよかれと思ってやったこと、あるいは都合がいいかと思ったことが、ことごとく裏目に出る。いっそもう、呪われてるんじゃないのか。


 だが、自分の運の悪さ間の悪さを呪っている暇はない。


「ッ!」


 次の瞬間、眩い何かが頬を掠める――熱い。いや、痛い? 

 その眩い何かが合成獣の目から放たれた熱光線、熱の魔術だと思い当たったコンマ数秒後、蛸の足のような触手のような何かが、こちらを叩き潰さんと襲い掛かってくる。


「殿下、右です!」

「! くっ」


 すりつぶされるよりも早く横に転がり、なんとか直撃を避ける。

 こっちが狭く暗い地下室に目が慣れず、音と気配でぎりぎり躱すしかないのに対し、化け物はどうやら夜目もきくようだった。

 俺もアインハードの指示がなければ、今の攻撃で挽肉になっていた。


(強い……!)


 俺は、必死で攻撃を避けながらも――戦いに関して完全にアインハードを当てにしていた自分に気付き、情けなさに唇を震わせた。


 自分の国の、家族のための戦いだというのに、俺は心の奥底で、俺は人任せにしようとしていた。

 危なくなったら、きっとこいつが助けてくれるだろうと。

 初めは散々信用できないなどと言っておきながら、いざとなったらこれだ。


(『しまった!』じゃ、ないだろうが)


 化け物より、俺の性根の方が、よほど醜悪だ。

 そもそも、俺がもっと早くに宰相を怪しんでいれば、王が死ぬこともなかったかもしれない。

 ……シャルロットが攫われるようなこともなかったかもしれないのだ。


(……『あなたでは勝てない』、か。そうだよな)


 だって、俺は、主人公じゃない。


 この体は悪役王女で、真の聖女である女主人公を追放するようなゲスだ。

 俺自身も、誰かに尊敬されるような性格はしていない。能力が高いわけでもない。……卑屈になっているんじゃなくて、実際にそうなんだ。


 卑怯で小心者で、平凡で、完璧とは程遠くて――、



「しっかりしてください、ディアナ様」

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