10 薔薇園のお茶会
――薔薇園の東屋で、美貌の義妹と向かい合ってお茶を飲む。
シャルロットとのお茶の時間に同行したのも当然のようにアインハードだったが、相変わらず洗練された立ち居振る舞いだ。シャルロットの護衛騎士はなかなかの名家出身のはずなのに、アインハードの方が見栄えがよくみえる。
本当の出自を考えればおかしなことはないのだが、田舎者としては不自然極まりない。やっぱり隠す気がないんじゃないのか。もしくは、俺たちを侮っているか。
後者じゃないかなあ、と拗ねたことを思いつつも薫り高い紅茶を愉しむ。キャロルナ公妃からもらったというだけあって、なかなか素晴らしいお茶である。
「盛夏が盛りの品種の薔薇が、見ごろだと庭師に聞いたのです。ですから、お義姉様といっしょに見たくて……」
「……そう? でもさっきからあなた、薔薇をあんまり見ていないのではないかしら」
視線が俺に固定されてるぞ。いや、俺じゃなくて、俺の背後のアインハードか?
「そ、それは……」じわじわと頬を赤く染めたシャルロットが俯く。「その、盛りの薔薇は華やかでも、やっぱり、お義姉様の方がずっと……綺麗ですもの」
(え、それお前が言う?)
春の女神、花の精霊の如く。
俺もたしかに今は美少女だが、花が似合うのはシャルロットの方だ。
「あ、ですが……そういえばお義姉様は、あまり薔薇園にはいらっしゃいませんものね。もしかして、薔薇はお嫌いでしたか?」
「いいえ、嫌いだなんて、そんなことは――」
ありませんよ、と。そう言おうとしたその瞬間、ぶん、と耳のそばで特徴的な音がはじけた。――虫の羽音。耳元で聞けば、不快感を催さない者はほとんどいないであろう音。
はっと顔を上げると、シャルロットの前を小さな何かが横切ろうとしている。
瞬時に、血の気が引いた。
「シャルロット!」
反射的に立ち上がり、シャルロットの護衛騎士が動くよりも早く彼女との距離を詰めると、その腕を掴んで引き寄せた。胸に抱き込むようにして庇い、さらに柔らかくて細い身体を抱きしめる。
「お、お、お、お義姉様っっっ???」
「ディアナ殿下⁉ 一体何を……!」
「だ、だって――」
唇が震え、ついでに声も震えた。情けないとわかっていても、こればかりは。
「蜂が……」
怖いのだ。
――兄の命を奪った、この虫の毒のことだけは。
漏らした言葉に、それまで顔を険しくしていたシャルロットの護衛騎士がはっとした表情になる。
(くそ、克服しなきゃいけないとは思ってても、どうしても……)
――やっぱりこれだけは、駄目だ。
直接は目にしていないはずの兄の死体が、瞼の裏をちらつく。
薔薇園に足を運ぶことが稀なのは事実だった。蜂が、そして、兄の死を思い出してしまって、どうしても足が遠のいてしまう。
「そういえば、アーダルベルト殿下は、ここで倒れられたのでしたか」
その場で唯一動揺せず、妖艶でありながら冷ややかに佇んでいたアインハードが、淡々と呟く。奴がついと視線を動かせば、シャルロットの目の前をうろうろ飛んでいた蜂が、追い立てられるように彼方へ飛んでいく。
「……ただの蜜蜂ですよ。あの種類には、毒はほぼありません。何度刺されたって大した問題にはなりません」
「よく知っているな、スターニオ」
「調べてありますので。一般的に、蜂に二度刺されれば身体の拒否反応で死に至ることがある、と言いますが、この辺りにはこの毒性のない種類の蜜蜂しかいません。せいぜい蚊に刺された時よりも腫れる、というくらいでしょう」
話を聞いてシャルロットの護衛騎士は感心しきりだが、その反応を受けてもアインハードは済ました顔だった。
……それにしても、この辺りに毒性の強い蜂はいない、か。
あれ、でも、アーダルベルトは確かに蜂毒で死んだんだよな?
それも、毒性の強い雀蜂に刺されて――。
「だとすると、ここで亡くなられたアーダルベルト王子は、なんという不運に見舞われたのか。普段はいない雀蜂に刺された、など。なんとおいたわしい……」
「……ええ、そうですね」
(不運……なのか? いや、そう、なんだろうけど……)
アナフィラキシーショックは、二度目以降に刺された時に起きる。日本でもよく知られている知識だ。一回目で中毒を起こす例もあるにはあるだろうが、二度目以降に中毒死した人間の方が余程多いだろう。
なら、アーダルベルトは、二度も雀蜂に刺されたのだろうか? ここにはいないはずの、強い毒を持つ雀蜂に?
そもそもアーダルベルトが蜂に刺されたことがある、なんて話を一度でも聞いたことがあっただろうか――。
「あの、お義姉様……」
「あ、シャルロット……」やべえ、すっかり抱きしめてたこと忘れてた! 慌ててシャルロットから身体を離し、自分の席に戻る。「ご、ごめんなさい、いきなり……」
セクハラじゃないよ! 許して!
ただお前がアーダルベルトのように、蜂に刺されて死んでしまうかと思ったら――。
「申し訳、ありません……。わたし、まさかこの薔薇園で、兄君様がお亡くなりになったなんて、知らなくて……蜂に刺されて亡くなったことは、存じていましたが、全然意識になくて……」
「シャルロット……?」
シャルロットが小刻みに震えている。顔色は見たことがないほど青ざめていた。
――何をそんなに怯えているのだろう。このことで、俺が激怒して、ひどいことを言ったりするとでも思ったのだろうか。
やっぱり、信用されてないのかな。確かに俺と彼女の間に、本当の姉妹の絆はないのかもしれないけど――。
「……大丈夫よ。そろそろお兄様のことも克服しなければと思ったわたしがあえて言わなかったのだし、何もあなたが気にすることはありません」
「ですがお義姉様、お顔の色が、こんなに」
「本当に大丈夫だから」
自然と声が硬くなる。途端にシャルロットが傷ついたような顔になり、心臓が絞られるような痛みを覚えた。
(うう……皆、こんな空気にしてごめん……)
このままではダメだ。とりあえず、なんとかしなきゃ。
俺は笑顔を作ると、あえて明るい声で「ごめんなさい」と言った。
「今日はお開きにしましょう。騒ぎ立ててしまってごめんなさい。シャルロット、お茶はまたの機会に。それに、そろそろ夕餉の時間だし、お菓子を食べているとお腹に溜まってしまうわ」
さっと立ち上がり、東屋を出る。
シャルロットは何も言わなかったが、俺もかけるべき言葉がうまく出てこず、そのまま立ち去ることにした。
「……」
付き従うアインハードの視線が、何か言いたげに背中に刺さっていることがわかる。
しかし、俺にそれを気にしている余裕はなかった。
アインハードの思惑がなんであれ、コイツがその気になれば俺を殺すことなんていくらでもできる。だったら気にしすぎるだけ不毛というものだ。
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