8 前途真っ暗
ただ唯一救いなのは、こいつがたいして手練れって訳でもないことだ。
(……いっそ俺が自分で捕らえるか?)
今は丸腰だが、俺だってそこそこ武術の訓練をしてきたし、こいつ一人なら無力化も難しくないはず。
すかさず振り下ろされた刃をいなし、そのまま拘束のための動作に入らんとした――まさにその時だった。
横から人影が飛び出し、刃を素手で止めた。骨ばった、しかしどこか優美な形の手が、俺の横から伸ばされて、俺の目の前で刃を受け止めたのだ。
片手の、しかも、親指人差し指中指のたった三本での白刃取り。そして、すぐ横からふわりと香る竜涎香。
こんなことが、あっさりとできるとすれば。
「――ご無事ですか、王太女殿下」
(やっぱりお前か、アインハード!)
美貌の魔族が、そこに立っていた。
アインハードは感情の読めない、妖艶な笑みを口元に佩いている。
「……ええ、お陰様でね」
だが、こいつはなぜ俺を助けたんだろうか。
こいつは一目で俺が皆を騙している詐欺師だということに気づいたはずだ。真の聖女が誰であるのかにも。
わかりやすく功績を積んで王族か王族にごく近い人間の側仕えになることで、城に入りやすくするため? あるいは俺個人に近づくため?
アインハードがすかさず俺の騎士を呼び寄せ、次にこの夜会の主催者であるキャロルナ公妃――元王族の公爵の正妻は『妃』の称号で呼ばれるのだ――に事の次第を伝えにいく。
つい最近準男爵の位を授けられて騎士になったばかりの田舎者には到底思えないてきぱきとした動きだ。コイツ、己の正体を隠す気はあるんだろうか。
「お義姉様っ、ご無事ですか⁉ お怪我は……っ!」
しばらくして、シャルロットが慌てたように駈け寄ってきた。彼女にしては珍しく、淑女の笑みを崩した、今にも泣き出しそうな顔をしている。
その、本気の心配を感じ取って、俺は苦笑を浮かべた。
自分で対処できたと思われるのでそこまで真っ青になられると気まずいが、案じてくれているのは素直に嬉しい。
「スターニオ様。義姉を……王太女殿下をお守りくださり、ありがとうございました」
「……もったいないお言葉でございます、第二王女殿下」
シャルロットの見事なカーテシーに、微笑を作るアインハード。
相も変わらず何を考えているか読めないやつだ。シャルロットも最近本心を押し隠すようになったけれど、こいつの読めなさはシャルロット以上だ。
「憲兵、この男を連れていってくれ。ディアナ殿下の暗殺未遂犯だ、しっかり連行しろ」
アインハードが指示をする声を聞いていると、隣でシャルロットが何かもごもごと呟いている。「あの男がお義姉様を……? 処刑される前にいっそわたしが……」――が、よく聞こえない。だがなんとなく物騒なことを言っているような気がしたので追及はやめておいた。
まあ、それはともかく。
「騎士イーノ・スターニオ」
「は、王太女殿下」
「シャルロットの後になってしまったけれど……助けてくれてありがとう。あなたはわたしの命の恩人です」
にっこり笑ってお礼を言う。
はは。まあお前はわかってだろうけどな。お前が入ってこなくてもこっちが自分でなんとかできたってことくらい。
「とんでもない。騎士として、当然のことをしたまでです。ご無事で何よりでした」
「ええ」
しかしそこは魔王の後継アインハード。どこ吹く風で完璧な笑顔を返してくる。
嫌味に気づいて顔を顰めるどころか、主を守れない護衛騎士と護衛騎士を上手く使えない俺を皮肉ってくるあたり、なんというか。
騎士として当然って、魔族の王子がほんとよく言うぜ。白々しいやつめ。
「……お義姉様」
二人とも目が笑っていない笑顔でそのまま見つめ合っていると、シャルロットがやや不機嫌そうな声で俺を呼び、くいと袖を引いた。つい先程まで心配そうに顔を歪めていたのに、 いつの間にか彼女も淑女の微笑みを取り戻していた――こちらも目の奥が笑っていないが。
――え? もしかして、今のやりとりで既にアインハードに心惹かれて、彼と微笑み合う(?)俺に嫉妬を……?
(オイオイ、やめてくれよ……)
シャルロットの位置からはよく見えなかったかもしれないけど、俺たちは朗らかに笑い合ってたんじゃないんだってェ!
「行きましょうお義姉様」
「え、ええ」
しかし、促されて、素直に頷いた。別に仲良く笑い合っていたわけじゃないから、勘違いしないで、と馬鹿正直にその場で弁明するわけにもいかないので、手を引かれるまま、ご機嫌ななめな義妹についていく。……不貞腐れている様子でも可愛いのだからシャルロットは無敵だ。
――しかし、こんな騒ぎがあったんだ。さすがに夜会は中止だろうな。……公爵妃がお怒りでなければいいが。
(けど、一体誰があんなのを差し向けてきたんだ……? 暗殺者としての手腕はお粗末とはいえ、命を捨てる前提なら、狙ったタイミングはよかった。アインハードがいなかったら、一人で対処する羽目になってただろうし……)
つうか、護身の術を持たなかったら一撃目で死んでたよ。
俺に武術の心得があると知る人間はそう多くない。少なくとも近衛部隊の騎士と近しくない者は知らないだろう。知っているのは俺と親しい宰相くらいだ。
(俺は次の王だ。特にキャロルナ公爵派には過激派も多いし、そっちの方面で狙われる理由は考えるまでもないが……対外的には月の神子でもある。『聖女』を殺そうだなんて、余程恐れを知らないと見えるな)
まあ、女神の加護なんて、あるなしを証明できるもんじゃないから、信仰心の薄い元日本人としては気持ちはわかるが。
…………いや、待てよ。
女神を信じていないのではなく、真実軽んじているのだとしたら?
この国のことなんてどうでもいいのだとしたら?
あるいは、俺を殺す以外の目的があった『自作自演』だとしたら?
(……まさか)
俺は恐る恐る、後ろに視線を向けた。瞬間、背筋が冷える。
――アインハードは、冷たい瞳で俺を見ていた。
獲物を定めるような、あるいは、学者が実験動物を冷徹に矯めつ眇めつするような。
(いやいや、マジ何あの目……)
そんなにニセモノが聖女やってるのが気に障ったのだろうか。いやまあ、普通の感性を持ってれば気には障るだろうけど、魔国太子としては仮想敵国の綻びをつくチャンスだろ! むしろ喜べよ!
それとも俺を見極めるために暗殺者を差し向けたとか? 別に死んだら死んだで構わない、みたいな思考で――。
「うう……」
「お義姉様、大丈夫ですか? やはり、どこかお怪我を……先程の暗殺者のせいですか?」
ああ、もう、お先真っ暗すぎて、人目も憚らず号泣したい。
誰か、この哀れな悪役王女に救いの手を。
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