3 第一王子アーダルベルト
ヒルデガルドが咎めるように声を上げた。「何故、こちらに。いくら殿下といえども、女性同士のお茶会に無断で踏み入るなど不躾ですよ」
「すまない。無粋は承知だ、許してほしい。でも、先日の話を聞いて、二人がお茶会をしていると聞いたらどうしても気になって。――僕はエウラリアの婚約者だしね」
王子と呼ばれた十三、四歳の少年は、俺――ディアナと同じ黄金の瞳をこちらに向けた。冷ややかな目付きにびくりと身を竦ませる。
(そうだ、そういえばディアナには兄王子がいたんだったな……)
原作では影が薄いから忘れていた。
……と、いうのも、第一王子アーダルベルトは『魔国聖女物語』の本編には、ろくに登場しないのである。
原作では、既に王妃が鬼籍に入っているために、王が病に臥したことで動ける唯一の王族として王女ディアナが権勢を誇ることになっていた。政治は、主に王の信頼篤い宰相エクラドゥール公爵と、筆頭公爵にして王弟であるキャロルナ公爵が舵取りをしており、そこに王子の姿はない。
――要するに、原作の時間軸では、アーダルベルト王子は既に死んでいるのだ。そして、たしか彼の死因は、今から二年後にある、立太子礼の前日の事故。
(王子についての記述はほとんどなかったはずだ……王女とはどんな関係だったんだろう)
いやまあ、この冷ややかな目付きを見れば、大体は察するんですけど。
「これは……お兄様。その、何か、ご用なのでしょうか」
「うん、ディアナ。エウラリアも突然すまないね。ああ、側仕えたちもそう畏まらなくて大丈夫、すぐに出ていくから。少しディアナに話したいことがあって」
「わたしに、で、ございますか」
「そうだよ。……ディアナ、駄目だろう。先日君はエウラリアのつけていたサファイアのブローチを強請ったそうだが、あれはエウラリアの御母堂の形見なんだ」
「エッ」
「王女である君が招待したお茶会で、王の臣下である貴族の娘に、物をねだる意味がわからないほど子どもじゃないだろう?」
「は……」
顔から、音を立てて血の気が引いていった。
(オイオイ、何してるんだよアホ王女! 勘弁してくれよ~~~~!)
あんな高価そうなブローチを譲れなんて言うこと自体やばいけど、王女主催の茶会でそれを言うのがもっとやばいってことくらい俺だってわかるぞ。茶会で直接おねだりなんて、『王女であるこのわたしがここまでもてなしているんですよ? だったら……わかりますよね??』っていう脅迫になるだろうが!
それでも『持ち帰って考させてください』が許されたのは、ひとえにエウラリアが公爵家の姫だったからだ。これが他の貴族の娘だったなら、王女に請われるまま大切なものを差し出さねばならなかっただろう。
……作中のシャルロットも、そうやって大切なものを奪われたりしてたのかな。
「殿下、わたくしは……他の装飾品ならば、姫様がどうしてもとお望みなら、差し上げました。でも、これだけは……このブローチはいくらお金をいただいても……」
「うん、わかってる。きっとディアナもわかってくれているさ。……ね?」
ひいいいい、目が笑ってないぜ王子様!
いや、でも、当たり前だよな。……王子は婚約者であるエウラリアのために、エウラリアでは言えない不満を、彼女の代わりに言いに来たんだ。
……いい王様になりそうな人なのに。
なんでこの人が死んでしまって、ディアナが王位継承者になったんだろう。
「――申し訳ございませんでした」
「え……」
しかし、まずは、頭を下げよう。『俺』がやったわけじゃないなんて、言い訳は後だ。
エウラリアとアーダルベルトが愕然としている空気を感じるが、それよりも。
「先日は……大変失礼なことを、公爵令嬢に申し上げました。もう、あのようなことは申しません。人の大切にしているものを無理に欲しがるなんて、王女として以前に、良識ある人間としてすべきことではなかったと思います」
「ディアナ……?」
「ごめんなさい、エウラリア様」
頭を下げたまま答えを待つ。
するとややあってから――ようやく我に返ったのか、エウラリアが慌てたように「顔をお上げくださいませ!」と言った。
「……お許しいただけるのですか?」
「姫様、王女殿下、下位者にそんなへりくだった言葉遣いをしてはいけません。……わたくしこそ、姫様の意に沿うことができず、申し訳ございませんでした」
エウラリア嬢は笑みを浮かべたまま、宥めるように言った。しかし、その声には困惑が滲んでいる。
明らかに、俺がこんなふうに素直に謝ったり、自分の非を認めたりしないと思っていた反応だった。……さもありなんだな。
「――二人が和解できたようで嬉しいよ」黙ってこちらのやり取りを見ていたアーダルベルトが、不意に口を開いた。「ディアナも、わかってくれてよかった。君も知らぬ間に大人になったんだね」
「お兄様……」
「それじゃあ、僕はこれで失礼することにするよ。あとは、お茶会を楽しんで」
ふわりと微笑み――アーダルベルトは踵を返すとそのまま部屋を出ていった。
「……」
出ていく時、アーダルベルトは一瞬、俺を見た。……冷ややかな目付きではなくなっていたが、不審そうな瞳だった。
――アーダルベルトは俺の変化を怪訝に思っている。だがそれをうまく隠した。頭が良くて、本心を見せないしたたかさを持っているということだ。それに、誰かを気遣う思いやりも持ち合わせている。
もしかしたら、と、俺は思った。
(――運命を変えてあの人を救えば、シャルロットは王子の侍女になって、聖女として真っ当に生きられるんじゃないか?)
白いテーブルの下で、ぐっと拳を握る。期待に胸が高鳴った。
(いや、もしかしたらあの王子であれば、アインハードとうまく付き合って、魔国とも友誼を結ぶことさえできるかもしれない)
思わず、笑みがこぼれた。先の見えない闇の中、希望の光が差し込んだ感覚。
――そう。
その時ようやく、俺は、この国で自分のすべきことを見つけた気がしたのだ。
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