20 怒り

 ――部屋の扉が開いた。

 そして、焦ったような表情を浮かべていた彼女が、言葉の途中で固まる。


「は……?」

「しゃ、シャルロット⁉ どうして……あなた、エウラリア様のところに行っていたはずじゃ……っ」


 まずいところを見られてしまった。


 今俺は、アインハードに手首を掴まれている状態で、しかも、暴れたせいで髪やドレスが乱れている。一目で穏やかでないことがあったとわかる様相だ。


(つうか普通に殴り掛かったところをあっさり止められてる状態だしッ!)


 どうしよう? シャルロット、アインハードのこと気になってる様子だった、よな? 

 こいつに殴り掛かった、どころか殺しかけたことが知れたら……。


「違うの、シャルロット。ええと、話を――」

「――お前」


 地を、這うような声。

 地獄の底から響いた声というものがあったら、こういう響きを持つだろうというような、憤怒を湛えた声音が空気を揺らす。――否、実際に室内の空気が揺れていた。シャルロットから発される、濃く強い魔力の余波で。

 シャルロットの、月夜の星空を思わせる高貴な紫瞳は怒りに昏く濁り、まるで冥界の業火のよう。


 落ち着け義妹、話せばわかる。闇落ちにはまだ早いだろ。だから殺さないでくれ!



「わたしのお義姉様に、何をした――――――?」


 

(え? ……俺??)


 ぽかん、と、したその瞬間に、突風。――いや、これは純粋な魔力による衝撃波か。

 ビシ、ビシ、と、壁には大きな亀裂。ちょ、待てよ。ここ内殿は王国中で最も頑丈な造りのはずなんですけど??


 そしてすぐに、俺の手首からアインハードの手が離れていることに気がついた。見れば奴は、今ので吹き飛ばされたのか、俺から数メートル離れたところで身構えていた。おまけに、シャルロットと遜色ない濃さの魔力で身を包んでいる。


 なぜだか知らんが、聖女と次期魔王が完全に臨戦態勢に入っている。


(ちょ、もう何が何だかわからんけど、ここでやり合うのはやめて???)


「安心してください。もう大丈夫ですよ、お義姉様。わたしがお守りいたしますから」

「え? シャルロット、あの、わたしはね……」

「……ヒルデガルドを追い払ってまで二人きりになって、一体何をしていたのかしら。恐れ多くもお義姉様のお手を掴んで――ねえ、お前、返答次第では、生まれてきたことを後悔させるわよ?」

「……どうやら誤解があるようですね、第二王女殿下。護衛騎士である私が、『ディアナ様』に危害を加えると?」

「気安くお義姉様の名前を呼ぶな!」


 やべえ、シャルロットが話を聞かねえ!


 ぶわりと、また、魔力そのものがアインハードに向けて発された。その場にあった椅子と机は吹っ飛んだが、今度は、アインハードは一歩もその場から動かなかった。

 シャルロットは射殺さんばかりの鋭い目で、原作世界での恋人を睨みつけている。こんな激高は今まで目にしたことがなかった。しかもどうやら俺のせいで怒っているようだ。


「よく考えてください。殿下がご想像なさったようなことが起きていたとしたら、ディアナ様は真っ先にあなた様に助けを求めたとは思いませんか? ……ああ、それとも、何かが起こったとしても、あなた様は彼女から頼りにされる自信がおありではないと?」

「なんですって……?」

(おいおいおいおい、なんでこの状況で挑発するかなこの馬鹿王子!)


 今度はシャルロットの身体が全体が、バチバチと音を立て始める。否、彼女を包んでいた魔力が紫色の電光へと変わり、四方八方で放電しているからこんな音がするのだ。

これは、雷の魔術の予兆だ。天候に干渉する高位攻撃魔術の一つで、原作のシャルロットも戦いの時、自身で生み出した雷撃で敵を倒していたっけ。


(あれ? でも、待てよ。シャルロットは今魔術が使えないはずで――)


