6 愛称
「!」
気がつけば――『彼』が、妖艶な微笑を浮かべて目の前に立っていた。
絶世魔王の後継。月の女神の夫たる太陽神と対になる、闇の神の末裔。
そして、どこかの世界で、ディアナ・リュヌ=モントシャインを処刑した男。
本来、一代貴族――準男爵が、突然王族に声をかけるなど、無礼な行動に当たる。武術統一大会の優勝者が、この国において非常に栄誉ある人間と認められているにしても、だ。
にもかかわらず彼には、それを咎めさせないような、そして誰にも文句を言わせないような、威風堂々たるオーラがあった。公子もシャルロットも、宰相でさえもその空気に呑まれつつあるのがわかる。
(けどまあ、それも当然といえば当然なんだけど)
なぜなら、この男の本当の身分は王太子。
――平民から準男爵に上がっただけの力ばかりの田舎者ではなく、れっきとした魔族の王子なのだから。
「一代貴族ごときが、とお思いでしょうが、どうかご無礼をお許し下さい。そしてぜひとも、この私に、皆様に挨拶をさせていただくお許しを」
「……許します」
この場で最も身分の高い俺が代表して言えば、一瞬、アインハードが驚いたような表情になった、ような気がした。しかしそれを疑問に思うよりも先に、彼が妖艶な微笑に戻る。
「イーノ・スターニオ、と申します。この度、王立騎士団の近衛部隊に所属が決定いたしました。以後、どうぞ、お見知りおきを」
「初めまして、イーノ・スターニオ。国王が長女、ディアナです。社交界に顔を見せるのは初めてだそうね? 楽しんでいらして」
「……この国で最も尊き女性から、お言葉を賜るなど光栄です。月の神子様」
ひくりと頬が引き攣る。皮肉のエッジがきいてやがるぜ。
(お前なら既に俺がホンモノの聖女じゃないってわかってるはずだろうに)
魔族の王太子なら、聖女の魔力を感じ取るくらいわけないはずだ。原作のように、シャルロットが真の聖女・月の神子だとすぐに看破しているはずだ。
くそ、魔国太子め。いくら顔が抜群にいいからって、うちのシャルロットにはそうそう簡単に近寄らせんからな。
アイ×シャル推しとはいえ、俺は自分の身も可愛いのだ。推しカプを眺めることを楽しむためには、まず、己の身の安全を確保してからである。
「グンテル・エクラドゥールだ。噂はかねがね、スターニオ殿」
「スターニオ様。初めまして、第二王女のシャルロットと申します」
「宰相閣下、第二王女殿下。お会いできて大変光栄に存じます」
やはりエクラドゥール公爵とシャルロットを前にしてもいささかの動揺も見せないか。振る舞いのどこにも隙がない。
ほう、とエクラドゥール公爵が感心した様子を見せたのがわかった。一代貴族にしてはあり得ないほどの作法の仕上がりだからだろう。
「卑賎な身ではありますが、実は個人的な事情で公爵にはお目にかかってみたいと思っていたのです」
「ほう、それは何故。私は君が興味を持つほどの武道の達人ではないが」
「魔物の研究をしていらっしゃるとか。実は閣下が大学で書かれたという論文を拝見する機会がありまして」
「なるほど、そちらの方面か。いやはや、今は研究は趣味のようなものだが、改めて言われると恥ずかしいものだな。君は魔物の研究に興味が?」
「ええ、研究書を読む程度でお恥ずかしいですが。やはり魔物は闇の神の眷属である魔族以外には悩みの種でもありますし、いまだ解明されていない謎も多く――」
なんだこの会話ものすごくヒヤヒヤする。
つうか『研究書を読む程度』だとか『魔物は闇の神の眷属である魔族以外には悩みの種でもあります』とか、あいつどの口で言ってるんだ? なんつう厚顔ぶり。いっそ感心する。
ああ、とシャルロットが控え目に声を上げた。
「そういえば閣下は研究者でいらしたんでしたね」
「ええ。シャルロット殿下も魔術の学問に精通していらっしゃる、何かあれば聞きに来てくださっても構いませんよ」
「わたしなど。お義姉様の聡明さに比べれば到底かないませんもの」
バカバカ、無駄に持ち上げるんじゃない。お前のほうが出来がいいのにどういう意図だ!
「……王太女殿下と第二王女殿下は、ご姉妹で仲がよろしいのですね」
(ヒィィィィィ~~~!)
何を考えているのかわからん薄い笑みで言うアインハードに怖気が走る。シャルロットの顔をじっと見ている様子なのも怖いし、シャルロットが俺に背中を向けているので彼女の表情が見えないのも怖い。俺はいったいどうすれば。
「…………あ、あの。そう、見えますか?」
「はい?」
「わたしと王太女殿下の仲が、その、いいと」
「……、ええ」
シャルロットは何を聞いてるんだよ。明らかに答えに困った顔してるよ、アインハード。
てか、そんなに俺と仲がいいって思われるのが嫌なのか? 傷つく…………。
「……」
「……」
(沈黙やめろ!)
何とも言えない顔をしていたアインハードが、「では」と少し緊張した面持ちで口を開く。
「愛称で呼び合うことなども?」
「愛称で……?」
「たとえば、殿下でしたら……ロッテ、ロッティ、などと。親しい間柄だと、愛称で呼び合うことが多いでしょう?」
「…………、ございません、ね」
「そう、ですか。やはり王女殿下方ともなれば普段の会話にも格式が必要なのでしょう」
なんだかショックを受けたようなシャルロットと、当てが外れたような顔で言うアインハード。二人の間で一体何が起きているのだろうか。
俺が内心で首を傾げていると、おもむろにアインハードが微笑みを浮かべた。完璧に調律された美しい笑みだった。
「――それでは殿下方、宰相閣下、貴重なお時間をいただきありがとうございました」
「いいえ。あなたもよき夜を」
会話では蚊帳の外だったとはいえ、代表して俺が応える。アインハードが内心の読めない笑みのまま頷くとまた礼を取り、去っていく。
その姿を見送ったところで、すすす、とシャルロットがそばに近寄ってきた。
「……あの、お義姉様。その、二人きりの時だけでいいのです」
「ん?」
「一度、わたしをその……愛称で呼んでいただけるでしょうか」
「別に構わないけれど……」
「本当ですか?」
「ええ」
ぱっと顔を輝かせるシャルロット。そんなに喜ぶことか? とは思ったが、まあ可愛いからなんでもいいかと思い直す。
そういえば、あの時――西区であの子に、シャルロットの愛称を名乗ったな。あの時は、一体なんて名乗ったっけ。
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