38 エクラドゥール別邸

 *




 ――件の宰相の別邸は、エクラドゥール公爵の直轄領のうち、王都から遠くない中領地にあった。

 

 そこは田舎と言うよりは避暑地といった印象の場所で、冬を間近にした今の季節は、ひどく寒い。曇り空からは今にも雪が降ってきそうである。


「……冷えるな」

「もう秋も終わりですからね。ここはそれなりの高地ですし」


 馬車を降り、防寒具の下に剣を佩いた装いのまま、警戒しながら屋敷の中へ踏み入る。

 公爵の別邸だけあって、屋敷の造りは立派なものだ。貴族の屋敷としては小ぢんまりしているが、第一、第二の別邸は直轄領の中でも大きな領地に置いてあるだろうし、別荘と解釈すれば納得できる。

 頻繁に通っているような印象はなかったが、手入れはされている様子なので、宰相はそれなりにここを訪れていたのかもしれない。娘のエウラリアがここを調べたということは、『父がここを訪れているかも』と思った、ということだ。


(仰々しい様子はないが……中に人はいるのか?)

 

 だが、不法侵入者を迎撃する警護の人間は屋敷の中にはいないようだった。


 それどころか使用人の一人さえ見えず、宰相がここに来るのに使ったと見える馬車が一台、正門の前に止まっているだけだった。

 王族が外出をするのに使う馬車を使っていないので出迎えがいないのは当たり前だが、むしろ逆に不審な馬車を見咎める警備がいないのが奇妙だ。


 宰相のことだ。

 ここのことを娘に隠し立てしていなかったのは、たとえ訪問されても自分の『隠し事』についてバレない自信があったということなのだろう。……いや、そもそも、エウラリアに自分の悪事を怪しまれることなんて想定していなかったのかもしれない。



 だがそれを――父の悪事(ひみつ)を、エウラリアは知ってしまった。

 アーダルベルトに警告されていたからだ。



(……さすがだよ、兄さん)

 

 兄は宰相の本性に気付いていたばかりか、宰相を出し抜いていたというわけだ。さすがに警戒されて――もしかしたら原作の馬車事故も、宰相が企んでいたものだったのかもしれない――兄は殺されてしまったが。

 

 それに比べて、俺は。


(シャルロット……)


 腰に佩いた剣が、ひどく重かった。




 人の気配がしない邸内をアインハードと連れ立って歩きながら、徐々に強くなっていく心臓の鼓動の音を自覚する。


  ――出発する前に、シャルロットの側仕えに話を聞いた。


 彼女の話では、シャルロットは二日前に宰相とともに直轄領を回る、という名目で王宮から出かけたらしい。父代わりの宰相様のもとで公務のお手伝いをなさるのだろう、と、誰も怪しまなかったようだ。


 となるともう、シャルロットは丸二日もあの男と一緒にいるということになる。


 そんなこと、俺は知らなかった。

 広い城内でも、二日も見かけなかったなら、異変に気付くべきだった。


(もしも、手遅れだったなら……)


 ――怖い。


 宰相の下に辿り着いた時には既に、彼女が合成獣の一部になってしまっていたら。

 ――俺は、いったいどうすればいい?


「……これは」

「どうした、アインハード」


 隠し扉がある、という例の書斎に辿り着いたところでアインハードが足を止めた。

 苦い顔をする護衛騎士の顔を窺うと、彼は苦々しい顔で書斎の中を指差した。


「ディアナ殿下、これを」

「……シャルロットの護衛騎士だな」


 心臓が早鐘を打ち始める。

 ――そこにあったのは、シャルロットの護衛騎士二人の毒殺死体だった。死後、およそ一日といったところか。


 応接間も兼ねているらしいその書斎の卓に置かれたカップは全部で四つ。おそらくは護衛騎士二人とシャルロット、それから宰相の分。

 護衛騎士に供されたお茶にだけ、毒が入っていたのだろう。


「……これはもう、あの男、後先考えていませんね」

「そう、だな」


 二日前に城を出て、馬車なら、王都からここまで一日足らず。俺たちは飛ばしていたからもっと早く着いたが。

 シャルロットが自らここを訪れたのかどうかは定かではないが――なんにせよ、死後一日ならば時間が合う。


「……一日か」

 

 シャルロットは無事だろうか。 

 エウラリアを訪ねられて、さすがにもう隠し通せないと自棄になり、奴がシャルロットを言い包めてここに連れてきたのだとしたら。


 すると、震え始めた肩に、そっと手が置かれた。――アインハードの手だ。


「行きましょう。ここまで来て引き返せないでしょう」

「……ああ」


 そうだ。

 まだ間に合う可能性があるなら、俺が、助けに行かないと。

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