「……ふうん。どうやら、ディアナ様とあなた様の間にも、誤解があるようだ」

「何を言っているのか知らないけれど、これで三度目よ。お前ごときが、お義姉様の名を気安く呼ぶなと、そう言っている!」


 怒気を叩きつけるように、シャルロットを取り巻いていた紫電が掌に集められ――一匹の大蛇が襲い掛かるように、紫紺の閃光がアインハードに向けて放たれた。


 アインハードは片頬で笑うと、自身も雷の魔術を発動し、黒い雷光で作った網のようなものを盾のように展開した。――まさしく落雷のような凄まじい音が弾け、紫電はアインハードの作った盾によって威力を四方八方に散らされてしまった。


「……ただの護衛騎士ではないと思っていたけれど、何者なのかしら、お前。ますますお義姉様のおそばに置いておくわけにはいかなくなってきたわ」

「それはあなた様がお決めになることではないでしょう。それに……まず、あなた様から話を聞きたい方がそちらにおられるようですが?」



「――そうね」



 自分が思っていたよりも、ひどく冷ややかな声が漏れた。

 途端、シャルロットがはっと息を呑み、怒りを霧散させてこちらを振り返る。


「説明してくれる? シャルロット。あなた、本当は魔術が使えるの?」

「え……あ、わ、わたしは……」

「ずっと嘘をついていたの? わたしを騙してまで、どうして月の神子の役目をわたしにさせようとしたの? いったい何のために?」


 今のは――今まさにまた魔術を使えるようになった、と、そういう言い訳が許される威力の魔術ではなかった。

 そもそも、今のシャルロットの魔術の技量は、「魔術が上手く使えなくなった」と申告した三年前よりも遥かに洗練されている。……隠れて鍛錬していたのだろう。


「お、お待ちください、お義姉様。誤解なのですっ」

「何が誤解だと言うの? わたしに聖女の役目を押し付けて、頃合いを見て、わたしに月の神子としての役目を奪われた、と主張するつもりだったのではないの? 名誉も名声も全て、我が物にされたと!」


 声が熱を帯びていくたび。思考も熱を帯びる。やめろ、これ以上言うな、シャルロットの話を聞くんだ、と頭の中の冷静な部分が言ったが、だめだった。

 口が、止まらない。


「ねえ、わたし、あなたに陥れられなければならないほど、ひどいことをしたかしら。わたしの都合であなたを王の養女にしたことが気に入らなかった? 不満があったら、口にしてくれればよかったでしょう。それともオ……わたし自身がそれほどまでに大嫌いだった?」

「ち、違……ッ、わたしがお義姉様のことを嫌うなんてありえません! 名声も、栄誉も、国民の崇敬も、そんなもの、わたしは……っ。わたしはただ、全部、お義姉様のほうが……お義姉様のために……!」


「――わたしのため?」


 冗談じゃない、と思った。


「わたしがいつ月の神子を騙りたいなんて言った? 本来、惜しみなくあなたに向けられるはずだったものを横から掠め取って喜ぶような、わたしがそういう人間だと、あなたはずっとそう思っていたということ?」

「……っ」


 見開かれたシャルロットの目から、ぼたぼたと涙がこぼれ落ちる。本気でショックを受けた表情に一瞬怯みそうになるが、ショックを受けているのはむしろこちらの方だ。

 俺はずっと、心の奥では、シャルロットはちゃんと俺を、義姉として愛してくれてるんじゃないか、って期待してたんた。


 それなのに――。


「ごめんなさい、お義姉様、全てわたしが悪いのです。わたしの勝手な願望を、お義姉様が受け入れてくださっていると、そう思い込んでいたから……。許してください、お義姉様、わたしはお義姉様が苦しんでいるなんて、まったく思っていなくて……」


 揺れる紫水晶の両眼からこぼれ落ちる涙は、それこそ宝石のような煌めきに満ちていた。――なんて奇麗なのだろう、と、麻痺した頭で考える。


「……もういいわ。頭を冷やしてくる。追ってきてはいけません。わたしは今、あなたの顔を見たくはない」


 悲しげな顔を見たら、きっとまた、彼女の気持ちがどこにあるのか、わからなくなる。


 いっそ騙すなら、最後まで騙して、きっちり陥れてほしかった。

 そうすれば、絶望は最後だけで済んだだろう。俺のやってきたことは全て無駄だったのだと、全ては運命のせいなのだと、誰かのせいにしたまま嘆くだけでよかったのに。



 お義姉様、と、シャルロットが悲痛な声で俺を呼んだが、俺は無視して部屋を出た。

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