4 問う

 *




 ――子供の頃から染み付いた仕草や癖はそう簡単に抜けない。二十年弱も男として生きてきたので、日々の立ち居振る舞いを矯正するのは至難の業だった。


 しかし、あの覚醒の日から数ヶ月、勉強だけはたくさんしていた。勉強嫌いで、単に容貌が愛らしいだけだった王女に辟易していたらしいヒルデガルドが「人が変わったよう」と評すくらいには俺は勉強した。


 ――何より、楽しかったのだ。歴史も政治も、ハマった小説の世界観と思えば楽しい。数学はもともとそこそこできるので、八歳児の計算など物の数ではない。


 文字を覚えれば、話し言葉が都合よく話せている以上、読み書きに苦労はしなかった。

 そも、俺は必死だったのだ。この世界で生きていく以上、文字は可及的速やかに絶対読めるようになりたかった。


 なぜなら。

 文字が読めないと。


 

(本が読めないからな……!!!!)



 

 ――というわけで俺はいつものように王城の書庫にいた。

 だってこの世界娯楽がないんだよ本以外に。俺は生前(?)、本マンガ動画ゲーム映画を幅広く嗜むインドアオタクだったのだ。ゆえに娯楽がなければ生きていけない。……そしてこの世界にはマンガもゲームも映画もない。


 ならば俺は本を読むしかないのだ。


「では姫様、鐘がなったらきちんと書庫を出て、待機している護衛に声をかけて、私室に戻るのですよ」

「わかっています、ヒルデ」


 文字を教えた途端とんだ書痴になっちまったナ……どうすっかネ……みたいな呆れ顔をしたヒルデガルドがため息をつきながら書庫を出ていったが、まったく気にならない。


 昨日、面白い歴史書――この国の歴史なんか俺にとっては『魔国聖女』外伝みたいなもんである――を見つけたから、どうしても続きが読みたかったんだよなあ。

 ウッキウキしながら目的の書庫に向かう。そして目的の本棚に辿り着いて――俺は硬直した。


 目的の本がない!


「ウソォ……」


 そんな馬鹿な。

 誰かが借りたのか? 昨日の今日で?

 そんな……そんなことって……。


「あんまりだ……」


「――何がかな」


「ウヒャァ!」


 突如近くから聞こえた声に、とても淑女とは思えないような悲鳴を上げてその場を飛び退く。「天敵を見た兎か猫みたいだね」と、声の主――アーダルベルトは苦笑とともにそう言った。


「お兄様……」何故ここに、と考えるよりも先に、彼が小脇に抱えている本が視界に入った。「――って、ああっ! お、お兄様、その本!」


「この歴史書がどうかしたかな」

「そ、それ、わたしが読みさしだったもので……」


 あんただったのか! クソォ、もっと早く書庫に来てればよかった!


「……これを読んでいたのか? まさか、君はつい最近文字を覚えたばかりのはずだろう。こんな貴族学院の生徒の参考書になるような歴史書を……」

「ど、読書に目覚めたのです。書物は知識の宝庫ですから、王の娘であるわたしも、多くの書物に触れたいと思いまして、それで……」

「読書に……そうか……」


 そうだよだから読まないならその本を俺に寄越してくれ!

 ふむ、と何かを考える素振りを見せると、彼は唐突に「わかった」と言った。


「歴史を学びたいなら、僕から教えてあげられることもきっとある。その本は難しいだろうから、僕が解説してあげよう」

「……はい?」

「こっちへおいで、ディアナ」


 御歳十四歳になられる美貌の王子は、にこりと輝かんばかりの笑みをこちらに向けた。




 ――それからアーダルベルトとは、以前より交流を多く持つようになった。


 どうしてこんなことになったのだろうとは思ったが、悪くない傾向だと、すぐに思い直した。何せ、二年後の彼の死を止めるためには、そばにいる口実があった方がいい。また、親しくなった方が、いざと言う時の忠告を聞いてもらえる。


 アーダルベルトは精神的に年上であるはずの俺よりも遥かに大人びていて、しかも、非常に博識だった。誰が見ても立派な王子で、しかも、名宰相であるエクラドゥール公爵が後ろ盾についている。


 原作ではろくに描かれていなかったが、立太子礼の直前に訪れた彼の死は、さぞかしかの世界でも動乱を齎したことだろう。


「……それにしても、ディアナは変わったね」

「はい?」


 近頃勉強を始めたが、未だ読解に覚束ない古語の本を解説してもらっていたとき。

 最近すっかり打ち解けてきたアーダルベルトが、書庫に置かれた長椅子に背を預けながら、ぽつりと言った。


「突然、どうなさったのですか、お兄様」

「突然ではないよ。ずっと思っていたことだ。今のディアナは、僕の知る以前のディアナとは全く違う。人が変わったようだ」

「……」


 そりゃあそうだ。実際に別人なんだからな。


「以前のディアナも可愛らしかった。頭の回転は悪くないのは変わらないが、学びに対する姿勢が違う。……それだけじゃない。以前の君は、無邪気で、残酷だった。それは、唯一の王女であるがゆえに、自分以上に尊重されるべき人はいないのだ、というように育てられてきたせいでもある。ヒルデガルド以外の側仕えは、君を甘やかし尽くしたはずだからね。……けれど今の君は他人を尊重することを知っている」

「お兄様、それは」

「何が君を変えたのか、僕はずっと知りたかったんだ」


 自分と同じ、黄金きんの双眸がこちらを射抜く。



「わたしは……」


 違う。変わったのではない。

 偽物なのだ。

 既に、彼の「妹」だった、ディアナはいない。

 俺が――乗っ取った。

 いや――殺した、ようなものだからだ。


 でも、そんなことを彼に言えるか、と考えて、俺は黙って俯いた。

 言えなかった。……言えるはずがなかった。

 もうあなたの『妹』はどこにもいないんですよだなんて。あなたの妹は消えて、もう戻らないだなんて。10代半ばの少年相手に――。

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