桜はついに愛を知る

となりのOL

桜はついに愛を知る

 俺達には今日、三分以内にやらなければいけないことがある。

 俺と、よし乃様の人生に関わることだ。


 俺が仕えるのは、由緒正しい華族の大島家。

 よし乃様は、その大島家のご長女だった。

 

 大島家には古来より任されてきた神事がある。

 それが桜神楽さくらかぐら。春を寿ことぶく神事だ。

 この大役を大島家と、もう一家、十月とつき家が交互に担っていた

 

 十月家とは、神事を行う神社を挟んで隣同士。ほんの三分ほどの距離しか離れていなかった。

 それもそのはず、両家は遠い先祖を同じにしていたからだ。だが、数十代前に兄弟喧嘩にてたもとを分け、以降、両家は犬猿の仲として疎遠だった。


 今日は、そんな大島家と十月家の悲願が、ついに達成されるめでたき日。

 大島家のご長女・よし乃様と、十月家の若様のご成婚の日だった。

 

 数百年ぶりとなる邂逅かいこうに、互いの家のみならず村までもが浮足立つ。

 ちょうど桜の良き頃、目に映る何もかもが淡く華やいでいた。


 しかし、俺は知っている。

 当のよし乃様本人が、この縁談に乗り気でないことを。


 家族にまとめられた縁談であるゆえに、そこによし乃様のご意向は一切入らなかった。

 婚姻の近づくある日、よし乃様は俺にそっと告げたのだ。


「……お願い。私を、逃がして」と。


 俺の主君は大島家だ。

 物心がつき始めたくらいの幼き頃、捨てられていた俺を拾い仕事を与えてくださった御館様には、返しきれないほどの御恩がある。

 

 しかし、以降、ちょうど年が近いからと、俺はよし乃様の傍でずっと仕えてきたんだ。

 十数年ものあいだ立派に祭祀をこなし、我儘の一つもこれまでなかったよし乃様の初めての心からの願いを、無下むげにすることなどとてもできなかった。


 与えられた時間は三分。

 婚姻の当日。大島家から出て、十月家に到着するまでのたった三分の間に、俺達の運命が委ねられていた。


「お父様。お母様。これまで仕えてくださった皆様。ありがとうござました。どうぞ、お元気で」


 このよくある感謝の言葉が今生の別れの言葉になろうとは、俺とよし乃様以外には誰も思いもしなかっただろう。

 白無垢を着たよし乃様は、見送りの人々と二十年近くを過ごしたお屋敷をゆっくりと見回して切なそうに涙を浮かべ、横に控える俺に視線を落とした。そして、頷き輿へと乗り込む。

 

 起き上がった輿は、十月家へと向けて動き出した。

 沿道に居並ぶ民たちが、桜の花びらを散らせながら口々に祝いの言葉を紡ぐ。

 一片ひとひら、また一片と目の前で桜が舞うたびに、これから先のことに思いが、そして覚悟が募るようだった。

 

 ちょうど、両家の間といったところで、よし乃様が声を発した。

 

「染井神社の桜神様に、少しご報告をしに行きたいのです」


 予定にはなかったことだが、ほんの少しということで、よし乃様の手を取って神社の境内に足を踏み入れた。ザッと温かな風に舞う花吹雪が後ろで待つ人々の視界を鈍らせる。

 

 本殿より先は、許された者しか立ち入りできない場所。

 そこに一人入っていったよし乃様は……急いで衣を着替えて、内々陣奥の隠し通路から脱出した。


 この通路が開かれたのは、実に数百年ぶり。

 かつて両家が仲を違えた兄弟喧嘩、その原因となった、とある女性が使用して以来だという。


 俺も、神社の外で待つ人々に気付かれないように着替え、事前に教えられていた出口で待つ。

 少しして、暗がりから顔を出した、頬を赤らめたよし乃様の手を取った。

 

 ここから、はるか北を目指して進もう。

 二人で、これからの人生を共に歩んでいくんだ。


 そう決意を胸に走り去る俺達の背中を、宮司が穏やかに見届けてくれていた。

 そして、宮司は小さく呟いた。


「かつては争いに涙を濡らした桜が、数百年の時を超え、此度こたびはついに愛を得た。誠に、悲願を叶えられましたな。二人の今後の人生に、幸多からんことを」

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