6 火急
*
――五十年以上聖女を務めているというから、ヨボヨボのおばあちゃんを想像していたが、神殿に赴いて出会った彼女は、俺が考えていたよりも余程矍鑠としていた。
「まずは、王女殿下。お会いできて光栄でございます。第九十五代目月の神子、マルガレータ・カーザグランデと申しますわ」
「現国王が長女、ディアナと申します。こちらこそ、我が国の月の女神の化身にお会いできて光栄ですわ」
「まあ」
女神の化身と言われ――通常これは、聖女を過剰に褒め讃える時によく使う言い回しだ――聖女はどこか困ったように、頬に手を当てて笑った。
でも、本当に女神の化身みたいに綺麗な人なんだよな。
なんと言ったって、八十になるおばあちゃんだというのに、立ち居振る舞いに瑕疵が全くないのだ。社交でも普段の振る舞いでも、『粗忽な……』とヒルデガルドに呆れられる俺からすると、尊敬の対象である。
「本来ならば、以前より来訪をお約束していた王子とその婚約者が顔を見せるべきところを、城の都合で急遽変更してしまい、大変申し訳ございませんでした。……王女と王子では、神殿側も出迎えの仕方が変わるでしょうし、お手数をかけたでしょう」
俺は、王女を迎えられるように完璧に整えられた客間と、ローテーブルに載せられた、姫に好まれそうな甘いお茶菓子を見る。
一方の勝手な都合による直前の予定変更がキレ案件なのは、現代でもこの国でも同じはずだ。この人の側仕えの神官と巫女は、さぞかし困惑しただろう。ごめんよ……。
「まあ、ディアナ殿下。どうかお気になさらず」
しかし聖女は怒りなど全く感じさせない声でそう言うと、おっとりと微笑んだ。「――お気遣い頂き、ありがとう存じます。けれど、本当に大丈夫なのですよ。だって、わたくしもそうすべきだと思っていたのですから」
「そうすべきだと思っていた、と仰いますと……?」
「立太子礼を明日に控えたこの日に、外を動き回らない方がいいのではと考えていた、ということです。アーダルベルト殿下の公務への勤勉さは美徳ですが今回ばかりは、あまり……いい予感がしませんでしたのよ」
「そうだったのですか……」
ほー、と感嘆のため息をつく。
いい予感がしない、ということは――これも婉曲した表現にしているはずだから、恐らく彼女はメチャクチャ嫌な予感を覚えていたのだろう。
その嫌な予感が原作での『事故死』を示しているのだとしたら……。
(神事は非公開だし、聖女の力を目にしたことないからわかんないけど……本当にお飾りの、象徴的な存在とかじゃないんだろうな)
原作で王女が、真の聖女の威光と功績を軽んじているように見えたのは、聖女の力が具体的に明示される機会がなかったからなのかも。
だから、別に聖女ったって大したことしてる訳じゃないんだし、追い出したところで奪った魔力があれば神事くらい簡単でしょ? と思ってしまったとか。
黙り込んだ俺を見て、聖女がおもむろに首を傾げた。
「殿下、顔色が……何か、不安事でも?」
「い、いいえ。……あ、でも、不安なのは、そうかもしれませんね。わたしは妹姫としてきちんと兄を支えることができるのか、と……」
「ディアナ殿下ならば、きっと大丈夫ですわ」
微笑んだままの聖女が静かに目を細める。
春の晴れた空のような、透き通った水色の瞳だ。
「――それにディアナ殿下は、きっと何か、大きなものを背負っておられるのですね。顔つきが、試練に悩まされる者のそれですわ」
「え……」
「王女殿下。何か、抱え込んでいる不安がおありなら、お兄様に相談なさいませ。あの方ならきっと、お力になってくださいますわ」
「え……?」
「そして王女殿下も同じように、新王太子を守って差し上げるのですよ」
聖女の水色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。
――王宮は、本心を隠すのに長けた魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿。誰が敵で誰が味方かわからないあの場所で、次期国王の心許せる存在となれ。
彼女の今の言葉は、つまり、そういう意味だった。
「……はい」
これほど素晴らしい人でも、原作によれば今から六年後に亡くなってしまう。寿命という、変えられない運命によって。
俺は目を伏せると、そのまま深く頭を下げた。
そうだ、俺は、アーダルベルトを守らなければならない。この国の未来のためにも、そして自分のためにも。
しかし。
「ご――ご歓談中失礼いたします、聖女猊下! 王女殿下!」
「何事ですかアリアナ。王女の御前ですよ。無礼でしょう」
慌ただしく客間へ入ってきたのは、巫女服を纏った女性。相当慌てていたのか、顔中に汗が滲み、肩で息をしている。
たしか聖女の側仕えだったっけな。さっき挨拶を受けた時は礼儀正しそうな雰囲気だったけど……突然どうしたんだ?
「で……殿下、どうか落ち着いてお聞きくださいまし」
「え? あ、はい……」
「殿下が、アーダルベルト殿下がっ……毒でお斃れにっ……」
「……、
は?」
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