8 王都貧民街
*
運命を変えようと努力したところで無意味なのかもしれない。何もできず、原作の潮流のままに処刑されてしまうのかもしれない。
――俺は、アーダルベルトが死んでから一ヶ月ほど経っても、茫然自失としたまま日々を過ごしていた。
第一王子の死によってさらに重篤な症状になった王は、今まではできていた最低限の執務でさえ困難になった。そんな状況だからこそ、事実上の王太女となった俺に求められたのは、次の王となる者に相応しい振る舞いだったが、正直できている気がしなかった。
結果的に何もかも無駄になるなら、頑張ったって無意味じゃないか?
「ヒルデガルド」
「はい、姫様」
いずれどこかに降嫁するか他国に嫁ぐ王女としての淑女教育から、次期国王教育に切り替えられたことで増えた課題。それをこなす手を止め、俺はそばで監督していた筆頭側仕えに声をかけた。
「気が滅入ってきたから、少し部屋を出るわ。庭園に足を伸ばしたらすぐに戻ってくるから、お茶を用意しておいて」
「……かしこまりました、姫様」
恭しく頭を下げたヒルデガルドに、少し笑ってみせた。
皆が俺を『王女殿下』と呼ぶ中で、『姫様』と呼んで年相応の子ども扱いをしてくれるのは、もうヒルデガルドだけだった。
だから心苦しい。彼女を騙すのは――。
(もう逃げてしまおう)
少ししたら戻るなんて嘘だ。
この先若くして死ぬのが決まっている人生なら、自分で生き方と死に方を選びたかった。どうせ俺は偽物の王女で、真の王族になんてなれない卑怯者なんだから、逃げたって結局卑怯者には変わりない。
俺は以前こっそり調達しておいた、かろうじて富豪の平民の息子に見える衣装を着ると、上から全身をすっぽり包む外套を纏った。
王族身分を示す金の指輪は持ち出すかどうか迷ったが、どこかで野垂れ死んだ時の身分証になるかもしれないからと、持っていくことに決めた。……うんまあ、飢えたら裏ルートで売って金にしちゃうかもしれないけどな。
――外套に身を包み、王都中心街に出る。
護衛騎士を伴ってのお忍びで、なら、王都には一、二度足を運んだことがあったが、お供もつけずに町に出るのは初めてだった。
冬の到来直前に町に降りたのも初めてなので、いつもとは違う雰囲気に緊張する。
外套はかなりいい誂えのものしか用意できなかったので、万一にも人攫いに遭わないよう、振る舞いには気をつけなければならない。王都の中心街と東区は治安がいいと聞いてるけど、念のためだ。
「……これからどうするかな」
潜伏するなら、少し治安は悪いらしいけど、居場所がばれにくそうな西区の方がいいだろうか。
(この外套も、多少買い叩かれてもいいからとっとと売ってしまって、安い外套と食料を買った方がいいよな)
そんなことを考えながら西区へと足をのばす。意気揚々とはいかなかったが、初めての経験に少し胸が弾んだ。この世界で目覚めて初めての、自由らしい自由だったからだ。
――不穏な空気になってきたのは、中心街を外れ、西区に出た時だった。
まず、空気の質が違った。冬を目前にした清廉な空気に包まれながらも、人々の活気があった中心街とは違い、西区は暗く淀んだ空気に包まれ、沈んでいるかのようだ。
(それに、臭い……?)
明らかに衛生状態が悪いとわかる、溝のような臭いがするだけじゃない。甘く、饐えたような臭いがそこかしこから漂ってくるのだ。
何の臭いなんだろうと思いながら、恐々と足を進める。この辺りが、貧困層向けの住宅や宿屋が集まる区域であることは知っているが、それにしたって酷い臭いだ。
仕事を求めてパブに集まる大人たちは皆、驚くほど小汚かった。
それだけじゃない。路地で眠っているのかと思っていた老人が、息を引き取っているのを見た。子どもがぼんやりとした目で、物乞いようの器を抱えて茣蓙に座っているのを見た。――飢え死に直前の人間の腹は膨れるんだって、俺はそこで初めて知った。
(いやだ)
恐怖に手足が震えた。
(帰りたい……)
西区に入って一刻もしないうちから、俺は、逃げ出してきたことを後悔しはじめていた。生きるも死ぬも自分が決める、なんて、格好つけたことを思っていたくせに――。
するとその時、何やらもめている声が聞こえてきた。
見れば、ガラの悪い男に、小さな男の子が折檻されている。どうやら、彼は窃盗の疑いをかけられているらしい。
……だからと言ってやりすぎだ。
「こんな小さい子相手に、いい大人が何やってんだよ!」
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