第02話 意識改革

 いきなりパンツを見せてきた従者メリーを前に、ルークは渋い顔になる。


(彼女が自主的にパンツを見せてきたということにできないかな?)


 しかし、それが無理筋であることは理解している。ルークには、毎朝、その日のパンツを見せるよう命令した記憶があった。


「ああ、おはよう。メリー」


 ルークはメリーのそれから視線を逸らして挨拶する。


「とりあえず、そのスカートは下ろしていいぞ」


「はい」


 ルークは視線をメリーに戻す。メリーはスカートを下ろし、おどおどした態度で目を伏せていた。


「メリー。そのパンツを見せる命令についてなんだが」


「はい」


「明日からは見せなくていいから」


「……え?」


 驚くメリー。


「見せなくていいんですか?」


「ああ。見せなくていい」


 メリーは喜んでくれると思ったが、目からぽろぽろと涙をこぼした。


「え、あ」


 ルークが困惑していると、メリーは言った。


「もしかして、私はもう用済みなのでしょうか?」


「い、いや、そんなことはないぞ! むしろ、これからもその働きには期待している!」


「じゃあ、どうして?」


「自分が間違っていることに気が付いたんだ。メリーのような女の子にあんな命令をするなんて、どう考えても間違っている。だから、これからは見せなくていい」


「……私のことを捨てるわけではないのですね?」


「もちろんだろ」


「うぅ、ありがとうございます」


 メリーがなおも泣き続けるので、ルークは戸惑いながらメリーにハンカチを渡した。目の前で泣かれると、普通に困る。


「ほら、これを使って」


「でも」


「いいから」


 ルークが無理やりハンカチを持たせると、メリーは「ありがとうございます」と言って、その涙を拭った。


「……今日のルーク様はとても優しい。何かあったのですか?」


「心を入れ替えたんだよ。俺は今まで、少々悪い事をしすぎていた」


「……どうして、突然そんなことを」


「ん。ただの気まぐれ。変、かな?」


「いえ、そんなことはありません。とても素晴らしいことだと思います」


 微笑むメリーを見て、ルークも自然と笑みがこぼれた。


「あ、すみません。従者なのにですぎたことを言ってしまって」


「いいよ。それより、ご飯を食べに行こう」


「はい!」


 ルークは着替え、食事の部屋へ向かう。そこには執事であるセバスチャンがいて、礼儀正しい角度でお辞儀しながらルークを迎える。


「おはげーでございます。ルーク様」


「ああ、おはよう」


 ルークは戸惑いながら挨拶する。セバスチャンは皴が一つもない上等なスーツを着ているが、その顔には長年の心労が皴として刻まれていた。また、度重なる気苦労によって、ふさふさだった頭部はつるつるになっている。だから、心無いルーク少年は、その頭部を馬鹿にし、朝の挨拶では「おはげーでございます」などと恥辱極まりない挨拶をするよう命令していたのであった。


 無礼な振る舞いの数々を思い出し、ルークは自然と頭を下げていた。


「セバスチャン、今まで本当にすまなかった」


「な、お顔をお上げください」


 セバスチャンに促され、ルークは顔を上げる。セバスチャンは不審者を見るような目でルークを見ていた。また何かのいたずらだと思われているらしい。


「どうかされたのですか?」


「これまでの非礼を詫びたいと思ってな」


「……どうして、また?」


「……そういう風に思ったからだ」


「そうでしたか。では、ありがたく、その言葉を受け入れましょう。お気遣いありがとうございます」


 セバスチャンは微笑むが、その目は笑っていない。ルークの謝罪を信じ切れていない様子。ルークに対する不信感は根深いらしい。


(これは、時間を掛けて信じてもらうようにするしかないな)


 ルークは改めて、セバスチャンと向き合う。


「とりあえず、挨拶するときは『おはようございます』で大丈夫だから。というか、そうして」


「……承知しました」


 ルークは頷くと、席に座って、朝食を待つ。


 トレイに朝食を載せた従者のエルヴィナが現れ、ルークの前に朝食を並べていく。エルヴィナは中年の女であったが、緊張しているのか、その手が震えている。


(『早くしろクソババア』とか言っていたからな。まぁ、しゃーないか)


