第10話 千年の結界

 廊下を移動中だったセバスチャンに声が掛かる。


「セバスチャン! ちょうどいいところに!」


「むっ、ミリィか。どうした?」


「メリーちゃんが、バーク様の部屋に連れ込まれてしまって。それで」


「ななっ」


 セバスチャンの顔が青ざめ、すぐに駆け出す。メリーとは敷地内にある従者用の離れで一緒に生活していた。独り身のセバスチャンにとって、メリーは愛娘みたいなものだったから、父性がセバスチャンの背中を押した。メリーがあの男に汚されるなんてことはあってはならない。


(我が不徳をお許しください。旦那様……)


 セバスチャンはサイモンに謝罪しながらバークの部屋へ急ぎ、部屋の前で驚いた。扉が壊れていたのである。そして中に人の気配。セバスチャンも慌てて中に入る。薄暗く、物が散乱した部屋を見て、顔をしかめた。が、今はバークに嫌悪感を抱いている場合ではない。状況を確認すると、ルークが部屋にあった石の扉に触れるところであった。ルークを見守るように、エルヴィナとキャエマが立っている。


 ルークが石の壁に触れた瞬間、水面にでも触れたかのような波紋が広がる。


「これは?」


「――先代の結界です」


 ルークの質問にセバスチャンが答えた。


「結界?」


「はい。先代が張ったものです」


「ふーん。どうやれば、解除できるの?」


「それは先代かバーク様しか知らないかと」


「なるほど。他に解除する方法は無いの? 殴って壊すとかさ」


「その結界は、そんなやわなものじゃないですよ。ご存じでしょう? 先代が【結界魔法】の名手と呼ばれていたことは」


 セバスチャンは、少年兵として参加した『緑壁の戦い』で見た光景を思い出す。先代が生成した結界は、幾千もの攻撃を受けても傷つくことはなく、堅牢な緑色の壁として敵兵を取り囲んでいた。その様は圧巻の一言で、そのときに感じた興奮は今でも覚えている。そして、そんな結界を生み出した名手が作り出した結界だ。生半可な攻撃では決して壊れないだろう。


「まぁ、知ってるけど。本当に無いの?」


「はい。ありません。この結界は、先代がその集大成として作り上げたもの。先代は、千年後も残る『千年の結界』だと誇らしげに語っていました」


「ふーん。で、ここには何があるの?」


「……悪趣味なものがあると聞いています」


 それまで先代のことを誇らしく語っていたセバスチャンだったが、負の側面を思い出し、トーンが落ちる。先代の悪趣味な部分だけは、どうしてもリスペクトできなかった。そして、その負の遺産が、自分の大事なものを傷つけようとしていることに気づき、セバスチャンは慌てる。


「も、もしかしたら、特殊な魔法を使えば、何とか。しかし、当然、それに対する対策も先代は講じているゆえ、そう簡単には壊せないでしょう」


 実際、先代がまだ存命だった頃、噂を聞きつけた有力な魔法使いたちが腕試しに破壊を試みたが、誰も壊すことができなかった。


 それ自体は誇らしいことだが、メリーのことを思えば、誇らしく思ってばかりもいられない。先代をリスペクトしたい気持ちとメリーを助けたい気持ちでセバスチャンの情緒が不安になる。さっさと壊して欲しいが、壊れて欲しくないと思う気持ちもあった。


「――特殊な魔法で壊せるなら、壊すことはできそうだな」


 ルークの言葉に、セバスチャンは驚く。


「なっ、どうやって」


「俺の魔法だよ」


「え、は?」


 セバスチャンは思わず吹き出してしまい、ルークの冷めた視線で慌てて真顔になる。


「ルーク様は魔法が使えないのでは?」


「使えるようになった」


「またまた御冗談を」


 こんな場でも冗談を言うルークにセバスチャンは苛立った。彼からの嫌がらせめいたものにはすでに慣れてはいるが、場はわきまえて欲しいと思う。


 ――そんなセバスチャンの前で、ルークの右手が黒い炎をまとった。


「え、あ」


 セバスチャンは言葉を失う。馬鹿な。ありえない。あのルークが魔法を使えるようになっている。


 ルークはセバスチャンに背を向けると、壁に向き合った。


「ちょ、ちょっとお待ちください!」


 セバスチャンは慌てて声を掛ける。


「何?」


「その魔法で何ができるのですか?」


「悪い事なら大体」


 ルークは不敵な笑みを浮かべると、その拳を石の壁に叩きつけた。


 ――瞬間。広がったのは波紋ではなく、ヒビ。ガラスの割れる音がして、結界が割れ、石の扉が崩れた。


 唖然とするセバスチャン。誰も壊せなかった、そして、千年は壊れないはずの結界が、いとも容易く壊れてしまった。セバスチャンはその事実を信じることができず、言葉を失う。しかも壊したのは、他でもないルークだ。


 ルークは振り返ることなく部屋に入り――メリーを襲おうとしていたバークと対峙した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る