終章
桜の
「いっぱーい!」
「綺麗ー!」
花弁を必死に追いかける幼い二人の子供のはしゃぎように、
「あんまり走ると転ぶわよ」
言った矢先に一人が転び、わあと泣き出す。駆け寄って抱き起こすと、彼女の金の巻き毛に、桜の花弁がふわりと乗った。結迦がそれを指でつまんで見せた。
「素敵な髪飾りがついてたわ」
子供はしゃくり上げながらそれを見つめ、「可愛い」と微笑んだ。すぐに機嫌が持ち直すのは、この年頃の子供ならではだ。
「母様、僕もっ」
見るともう一人の男児が、一房だけ赤が映える短い黒髪に、自分で桜色の花弁を降らせている。結迦は「素敵ね」と笑った。
そこへ──
「結迦ー!」
「隼斗兄ちゃんだ!」
立ち上がった結迦の横を二人の子供たちが転がるように駆け抜けて、デカウに纏わりつく。
「
大きくてふさふさした毛並みのデカウは、子供たちにとっては触れる機会が限られた玩具のようなものだ。言っても聞くわけがない。
「こらこら」隼斗は、子供たちが引っかからないように慎重にデカウを導きながら、結迦の前に辿り着いた。
「相変わらず、柊も来華も元気だなぁ」
いつもの柱に手綱を結んでデカウを固定すると、その背に積んでいた荷を下ろしながら一つを子供たちに渡す。「ありがとう」と受け取ったものの、二人はあまり興味を示さずに、それを側の棚に置いて、またデカウを構いだした。
「おいおい、優しく撫でてやってくれよ」
隼斗が苦笑する。柊よりも、来華の方が、少しばかり手荒な撫で方だ。
「来華、もう少し優しく」
心配した結迦が声をかけるが、来華の耳には届いていない。デカウは、諦めたようにされるがままになっている。
「聞いちゃいないぜ。ヤンチャ盛りだな。ダリュスカインの兄貴がいたら、雷の一つでも落としてそうだ」
「そうね」
結迦が微笑みながらも小さくため息をつくと、隼斗があっと口をつぐんだ。「──ごめん」
「いいのよ」
気まずそうな隼斗に、結迦は和やかに返した。「今頃、空の上でくしゃみしてるかも」
風が吹いて、はらはらと散っていく花弁を眺める結迦の横顔は、それでも少し寂しそうだ。
隼斗は腰に手を当て、空を見上げる。
「なんだよな。桜が好きだなんて言ってたくせに、もうじき見れるってとこで、逝っちまうなんて」
それも、幼い子供たちを置いて。
「そうね」結迦は同意したが、その横顔には、全てを受け止めた覚悟のようなものが見える気がした。
<覚悟していたかも、知れないけどさ>
こんな顔、させるなよな。
隼斗は心の中で、全く歯が立たなかった恋敵に文句を言った。
<逝っちまったらもう、本当に勝てないじゃないか>
冬が来るたびに心臓の痛みを訴えることが増えていたダリュスカインが、ついに桜の季節を待たずに逝ったのは、年の暮れに三十五歳を迎えたひと月ほど後だった。ある寒い朝、その時だけは心臓の痛みを一切訴えずに、眠るように静かに息を引き取った。
「でも、
ダリュスカインは持ち得る魔術を総動員して、魔力を封じ込めた結界石を形成すると共に、小屋から集落までの道、そして砂來の集落の周辺にまで、ある程度の年月が過ぎても解けることのない堅固な結界を張った。
そんな大掛かりな結界は、普通の魔術師では成し得ない。ダリュスカインは、自身が待つ突出した魔力を、全霊をかけて人々を守る方へ費やしたのだ。大陸の魔物との均衡は、未だ安定したとは言い難いが、おかげで、この地域の魔物に対しての耐性はかなり向上した。
結迦は、ダリュスカインとの間に双子を授かっていた。結迦の黒髪を受け継いだ男児が柊、ダリュスカインの金髪を受け継いだ女児が来華。まだ五歳の子供たちが、父親の死をそこまで理解していないのは、幸いなのかもしれない。
二人はデカウに飽きて解放すると、やっと、隼斗から受け取った袋から木彫りの動物の彫刻を取り出し、それぞれ桜の花弁を集めた中に入れたり出したりして遊びだした。
縁側に腰掛けた結迦の隣に座り、遊んでいる子供たちを眺めながら、隼斗は神妙な面持ちで口を開く。
「俺さ──ダリュスカインには敵わないだろうけど、出来るだけ力になるから」
結迦が、隼斗の方を向いた。その目にはどことなく、どう答えるべきか困ったような光が浮かんでいる。隼斗は慌てて訂正した。
「あ、いや。その、一緒になろうとか、そういうんじゃないんだ。ただ……こうやってさ、いつでも呼んでくれれば来るし、結迦がこっちに来た時は、何でも言ってくれって意味だよ──うん」
しどろもどろになっていると、結迦がくすくすと笑った。
「ありがとう」
でも。
また、風が吹いて、桜の花弁が舞う。
<カイン、見てる?>
結迦は、心の中で何処へともなく呼びかけた。
子供たちは幸せそうに遊んでいる。
隼斗や、砂來の集落の者たちも、何かにつけて手を貸してくれている。
今の自分は、なんと恵まれていることか。
<私は、大丈夫>
ダリュスカインが遺し、導いてくれた多くのものに囲まれ、この先もきっと、しっかり歩いて行けるだろう。
そうして、いつか彼の元に行った時には、聞き飽きるほど沢山の土産話を聞かせるのだ。
──結迦。
木々のざわめきの中に、自分を呼ぶ声が聴こえた気がして、結迦は顔を上げる。
その視界にふと、ひとひらの花弁が舞い──そっと広げた手のひらに優しく舞い降りた。
(了)
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