 ルークは自分自身に呆れる。魔法が使えないのに、周りに対して謙虚になれない態度が、信じられなかった。といっても、前世の記憶が戻る前のルーク少年はただの悪童ワルガキ。ここから挽回していくしかない。


(とりあえず、エルヴィナにはどんな風に謝罪しようか)


 エルヴィナに対する謝罪の言葉を考えていると、「ああ!」と短い悲鳴が聞こえる。エルヴィナがスープを少しだけこぼしてしまったのである。


「も、申し訳ありません。今すぐお拭きいたしますので」


 顔を真っ青にするエルヴィナに、ルークは微笑みかける。


「大丈夫。怒っていないから、落ちついて作業しよう」


「え、あ、へ?」


 エルヴィナは呆然となる。豆鉄砲でもくらったハトのようだ。


「い、今、何とおっしゃいましたか?」


「え? 大丈夫。怒っていないから、落ちついて作業しようと言ったんだけど」


 エルヴィナはまじまじとルークを眺めた後、心配そうに眉根をよせる。


「具合でも悪いのでしょうか?」


「そんなことはないけど。それより、何か俺も手伝おうか?」


 エルヴィナは驚きすぎて、持っていた布を落とした。呆けた顔でルークを見つめる。ルークは布を拾うと、彼女に代わって、こぼれたスープを拭こうとした。が、その手をすごい勢いで掴まれる。


「も、申し訳ありません! 何か気に障るようなことをしたのでしょうか?」


「いや、そんなことはないけど」


「でも、それじゃあ、なぜ、そのような優しい心遣いを……。もしかして、今日でクビなんでしょうか!? そうなんですよね!? お願いします! それだけは!? 旦那の稼ぎだけでは、子供たちを養っていけないんです!」


 ルークは鬼気迫る表情で体をゆすられ、逆に失礼なのでは? と思いつつも、自分に対する従者からの評価を実感し、早急な関係改善が必要だと思った。


 このままでは、従者に刺されかねない。


 ということで、ルークは早速行動に取り掛かる。


 ご飯を食べた後、食器をまとめ、厨房へ運ぼうとした。が、顔を真っ青にしたエルヴィナに止められる。


「ルーク様! 何をなされるつもりですか? まさか、それを割るおつもりじゃ」


 エルヴィナが食器をかっさらったので、ルークは渋い顔で答えた。


「いや、それを厨房に運ぼうと思ってな。いつも運んでもらってばかりで申し訳ないし」


 パリーン! と皿の割れる音が響いた。エルヴィナが皿を落としたのである。


「あ、ちょっと」とルークは慌てるが、エルヴィナはそれどころではない様子。


「や、やはり、私をクビにするおつもりですか!?」


「いや、べつにそういうわけじゃないけど。ただ、いつもの感謝の気持ちかな」


「ひゃあああ!」とエルヴィナが短い悲鳴を上げる。


「ルーク様が感謝? それは呪いか何かですか?」


「俺を何だと思っているんだよ。ってか、それは本人を前にして言うことじゃないよね」


「は、はひぃ、すみません。しかし、私は何が何だか」


 慌てふためくエルヴィナを見て、ルークは悟った。今はそっとした方がいいかもしれない。


「……わかったよ。とりあえず、皿はちゃんと片付けるように」


「は、はい!」


 ルークは部屋を後にして、廊下を歩きながら、メリーに問いかける。


「俺が感謝を示すのってそんなに変?」


「……はい。正直、そう思います」


「マジか」


「あ、いや、でも、私は素敵なことだと思います」


「……ありがとう」


 しかし、これは困ったことになった。人として当たり前のことをしようとすると、それが仇になる。自分のせいではあるが……。


(まぁ、徐々に認めてもらうしかない)


 破滅の運命を回避するため、ルークは頑張ろうと思った。

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