5 未来を変えるために

 何を言うべきだろうか。

 迷った挙句、俺は兄と顔を合わせないままに呟いた。


「わたしは……何も変わってはいません」


 そう、『俺』は、何も変わってはいない。

 何もわからないまま死んで、そのまま生まれ変わって、変わる余地もないまま生きているだけだ。


「わたしはお兄様のように、立派な王族ではありません。志が高いわけでもありません。ただ……わたしは、平穏に生きていきたいだけ」


 意に沿わぬかたちで異世界なんぞに来てしまったのだから、来てしまったなりに、せめて、楽しかったと思える人生を送りたい。

 学ぶ努力をするのも王女を演じるのも、全部そのためだ。

 俺は自分のために自分の人生を生きている。――奪ってしまった王女の人生を返すことはできないから。


「お兄様の作る国の行く先を見届けたい。お兄様を妹として支え、国を守りたい。そのために、知識がほしい。

 ……それらの望みは全て、自分のためなのです」


 俺は自分の身が可愛い。

 せめて小説の中の結末を変えるために、突破口を探している。


 アーダルベルトを王にしたいと願うのも、今後の自分の身の安全のためだ。



 ――そう。

 王女ディアナはとうに『死んだ』。俺は王女の振りをしただけの偽物だ。



(アーダルベルトは……本当は、気づいているのかも)


 俺が、『ディアナ』ではないこと。

 わかった上で、さっきの質問をしたのかもしれない。――『何が君を変えたのか』と。


 そして違和感を飲み込んだのかもしれない。

 ――彼はこの国の王子だから。より『国のため』を思って、妹の『死』を黙殺したのやも――。


(……いや。

 考えても、詮無いことだよな)


 いくら考えを巡らせたところで、他人の真意などわかるはずもない。

 

「……そうか。すまないね、いきなりおかしなことを聞いて」

「いいえ。お兄様こそ……わたしが自分のことばかりで、失望なさったのではありませんか? 利己的で、欲深くて、姫にふさわしくないと」

「そんなことはない。

 ……君は自慢の妹だ、ディアナ」


 ふわりと頭に手を載せられる。――頭を撫でられているとわかって、俺は目を瞬いた。


(……やさしい手つきだ)

 

 精神的に年下の少年に撫でられているというのは、ある種屈辱的な事実かもしれないが、不快さはなかった。

 じわじわと胸に染み込むような温かさに、気づけば俺は、自然と笑みを零していた。

 本来ならディアナに与えられるべき温かさだったのかもしれないが。……それでも。

 



 *




 ――そして。

 子どもの二年は長いというが、王女として気を張って過ごしていれば、そのとき――兄の死が確定している立太子礼のイベント――を迎えるまでの時間は、意外とあっという間だった。

 

 この二年、破滅的な未来を回避するためにできたことは少ない。

 そもそも転生者らしくとびきり優秀な子どもを装えていたならともかく、俺は勉学には長けてはいても、作法や立ち居振る舞いが悪い意味で王女らしくない、出来損ないの王女だ。

 自分のことで手一杯で、だからしたことといえば、シャルロットの境遇を知るべく、彼女の生家――アンベール伯爵家の情報を、ちょこちょこと集めたくらいだ。


 とはいえ。

 Xデーがすぐそこに近づいているのなら、少しでも後顧の憂いは絶っておきたい。



「……え? 今日は視察に行くな?」

「ええ。明日はいよいよ立太子礼の日でしょう。もろもろの準備もあるでしょうし、今日はお城にいらっしゃってはいかがですか?」


 朝。久々にアーダルベルトとともに朝食を摂った俺は、開口一番そう言い放った。

 家族の食事の場だが、ここにはいつもの通り父王の姿はない。


「とはいえ、一応、神殿の視察という公務だしなあ。立太子礼に必要な準備は済んでいるし、エウラリアにも話を通してしまっているんだよ。今日は非公式とはいえ、聖女様に王太子妃候補を紹介しようと思っていたんだ」

(聖女……やっぱり、間違いないな)


 もちろん彼の言う聖女とは女主人公シャルロットのことではなく、その前の聖女のことだ。先代は聖女に選ばれてすぐに洗礼を受け神殿に入り、年に一度の儀式以外の期間も神殿で過ごしている。――五十年以上を神殿での生活に費やす、非常に敬虔な巫女である。


 アーダルベルトの死についての描写はほとんどなかったはずだが、しかしそれでも確か、『神殿に行く時に事故に遭って死んだ』という記述がどこかにあった記憶がある。

 王族の移動にはもっぱら馬車を使うので、馬車で事故に遭ったのではないかと思うが、詳細は不明だ。

 それならもう、城から出ないでもらえればいいのだ。

 そうすれば、城の外で事故死なんて、恐ろしいことにはならないはず。


「でも、お兄様。立太子礼は明日なのに、もしも今日何かがあったらどうするのですか? 視察が必要でしたら、神殿にはわたしが参ります」

「ディアナ……。そうだね、うん、わかった。君の言う通り今日は王宮にいよう。城で大人しくして、明日に備えておくのも悪くないだろう」


 よし。俺は心の中でガッツポーズを決めると、「わかっていただけてよかったです」と微笑んだ。……これで、彼が外で事故に巻き込まれて死ぬことはないだろう。


「お兄様の立太子礼の礼服、楽しみです。馴染みの商人に装飾品を発注したのでしょう? かっこういいんでしょうね、うらやましいわ」

「ディアナの衣装も新調したものだろう? 南方の絹で作られたドレスだとか」

「……ええ、まあ、そうなのですけど」


 ここ数年で慣れたとはいえドレス、動きにくいんだよな。

 王子の着る、白い軍服みたいな礼服のほうが、ごてごてはしているものの憧れる格好良さがある。


「君はあまり装飾品を身に着けたがらないからね。着飾るのは嫌いかい?」

「そういうわけでは。でも、なんだか気が引けてしまうのです。わたしたちが身に着けているものは、全て国民の血税によって賄われているでしょう?」

「……うん、そうだね。その気持ちは大事だ。浪費はいけない、当然のことだ。

 でもねディアナ、王族だからこそ、見せなくてはいけない威厳もあるものだ。装飾品の力を借りてでも。――それに君が多少贅沢しなければ、周りに不自由を強いる可能性もある」

「……経済を回せと?」

「それもある。ただまあ、外形も大事だ、ということだ。

 ――取り繕わなきゃいけない時だって、王族には多くあるものだから」


 アーダルベルトは微笑み、俺の髪を撫ぜた。


「……お兄様からいただいた髪飾りや宝石は、きちんとしまっておりますよ。幼い頃いただいた小物入れの中に」

「大事にしてくれるのは嬉しいのだけれどね、小物入れの肥やしにされたら切ないな」

「うぐ」


 寂しげな笑顔で言われただけなのに、この目に見つめられるとどうにも弱い。俺は黙り込んだまま頷いた。


 ……この人の声にも、言葉にも、表情にも力がある。


 きっとアーダルベルトはよい王になる。

 彼が王太子になり、王になればきっと、これからの未来も大きく変わるはずだ。

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