戸柳市


 都内から新幹線で約一時間。車やバスで向かうと約二時間半かかる所に小さな町があった。東西北を山山で囲まれ、唯一山が存在しない南側には、水平線へ永遠と続く広い青い海があった。基本四方を山々に囲まれている為、滅多に気づかれることのない秘境と呼ばれる場所に、その町は存在していた。

 誰もが通り過ぎてしまうこの町には幸運な事にも通過し停車してくれる新幹線がある。冒頭にも述べたが、この町へ来るには新幹線に乗るか、山の中を掘ってできたトンネルを通るしか方法はない。

 そんな秘境に位置する町の名を『戸柳市』という。由来は誰も知らない。ただ、この町で産まれ、育つ者はこの町をとても愛している。緑豊かで美味しい空気に、頬を撫でる優しい風、波の音は口笛の様に心地の良い音色だった。


 そして、戸柳市には不思議な力を持つ者が代々存在していた。




「視える者……?」

「はい」


 足取りの悪い山道――では無く、コンクリートで舗装された道の上を高野は歩く。高野の隣を歩く女性は、町の景観を不思議そうに見渡しながら高野の話に耳を傾けた。高野に案内されるがまま歩いていたのだが、突然聞きなれない単語を口にされ、女性は鸚鵡返しをした所だった。


「えーと、ちょっと話が見えないのですが……」

「そうですよね。僕も見えていません」

「はぁ……」


 どう説明しようかと高野は眼鏡をクイットあげた。女性はそんな高野を横から見上げる。自分よりも少し背が高く角張った肩幅だが、華奢な身体の線が服の上からでもわかった。太陽の光を浴びると赤く見える髪の毛や、長い睫毛、整った顔立ちは少し現実離れした容姿だった。まるで漫画から飛び出てきた様な青年だ。


「モテますか?」

「はい?」


 気がつけば訳の分からない事を迸っており、怪訝そうな顔をして振り返った高野の表情を見て、女性は慌てて顔の前で手を振った。


「な、何でも無いです! はい! 気にしないで下さい!」


 カァっと赤くなる顔を隠したまま女性は高野と肩を並べて歩いた。二人の間を穏やかすぎる風が通り、風に乗って煮物の匂いがした。

 時計が手元にある訳では無いので、今の時刻を正確に知ることはできないが、人通りの少なさと、海の上に浮かぶ太陽の位置からして正午過ぎである事は推測できた。


「僕、モテませんよ」

 不意に、高野が答えた。


 先ほどの質問に答えられるとは思わなかった女性は、青い瞳で瞬きを繰り返した。高野はまっすぐ前を見て歩きながら答える。


「僕もこういう説明の仕方は想定していませんでしたが、丁度良かったです。きっかけを有難うございます」

「え……えーっと?」


 女性は首を傾げた。


「私が、何のきっかけを作ったと……?」

「さっきの話の続きです。あ、モテるとかの方じゃ無くて、その前に話した“視える者”の話の続きです」

「あ……――」


 真っ直ぐ直線の通りを、高野は右に曲がった。狭い路地へ進んで行く。


「この町には、遥か昔から“視える者”と呼ばれる神力を分け与えられた人間がいるとされています」


 僕みたいに、と高野は自分を指さして言う。


「神力を持つ者は、この世のもので無い生き物を視る事ができ、会話をする事も、触れる事も出来る。言ってしまえば、人智を超えた力を持っているんです」

「だから、私が見えるんですね……」

「はい。視えます」


 そう高野は断言した。清々しいほど透き通る声で――。


「――失礼な事を聞いても良いですか?」

「はい?」


 路地があけた所で小さなお店が現れた。煉瓦の壁に左右を挟まれ、その間に木質ドアと小さな提灯が飾ってある。こじんまりとした店構えで木質のドアが少しだけ廃れて見えた。

 高野は立ち止まりポケットから鍵を取り出す。その間、口は動いているが女性の方を振り返る事は無かった。


「いつ、自分が霊だと気が付いたんですか?」

「……誰も私の声に反応してくれなかったのが最初の記憶です」


 ガチャリと鍵が開き、ドアノブに手をかけたまま高野はやっと振り返る。女性はブロンドの髪の毛を指に巻き付けながら、どこか寂しそうな蜜柑色の瞳で間を開けて云った。


「気がつくと見慣れた街中で一人立っていて、何も持っていなかったので近くを通った人に話しかけたんです。でも、反応してくれなくて……。最初は普通に聞こえなかったのか、人と関わりたく無いのかどっちかだと思ったんだけど、時間が経つにつれ色々分かってきました。自分の影は無いし、ガラスに姿も映らない。お腹も減らないし、疲れもしない。……決定的だったのは街中にある大きなテレビに映ったニュースです。つい一週間前に起こった電車の脱線事故が取り上げられていて、亡くなった方の名前がテロップで流れていました。そこには私の名前も載っていました。自分の名前が出た時は、何の言葉も感情も出なかったけど、ただ“嗚呼、私はもう生きてないんだな”ってどうしようもない事実だけが、突きつけられた気分でした……。あの、私も失礼な事聞いていいですか?」

