39 獣

「おや。ようこそいらっしゃいました、王太女殿下」


 ――果たして。


 隠し扉を通り、地下へ続く階段を降りた先にいたのは、いつもと変わらない笑顔を浮かべたグンテル・エクラドゥールだった。




 地下室、と一口に言うには広すぎる地下の研究室。

 頼りない明かりの灯火がいくつか壁に立てかけられているだけの、ひどく暗いこの空間は、あまりにも『らしい』といえばらしかったが、その場にいるだけで不快極まりなかった。


 それは、壁や床に染み込んだ死臭や血の痕が、ここで行われている凄惨な実験を想像させるから――だけではない。


(いる。この地下空間の中央。

 ――おぞましい、『ナニカ』が)


 大して感知能力が高くない俺ですら、ビシビシと感じる禍々しい気配。

 横のアインハードはそれを顕著に感じ取っているからか、先程から言葉もなく、ただ凍てついた殺気を放っている。


(いるんだな。合成獣キメラが、ここに)


 口の中に溜まった唾を飲み下す。

 対峙した、有能な宰相の仮面をかぶった獣(けだもの)は、いつもの柔和で理知的な笑みをその口元に刷いていた。


「……挨拶はいいわ、グンテル・エクラドゥール。シャルロットはどこ? 無事なのでしょうね?」

「おや、冷たいことをおっしゃいますね。私とあなたの付き合いの深さでしょうに」

「御託はいい。とっとと言いなさい」

「ふ。強気なことだ……まあ、いいでしょう。シャルロット殿下ならばあちらに。今は眠っておられます」


 宰相の手の、指し示した方向を見る。

 そこには確かに、魔力封じの鎖らしきものに繋がれたシャルロットがいた。


 大きな怪我はなさそうだ。しかし、目覚める気配もない。


「……わたしの妹に何を盛ったのですか」

「ただの眠り薬ですよ、実験の準備の間中、死なれてしまっては困りますから。

 ……魔物と併せて、より良質な合成獣を造るのならば、肉の鮮度が大切ですからね。防腐の魔術では、肉の鮮度を保つにも限度があるのですよ」


 その言葉に、思い出しても苦々しい、父王の遺体を思い出す。


「防腐の魔術に限度がある。……なるほど、それは陛下で試したのね」

「おや。陛下にも会われてきたのですか? 面会謝絶と言っておいたでしょうに」


 何をぬけぬけと。


 ギリ、と歯を食いしばったところで、

 しかし陛下には申し訳ないことをしました――と、彼は言う。

 

「さすがに人間を使うのは初めてでしたからね。貴重な素材を提供していただいたというのに、いくつか無駄にしてしまった。

 本当は胴体も使って差し上げたかったのですが、やはり――真の月の神子のからだを、使ってみたくなってしまった。その方が、より実験結果は素晴らしいものとなるでしょうから」


 真の月の神子のからだを、使う、か。

 ――俺は無言で、剣の柄を握る。

 

 ふざけたことを抜かしてやがって。

 絶対に後悔させてやる。

 

「そう。でももう誰にも謝る必要はないし、実験結果を気にする必要もないわ。……だって、」


 先程から、沸騰しそうなほど強い怒りが、脳内を蠢いている。――しかし、思考回路だけが凍てついていた。

 この男の前に、激高して、理性を失ってはならないと、本能が言うからだ。



「――あなたはここで死ぬのだから」



 そして瞬間、剣を抜き、地面を蹴った。

 近衛部隊の騎士たちに鍛えてもらっていた頃から使っていた剣に、魔力を過不足なく、満遍なく行き渡らせる。

 そして奴に肉薄すると、剣を大きく振りかぶった。


「ハッ!」


 完全に、隙を衝けたと思った。

 しかし。


 目の前の狂人を袈裟斬りにするはずの一撃は、いつの間にやら近くに来ていた『ナニカ』によって阻まれた。


「なッ……!」

「あまり焦らないでいただきたい」


 剣が阻まれ、押し返され、弾かれた勢いのまま後方に着地する。

 宰相は変わらず、薄っすらと笑っている。


「……本当はですね、ディアナ殿下。私はあなたのことも死なせたくはないのですよ。陛下の次の素材となっていただくべく、長年工作をしてきたのですから」

「く……っ」

「とはいえ、その工作も、シャルロット殿下には助けていただきましたよ」


 何だって?


「それは……どういう……」

「おや、やはり、シャルロット殿下があなたに聖女を名乗ってもらった事情はご存じないのですね。

 ――シャルロット殿下は、姉こそが最も尊ばれるべき存在なのだから、聖女の座など要らない、どうすればいいか……と相談してきたのですよ」


 がん、と頭を殴られたような感触を味わった。


「は……?」

「あの時は驚きましたが、あれは当時の私にとって渡りに船でした。苦せずして、聖女の秘密――弱みを握ることができたのですから」

(なんだと……?)


 だとしたら、突然シャルロットが『魔術を使えなくなった』と言い出して、俺が聖女を遣る羽目になったことにも、こいつの意思が絡んでいたのか?

 シャルロットは――俺を騙そうと、害そうとしていたわけではなかったのか。


(それなのに、俺は……冷静さを欠いて、あんなふうにシャルロットを突き放して)


 ――俺を『寝たきり』にして、全ての罪をキャロルナ公爵に押し付け、真の聖女であるシャルロットのことは、弱味を握って操る。

 俺が倒れたことを国民に知られても、魔力の奉納は、『シャルロットが病床のディアナから譲渡された魔力で行っている』ということにすればいい。

 こいつの本来の筋書きは、そうなっていたということか。


(ふざけるなよ……)


 ――どこまでも人を馬鹿にしてくれる男だ。


「もう口を開くな。わたしはあなたの話を聞きに来たのではなく、あなたを殺しに来たんだ。

 あなたに殺された兄や父の家族として、シャルロットの義姉として――この国の王女として」

「ご立派なことです。まあいささか遅すぎたという感はありますが……ともあれ」


 ゆらり、と、暗闇の中で影が動いた。俺の剣を弾き、宰相の陰に隠れたもの。

 ――『ナニカ』、だ。



「あなたでは、私の最高傑作には勝てませんよ」

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