「釣れますか?」 暗い流れの向こうから

エモリモエ

プロローグ

 しばしば川は境目となる。

 たとえば国と国との境。

 あるいはこの世とあの世の境。

 川のこちらとあちらとは、私と誰かの境目でもある。



 東京隅田川。

 その水の色は暗い。

 日本という国は山がちで、流れの速い河川が多い。澱むことのない水は清く透明だ。日本人の多くが川を思い描く時に青い色を選ぶのはそのせいだろう。

 その青のイメージからすると隅田川の色は格段に暗い。

 濁っているわけではない。

 確かに高度成長期にはゴミと汚水にまみれたこともあるが、長い努力の結果、隅田川の水は今とても綺麗だ。コンクリートが穿たれて川の流れもコントロールされている。

 水の色が暗いのは、流れが削りとった岩や土の色が混ざっているからなのはもちろん、見た目よりもある川の深さも理由だろう。


 隅田川という名称の由来はハッキリとしていないが、一説に「川の色が墨色をしているから」というものがある。墨色の川とは実に文学的で風流だ。諸説あるなかで私はこの説を一番気に入っている。

 おそらく江戸っ子たちもこの説を愛したのではないだろうか。

 明治に入り幹線道路にその地位を譲るまで、この川は物流の要であり、糧を得る漁場であり、なによりも人々の生活に密接な場所だった。


 とはいえ生きていれば死ぬのが生き物の運命というもの。世界有数の都市の一級河川である隅田川は多くの人の死を見てきた。

 特に大規模だったのは1923年(大正12年)の関東大地震。死者行方不明者の推定10万5000人のうち隅田川近辺で落命した者は多い。地震火災で東京全市が火の海と化したことで、人々は水を求めて隅田川に架かる各橋に殺到した。そして当時まだ木造だったほとんどの橋が落ちたために多くの人が亡くなったのだ。

 第二次大戦東京大空襲の時もそうだ。火に追われ逃げてきた人たちは橋の上で焼夷弾に焼かれた。正確な人数は分からない。しかし、それだけは焼け残った足袋のハゼが、橋のたもとに大量に溜まって小さく山をつくっていたのを見たという証言がある。凄まじい被害だったのだろう。それだけではない。焼夷弾から逃れようと隅田川に飛び込んだ人々も多くは溺れ死んだいう。浮かんだ死体で川が埋まったほどで、大勢が亡くなった。戦地となった東京は橋の上も下も地獄の様相であったのだ。


 今は何もかも忘れ去ったように澄ましている。

 深く、ゆったりとした暗い流れ。それが隅田川だ。

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