21 王弟エドゥアルト・キャロルナ
*
――やらかした。
俺は部屋を飛び出して、広い廊下を歩きながら、早々に後悔していた。
元庶民の俺からすれば意味がわからないくらい広い王宮は、直系王族の住まう内殿の中だけでも迷ってしまうくらいに複雑な造りになっている。シャルロットたちが追いかけてきても、すぐに居場所に当たりをつけられることはないだろう。
普段の執務では使わない区画を意味もなく歩く。この辺りは官吏もあまり出入りしないので、一人になるには最適の場所だった。
「はぁ〜あ……」
やっぱりシャルロットは、俺を破滅エンドに追い込むつもりなんだろうか。
それしか考えられないよな。だって、そうでなければ聖女の地位を拒むなんて有り得ない。
――平民の少女がいきなり国を背負う聖女になれ、と言われたわけではないのだ。シャルロットは、月の神子に選ばれることを想定して育てられた王の養女なのだから。
「なんでなんだよぉ……」
シャルロットは涙を見せたが、泣きたいのはこっちである。
あの涙も、許しを乞うたのも、演技なのかな。女の子って怖すぎる。……アインハードも意味がわからなくて怖いけど、シャルロットの方が怖い。
後から俺を追い落とすために聖女させてたなんて、むしろシャルロットの方が悪女というか、ゲスインじゃないか、って感じなんだが。
(それでもシャルロットは世界で一番可愛いんだよなあ……)
嫌うことができれば楽なんだろうに、俺は今でもシャルロットが可愛い。姉妹として暮らした十年が、そこで育った家族の情が、シャルロットを嫌ったり、恨んだりしようとする心を抑制する。
そもそも、わざわざ俺を陥れて、彼女は何がしたかったんだろう? 俺を排して手に入れられるものってなんだ?
女王の地位? いやいや、女王になるのは、養女には無理だし……。
……ちゃんとシャルロットの言い分を聞けばよかったな。
騙されてたって、思って……そのままカッとなった。もっと……冷静であれていたなら――。
「――これはこれは、王太女殿下。何やらお悩みのご様子だが?」
「ええ、少し……えっ?」
声を掛けられ、思わず立ち止まる。
顔を上げれば、俺の視線よりも数段高い位置にある整った顔立ちが、こちらを見下ろしていた。
王太后陛下と同じ、深い青紫の瞳――王弟にして公爵、エドゥアルト・キャロルナ。
「き……キャロルナ公爵閣下。お久しぶりでございます」
やばい、全然気づかなかった。考え事に夢中になりすぎてしまった。
俺はあわててその場で
身分は俺の方が上だが、宰相の後ろ楯がないと官吏に相手にされない薄弱の王太女と、元王子の公爵だ。
宮廷での発言力、影響力、ともに敵わず、完全に敵に回ればまずい存在――王女としての品位は保ちつつ、最大限下手に出るべき相手である。
「今日は視察から戻られたばかりだとか。シュルツハルトの様子はいかがでしたかな」
「……ええ、砦を案内していただきました。と言っても、見たのは国境門だけですが」
本当はもう少し領内の様子を見て回りたかったのだが、魔物の騒動があったので、それが出来なかったのだ。
仮にもシュルツハルトはキャロルナ公爵派の領地であるので、それが気になるなら下手に動かない方がいいだろう、というアインハードの言もあったので。
(つうか自分のお仲間の領地なんだから、知りたきゃ自分で領主に聞きゃいいじゃないか)
胸中で文句を言いつつも、王女らしい微笑を浮かべてみせる。キャロルナ公爵はそれを見て、ゆっくりと、そしてどこか冷ややかに目を細めた。
(……そういえば、夜会で目が合った時も、こんな目をしていた)
そうしてすぐに、暗殺者に襲われたのだ。
「しかし、それにしても王太女殿下に、護衛騎士と側仕えはいかがしたのですか? 王宮内とはいえ、一人で出歩くのはよろしくないのでは?」
「ええ、そうね……気をつけます」
一人でいれば、またあの時のように襲われてしまうかもしれないもんな。
俺は笑いながらそう応え、「時に、閣下」と口を開いた。――緊張で、顔と背中に汗が滲む。
「なんだね?」
「シュルツハルト領では魔物をこの目で見たのですが、本当に魔物なんてこの世界にいたのかと度肝を抜かれました。拝見する時間はなかったのですが、砦の中には魔物の毒を研究する施設もあるとお聞きしました」
「そのようですな。魔物の実物が手に入るのはシュルツハルトくらいですし、魔毒の研究で一番進んでいるのは我が国に間違いないでしょう」
「素晴らしいです、閣下」
笑顔を浮かべながら、気づかれないように、深く息を吸い込んだ。
そして――意を決して、
「――シュルツハルトの方のように、わたしがもう少し魔物の毒に詳しければ、兄を殺した蜂の正体もわかったのかしら」
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