間章:灰被り姫の魔法使い

 ――その人が手を差し伸べてくれるまで、わたしの人生は苦しいだけのものだった。


 誰もわたしを肯定してくれる人はいなかった。笑いかけ、あやし、慈しんでくれる人など、いるはずがなかった。


 わたしが、妾の娘だから。平民の娘だから。



「汚らわしいこと。どうしてお父様もこんな汚い子を実の娘として認めたのかしら」

「見目だけはいいからでしょう。あの売女、お父様にうまく取り入っただけあって、顔だけはよかったそうじゃない。若い娘を欲しがる年のいった上級貴族なんていくらでもいるでしょう? だから、駒にするためにここに置いているのよ」

「ああ、なるほどね。そんな役目、可愛いわたしたちに押し付けるはずないものね」



 血の繋がった実の姉であるはずの二人は、常にわたしを蔑みの目で見ていた。

 父はそれを知らない振りをしていた。平民の母に手を出したということが、父の『負い目』になっていたらしい。……ならばそもそも助けてなどくれるはずがない。


 母はわたしがまだ5歳になるかそこらの頃に亡くなった。母は優しかったが、もともと体の弱い人だった。

 父は母とわたしを小さな離れに住まわせ、最低限の援助だけしてあとは何もしなかった。そして母が亡くなったあとは、わたしも本邸に引き取られたが――そのあとのことは察しの通りだ。



 家族が慈しんでくれなかったのなら、伯爵家の使用人はどうかという話だったが、誰もわたしを顧みてはくれなかった。

 そもそも、うちの侍女は富豪の娘や下級貴族の娘で、卑しい娼婦の娘であるわたしを見下していたし――下働きの下男下女も、「貴族の娘」であるわたしを、誰にも咎められずに虐げることができて快感のようで、つらい仕事は嬉々としてわたしに押し付けた。


「あはは、いい気味。ふんぞり返ってるお貴族様の娘も、ああじゃあねぇ」

「貴族なんて俺らを苦しめるばっかりの差別主義者どもばっかりだ。いっつも苦しんでんだ、少しくらいの憂さ晴らしは許されるだろ」


 ――飯があり、雨露をしのげる寝床がある。この国には食うに困る人間がいくらでもいるんだから、それだけで幸せに思え。

 姉たちも使用人たちもそう言って嗤った。


(そんなこと、知るか)


 わたしよりも苦しんでいる人間がいるからといって、それがなんだというのか。だから彼らを見下すことで、心を慰めろというのか。今わたしが感じている苦しみも悲しみも悔しさも屈辱も、他人を見て昇華できるものではない。


 食事があっても空腹だったし、与えられた部屋は寒かった。姉がぬくぬくと笑っているあいだ、わたしは凍えながら水仕事をした。……それを満足しろと? 冗談じゃない。

 

 蔑まれながら母さんは死んだ。

 そしてわたしは今も蔑まれ、誰にも気にしてもらえない。


 母はわたしを確かに愛してくれていた。だからその記憶だけを頼りに生きていた。

 母はひどい扱いの果てに命を落としたが、誰も恨まなかった。少なくともわたしには憎悪を見せたことはなかった。

 ……わたしも、清らかであった母さんのように、誰も恨まずに生きようとは、したけれど。


(でも……もういやだよ、母さん。耐えられないよ)


 ――別に、満ち足りていなくてもよかった。

 わたしは誰かに愛してほしかった。気にかけてほしかった。

 誰かに、わたしを目に映してほしかった。

 

 だから。



「初めまして灰被り姫シンデレラ。わたしはあなたの、あなただけの魔法使いよ」



 初めて彼女に会った時、女神様が降りてきてくれたのかと思った。

 

 わたしに手を差し伸べてくれた彼女は、わたしが今まで見てきた何よりも美しかった。光を閉じ込めたような白金色の髪も、太陽を溶かしたかのような黄金の瞳も。 わたしを妹と呼んでくれるその声も、心も、何もかもが。



 お義姉様はわたしの生まれが卑しかろうが、気にされないようだった。そもそも、身分で人を区別する意味が、よくわからないらしい。


 彼女は別に、完璧ではない。王女として非の打ち所がないわけでも、欠点がないわけでもない。


 ――けれど、そんなことは、わたしにとっては些事だった。


 わたしが笑うと、嬉しそうにするそのお顔が好きだ。危ないことをしたり、いけないことをしたら真摯に叱ってくれる、そのお声が好きだ。本や演劇で泣いたり笑ったりする、感情豊かなところが好きだ。


 欠点さえも愛おしい。お義姉様のためなら、わたしはなんだってできると思った。



(大好き。大好き、お義姉様。この世で一番、愛しています)



 お義姉様は、わたしの魔力を見込んで、王の養女にしたらしい。あなたの意志を無視して事を進めて申し訳なかった、と謝罪をされたが、それでも構わなかった。お義姉様の役に立てるなら、それでよかった。お義姉様が望むなら、この命だって差し出せる。


 だから――わたしは自分が月の神子だと知った時、絶望した。


 聖女に選ばれることがこの上ない名誉? お義姉様を差し置いてわたしが名声を得る? 冗談ではなかった。お義姉様こそがこの国で誰よりも尊ばれるべき存在だ。

……あなたが聖女に選ばれたわたしを羨ましいと仰ったから、それなら全てを差し上げようと思った。いや、何より、わたし自身がそれを望んでいた。


 お義姉様が月の神子になって下さるなら、女王に即位した時、お義姉様は押しも押されぬこの国の至尊になる。わたしにとってそれは、幸福以外の何者でもなかった。


 けれど、清らかで美しいお義姉様に対して、わたしはひどく浅ましい存在だった。


 お義姉様は知らないだろう。魔力を譲渡するのに肉体的な接触が必要なのは間違いないが、手を繋ぐのと、唇を合わせるのとでは、別に大した違いはない。それでもわたしが口づけをするのは、わたしがそれを望んでいるからだ。


 ――ああ、お義姉様とする口づけの、なんと甘美なこと。


 お義姉様を騙すなんていけない、と思いつつも、どうしてもやめられなかった。恥ずかしそうにするお義姉様が、とっても可愛らしくて。


 魔術を突然うまく使えなくなったと嘘をつきながらも、密かに技量を上げる鍛錬をしていたのも、万が一の時にお義姉様をお守りするためだ。忌々しいこの胸の聖痕も、お義姉様を守る時くらいは使い道があるだろう。


 わたしはお義姉様のためだったら、お義姉様以外の何を奪われたって、まったく構わないのです。

 だから。



「あなたの顔を見たくない」



 嫌わないで。行かないで。

 あなたのためなら何もいらないけれど、あなたから離れるのだけは耐えられない。


 嘘をついていてごめんなさい。お義姉様をずっと苦しめていたことに気付かず、自分だけ満足していたわたしは、どれだけ罪深いのでしょう。罰ならいくらでも受けますから。


「お義姉様! お義姉様……ッ!」



 あなたがわたしの全てなのに。

 わたしはあなたに嫌われてしまったら、生きてはいけないのに。

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