11 魔族
*
シャルロットとはなんとなく気まずいまま時間が過ぎたある日のこと。俺はヒルデガルドに身支度をしてもらいながら、今日の予定を頭の中で反芻する。
病がいよいよ重篤となったからか、国王が私室から出てこなくなってから暫く。
正式に立太女されてから、俺のこなすべき業務はぐんと増えた。
国王の業務をほぼ一手に引き受けている宰相が非常に多忙、さらに叔父であるキャロルナ公爵は他派閥で信用しきれないということもあって、俺は満足に帝王学の教育を受けていない。次期女王に相応しい教育係がいないからだ。
(……だから正直助かってるんだよな)
俺はアインハードの顔を思い出して苦く笑った。
魔国太子は案外書類仕事や雑用も素直にやってくれる。魔王の息子をこき使うなんて、順調にヘイトを稼いでいるような気がしないでもないが、一度今更だと思ったら難しく考える気をなくしてしまった。
「姫様、行ってらっしゃいませ」
「ええ、行ってくるわ」
ヒルデガルドの見送りを受け、護衛騎士であるアインハードと共に馬車に乗り込む。
これから俺たちが向かうのは、国内最西の領地シュルツハルト。魔国と接し、国境門を有するシュルツハルト領には、対魔物戦闘に長けた騎士たちが集まって練兵する砦がある。その砦こそが、今回の訪問先だった。
(シャルロットは……いないか)
見送りの人々の中に義妹の顔がないことに、少しだけ寂しさを感じる。……やっぱり、避けられてるよな?
王位継承権を持たず、誰かに嫁ぐことために育てられた王の養女であるシャルロットと、十分ではないものの次期王として育てられた俺の立場は違う。だから、いつでもベッタリしている訳ではないと思っていたが――こうして避けられていると、思った以上に一緒にいたのだとわかった。
(まあ、仕方ないか。よく考えれば、もともとの距離が近すぎたのかもしれないしな)
一人の時間はありがたい。今後の身の振り方をゆっくり考える時間ができる。
――さて、シュルツハルト騎士団は、立地からして、どの領地の騎士団よりも対魔戦に優れていると知られている。ただ、魔国の隣であるからか、良くも悪くも魔族や魔物の影響が強く、勇猛だが気性の荒い武闘派貴族が多いのが特徴だ。
馬車に揺られながら、俺は真向かいの席に座る美貌の護衛騎士をちらと窺った。
(しっかし、いいのか? ルネ=クロシュ最高レベルの対魔物戦線の内側に、魔国の王子なんて連れてきて……)
いいわけがない。ババ抜きの最中に手札を全公開するのと同じレベルの愚行だ。敵に手の内を晒す、まさしくその言葉の通りになる。
……頭が痛くなってきた。
誰かにバレれば売国奴と罵られても仕方のない行為だ。だが、そもそもの話をすれば、コイツが俺の護衛騎士に抜擢され、俺が唯々諾々とそれを受け入れた時点で、既に外患誘致である。
……よく考えれば他国の王太子に王太女の生殺与奪の権を握られているんだぞ、その辺でもうヤバすぎだろ。ルネ=クロシュはどれほどガバガバなんだよって話だ。
「殿下、何やらお悩みのようですが。どうかなさいましたか」
「え? いえ、別に」
ため息をつきそうになったタイミングで、アインハードに声をかけられた。短く否定すれば、「そうですか」とこちらも短い返事。
「行き先が魔物との戦いが頻発している領とのことでしたので、緊張しているのかと思いましてお声がけを。すみません、差し出口でしたね」
「そんなことないわ。確かに緊張はしている、と思います」
「ご安心を。騎士としての誇りにかけて、あなたに傷はつけさせませんので」
「そう? ぜひとも、よろしくお願いするわ」
まあ、お前なら容易いだろうよ。なんてったってお前は魔族の王子だしな。
「……イーノは魔物と戦ったことはあるのかしら? 魔族とはどう?」
「どちらともありますよ」
「やはり、魔物は恐ろしいものなのかしら。人を食らう異形だと聞くけれど」
「何をもって異形とするのかはわかりませんが、確かに、気味の悪い見た目をした獣が多いですね。魔物は闇の神の眷属で、闇の神の加護が篤いオプスターニスが最も生きるのに適した場所のはずなのですが、増えすぎて住む場所がなくなると、こちらに来てしまうのでしょう。魔国の魔族はあえて魔物を討伐しようと思わないそうですから」
……なんだ、意外としゃべってくれるな。
もちろん詳しく調べれば出てくるような知識なのだが、それが魔国太子アインハードの口から出た話だと思うと、重大な機密を知ったような気になる。
「それは、どうしてなのかしら?」
「魔族にとっての魔物は人間にとっての獣と同じような存在なんですよ。害があれば殺すし、なければ無闇に害さない。食べることもあるし、薬や道具の素材にすることもある」
「そうなの?」これには素で驚いた。「――魔族、は闇の神の血を引いている魔国の国民を指すでしょう? だから、闇の神の眷属である魔物は、仲間という認識だから、攻撃しないんだと思っていたわ。あるいは、下僕として支配すべき存在だ、とか……」
ちなみに魔族の王族は、闇の神の直系卑属という話である。
この世界における魔族と人間は、種族が違うというわけではない、らしい。というのも神話のあたりは歴史家によって解釈が分かれるから、魔族と人間のゲノム的な違いがどんなものなのか、さっぱりなのだ。生物学の発展具合もよくわからんし。
だから、同じ人類だが人種が違うのだ――と、俺はそう理解することにしているのだが。
「知性がある分、自分たちが優位に立っているとは思っているでしょうが、支配すべき存在とまでは思ってないですし、仲間意識もあまりありません。もちろん、魔物と仲を深めたり、逆に魔物を使役して戦わせる魔族もいるそうなので、時と場合によりますが」
「そう……」
なかなか興味深い話だ。
ルネ=クロシュだけでなく、人間にとって魔物は見かければ討伐すべき存在だ。――しかし魔国ではそうではなく、魔族と魔物はそこそこうまく共存しているらしい。
(……やっぱり、破滅回避云々だけじゃなくて、魔国との繋がりは欲しいな)
シュルツハルトだけでなく、西部地域は魔物による被害が多い。魔物被害はルネ=クロシュが常に頭を悩ませている災害の一つだ。毎年多くの人間と作物が犠牲になっている。
魔国と友誼を結ぶことが叶えば、解決策が見つかるかもしれない。
「ありがとう、よくわかったわ。……イーノあなた、魔物や魔族について、とても詳しいのね?」
「もったいないお言葉。お役に立てたならば光栄です」
探るように発した賞賛も、さらりと受け流される。
……こいつもこいつで、何を考えてるんだろうな。
原作ではシャルロットを嫌う王女に警戒されないように気をつける必要がある上に、徐々にシャルロットのことを気にするようになったから、王女の成人祝いの日に追放を言い渡されるその時まで、アインハードがシャルロットにわかりやすく手を差し伸べたことはなかった。
だがこの世界では違う。俺とシャルロットは少なくとも表面上は仲がいいし、こいつの様子を見るに、確実にシャルロットに気がある。
……俺がニセ聖女だって気づいてるはずなんだから、モタモタしていないでとっとと行動を起こせばいいのに。
「殿下、どうやら到着したようです」
「そうね」
まあ、別に俺も破滅したいわけじゃあないので、モタモタしてくれてた方が俺としてはよっぽどありがたいんだけど。
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