「――はい」

「生きてる人間って、素晴らしい位に憎たらしいんですね」


 女性は肩を竦めて儚げに笑う。


「……すいません」


 何だか、謝らなければいけない気分になった高野は小さく返した。


「謝らないで」と云って女性は笑う。

「誤って欲しくて聞いた訳じゃないの。只今の自分の気持ちを誰かに聞いてほしかっただけ。……本当に謝らなければいけないのは私の方。結婚式の準備までしていたのに、彼を一人置いてきてしまった……」


「彼氏さん…――いや、旦那さんは今も生きていらっしゃるんですか?」


 もう入籍はしていたのだ。彼氏と呼ぶには失礼かもしれないと多少気が回った高野は言い直した。


「ええ。脱線事故の時、丁度彼のご両親の家へ行こうと思っていましたから、彼とは駅で待ち合わせしていました。……事故があったから結局会えずじまいですけど」

「じゃあ、もしかして神様に会いたい理由って……――」


 女性は小さく頷いた。


「私の願いを、叶えてほしいの」

 



 自分がもう生きていないと分かって、暫く経った時――。同じく霊の姿になって現世を彷徨う人々に出会い、生きている頃は見る事が出来なかった“妖”と呼ばれる者に出会い、ある噂を耳にしました。


『ここよりずっと東の地に、願いを叶えてくれる神様がいる。その神様がいる町は霧に囲まれていて容易に辿り着く事はできないが、町を求める者の前に現れ、心より願いを望む者の前に神様は現れるだろう』



「噂とはだいぶ違って、普通の場所にありましたが、でもやはりこの町は不思議な感じがします。もう一度地元へ帰ってこの町へ向かえと言われたら二度と来れない様な気がするんです」


 高野は一歩店内に足を踏み入れて、女性には見えない様に苦い顔をした。女性も続いて店内に踏み込む。


店内はどこか妖艶が漂う雰囲気だった。表からは喫茶店かカフェに感じたが店内の不気味さに女性は少し身構えた。ここは喫茶店やカフェなどといった娯楽を感じる場所では無い。店内に灯りは僅かしか無く、これといって店内を照らす家具がない。全て小さな蝋燭だ。天井はアーチ型に形づけられておりとても広々とした高さだ。目を細めてよく見てみると、天井には転々と光る碧宝石がある。キラッと不意に光って、それはとても美しかった。


 死んでからというもの心から美しいと率直に思えるものを目にしていなかった女性は今、感動を隠せずに暫く立ち尽くした。床の中央には直径三メートル程度の小さな絨毯が敷かれ、絨毯の敷かれていない床は石造りの材質が剥き出しになっている。

 店内のデザインには全て驚きがあったのだが、一番気になるのは、正面に建つ鳥居だ。朱色の鳥居が堂々と建ち、それがまたこの店内を異質な空間にしていた。もう少し小さなサイズだったら気にならなかったかもしれないけれど、人が易々と通れる程大きなサイズの鳥居は神社にあるものと何ら変わりなかった。


 女性はもう一度店内をぐるっと見渡す。

 不思議な場所。見れば見るほど、新しい発見がある。喩えて表現するなら――……。


咒屋まじないやみたいでしょ?」


 コツコツとローファーが床の石に当たる音を立てながら高野は歩いていた。いつの間にか高野は女性の隣におらず、鳥居をくぐってその向こう側にある黒いカーテンに手をかけていた。


「まじない屋……そうね。本当にそんな感じ」


 訪れた事は無いが、ドラマでよく見る占い師とかがいそうな空間――。そう表現したら、女性は不思議と腑におちた。


「まあ、それが彼奴あいつの望む形だから、当たり前なんだけどね」

彼奴あいつ?」


 高野は女性を手招きし、女性は躊躇なく鳥居を潜った。高野は黒いカーテンを片手で捲ったまま、女性に中へ進むよう誘導する。


「彼奴って誰の事?」

「会えばわかるよ」

「会えばって……――」

「ここから先は一人で行って下さい」

「あ――」


 まだ何か言いたげな女性の肩を軽く押して高野は会話を途切らせる。女性はバランスを崩し背中からカーテンの向こう側に吸い込まれる様に引っ張られていく。逆らえない力で背中を引っ張られていき女性は正面に手を伸ばした。高野へ向けて腕を伸ばすが、高野は背を向けて去って行く。女性の視界には、開いていたカーテンがゆっくりと閉じていく景色がうつった。



 まだ、お礼言ってないのに……――――。

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