34 裏切り
――つまり。
宰相がしていたのは、魔物と魔物の
聡明なエウラリアは、すぐさまそのことを察したという。
「これを知ったことを父に知られてはならない、と思いました。
――同時に、お父様のことだ、ここに来たらすぐにわたくしが気づいたことに気づくだろう、とも思いました」
「だから、キャロルナ公爵領にあるこの小さな修道院に、逃げ込んだと……」
エウラリアが、沈んだ面持ちで、ええ、と頷く。
「キャロルナ公爵のお膝元なら、さすがのお父様もすぐには手が出せないだろうと考えたのです。
……わたくしが辛うじて幸運だったのは、お父様がそう頻繁に別邸へ赴くわけではなかったこと、……修道院に入りたいと願いそうな出来事が起きてから、そう時間は経っていなかったことです」
「なるほど……」
後者でいう『幸運』が、アーダルベルトの死だったということか。
確かに突然修道院に入るのに、理由があるのとないとのでは、怪しさの程度が段違いだ。
……そうして、ギリギリ彼女はキャロルナ公爵の庇護下に逃げ出すことができた、と。
そういうことだったのだ。
「誰かに話してしまいたくても、ディアナ殿下はお父様を信頼しきっているから、きっと信じてくれないだろう、と思って、その時は何も言えませんでした。
けれど……アーダルベルト殿下はあなたを信じていた。ですから、もしあなたが何かの確信を持ってここを訪れた時は、全てをお話しようと思っていたのです」
そう言って――申し訳ございませんでした、と、エウラリアは頭を下げた。
何も出来ず逃げ出したわたしを、お許し下さい、と。
どうか責めてくださいませ、と。
俺は、深々と下げられた彼女の頭を、無言で見つめる。
お許しください、責めてください、と彼女は言うが。
(……俺がこの人を、どうして責められる)
何も気づかず、のうのうと十年も暮らしてきた俺が。
十年の間、兄を殺した男を信じ続けてきた俺に――どうして逃げたのだ、誰かに話していれば今何かが違ったかもしれないだろうがと、彼女を詰る資格があるはずがない。
父に――、
実の父親に殺されるかもしれないという恐ろしさは、彼女にとって、どれ程のものだっただろう。
(謝罪すべきは俺の方だ。王女なのに、マヌケが過ぎる)
――何が、どこが、『宰相は俺の知る中で、最も賢く、人格もしっかりした男だ』だ。
十年以上も騙され続けて、本当に、どれほど愚かなんだ、俺は!
「顔を上げてください、エウラリア様」
「ディアナ殿下……」
だが、謝辞すべきと感じても、俺は軽々しく頭を下げられない。俺は次の女王で、頭を下げるところを間違ってはいけない。
十年前、他ならぬエウラリアにそう教わった。
「わたしに謝って下さるのならば、代わりに教えてください。
――兄の命を奪い、わたしの命を狙い、全ての罪をキャロルナ公爵に押し付けようとした、あなたの父の目的とは、一体何なのですか?」
「……わたしにも、はっきりとはわかりません。ですが一つだけ、確かなことがございます」
――実験です、と、彼女は言った。
「あの方が何をしようとしているのか、何が目的なのかはわかりませんが、あの方がしたいことは実験であり、研究なのです。あの方は大学を離れても、公爵になっても、ずっと合成獣の研究に取り憑かれていました。
ですから、自分がより納得のいく研究をする。そのために、自由になる
「……そう」
俺は目を伏せた。瞼の裏に、長年頼もしい味方であったはずの、宰相の顔が浮かぶ。
しかしすぐに目を開けて、脳裏をよぎった彼の微笑みを消した。
「――わかったわ。ありがとう、エウラリア様」
*
急いで王宮に戻れば、俺の姿がほぼまる一日なかったからか、内殿はちょっとした騒ぎになっていた。公爵領にある修道院訪問についてはヒルデガルドにも伝えていなかったから、それが原因だろう。
恐らく騒ぎには宰相も気づいているし、あの人のことだ、俺がどこに向かったのかも間もなく突き止めるだろう。
ここから事態がどう転ぶかはわからないが、こちらには彼の知らない手札もある。それはもちろん、魔国太子である、このアインハードのことだ。
――とはいえ彼と対峙するより先に、確かめておきたいことがあった。
俺たちは、誰にも見つからないように裏の商人用の通用出口に馬車を止め、そのままこっそりと内殿に戻った。
「キャロルナ公爵が姫をさらったのではないか、という噂が流れてますね」
「そのあたりの誤解については、全部終わってから頑張って解く。それよりも……」
「ええ。陛下に会いに行かれるんですよね?」
わかっている、と言わんばかりの余裕の表情で、アインハードが頷いてみせた。……まったく、この短期間で随分あっさりと考えを察されるようになったものだ。魔国太子とツーカーなんて面白い冗談である。
(――そう。まだわかっていないのは、父の不調の理由だ。
それから、最近突然、宰相が俺に父を会わせなくなった理由)
確かめなければならない。父の身に起こっていることを。
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