2話 やる気があれば、何でもできる!

 レトルトカレーの妖精には、三分以内にやらなければならないことがあった。そう、逃亡である──身から出た錆とはいえ、早く逃げなければ命に関わる。


 思い返すと、冷や汗が止まらない。

 鳴り響く轟音。

 砕ける肉塊。

 飛散する体組織。


 レトルトカレーの妖精は、絶体絶命の危機に陥っていた。レトルトカレーが発売されてから55年もの間、彼女はレトルトカレーを求める人々の祈りに応じてレトルトカレーが食べ頃になるように奇跡を起こし続けていた。

 しかし、やたらと増えていくレトルトカレーの消費量に困り果てた妖精は思わず「やってられませんわ!」と妖精の証であるティアラを投げてしまったのである──その軌道上に妖精の女王がいることなど露知らず。


 あまり知られていないが、妖精の膂力りょりょくは常世の生物とは比べ物にならない。全力投球したティアラはマッハ7近くに達し、そんな速度のものが女王の頭に命中してしまった。

 当然、女王の頭は膝から下を残して身体ごと粉々にはなったが、その程度では3分もすれば再生してしまう。それまでにできるだけ遠くに逃げなければ──捕まれば頭から食べられてしまう、女王に食べられた妖精を待つのは、再生することのない死だ。そんなの、耐えられない。


「逃げている間はレトルトカレーを食べさせてはあげられませんが、なぁに、高飛びすればこっちのもんですわ! 行きますわよ、お前たち!」

 レトルトカレーの妖精は急いで身支度を終え、舎弟である冷凍チャーハンの妖精やカットサラダの妖精を従えて全力で走り始める。膂力だけでなく脚力も常人離れしている妖精のこと、光をも置き去りにする疾走と共に失踪し、それ以降人類がレトルトカレーを食べることはなかった。冷凍チャーハンやカットサラダも人々の口には入らなくなり、数日もすると冷凍餃子や惣菜パンも食卓から消えることとなった。


 さて、これで困り果てたのは人間たちであった。もちろん、妖精たちのボイコットや内乱も困窮の末に至った事態ではあるが、人間たちはそのことを知らない──単純に食糧不足に陥ってしまったのである。

 時を同じくして、人類の頭を悩ませる問題が発生しつつあった。それは、一部の動物にだけ効力を及ぼしていたゾンビ菌の人間に対する感染発覚であった。しかも従来のものとは違い、自意識を持った生物としての機能維持に支障をきたす範囲での──つまり創作物でよく見かける、動く屍としてのゾンビが大量発生したである。

 つい数秒前まで欲望のまま鏡をねぶっていた幼児が、突然腐臭を撒き散らしながらあうあうあー、あうあうあーと呻き始める──そんな光景に可能性を見出だしたのは、その幼児を今日にでも明日にでも間引いて食べてしまおうかと考えていた、幼児の両親であった。


 食糧難は、人類に新たな可能性をもたらした。

 人類は、程よく発酵して、多少動くために身の引き締まっているゾンビの肉を食べるという嗜好に目覚めたのであった。

 生物なまものは腐りかけが最も美味だとは昔から言うが、ゾンビの肉も例外ではなかったのだろう。たちまち世界の食通たちが舌鼓を打ち、世の中にはニュースをチェックして、何も知らぬ我が子をゾンビ菌の感染が確認された地域へ向かわせる大人で溢れかえった。


 子どもをゾンビ化させる親に対して厳しい目を向ける者もいないわけではなかったが、そうした者は大抵が子どもを食べなくても生きていける富豪ばかりだったことで民衆の怒りを呼び、家族共々ゾンビの餌にされてしまった。

 ゾンビ化に反対するものを根絶やしにしたら今度はゾンビ化に積極的な意見を表明しないもの、その次にはゾンビ云々は関係なく意見の合わないもの、社会において爪弾きにされたり、自分の発言権を獲得できなかったものが、漏れなく居場所を特定されて捕まえられ,本人の意思など問わずにゾンビに、或いはゾンビの餌にさせられるようになった。


 やがて人類は、食べるためでなく殺すために人を殺めるようになった。それは生物としての在り方を大きく逸脱した、世界のがん細胞ともいえる有り様。

 やがて、生きている人間よりもゾンビの方が多くなると、今度は動物のゾンビ化も試されるようになっていった──まずは、犬や猫、次にチュパカブラがゾンビ化されていった。そしてイエティやビッグフット、ギガントピテクスの生き残りなど、人型のものはあらかた食べ尽くされて、ついにアマミノクロウサギまでもがゾンビ化されるようになってしまった。


 この事態を憂えたのは、長年地球を見守ってきたバッファローたちだった。彼らはずっと、地球の影にいた。

 ストーンヘンジの作製、四大文明の誕生、ヘレニズム文化の形成、ギガントマキア、アパッチ族の南下、ラグナロク、関ヶ原の戦い、ロッキード事件、リーマンショック等々……世界の歴史の裏側にいつもバッファローは存在していたのである。

 そんなバッファローにとって、現人類の凶行は目に余るものだった──故に、バッファローたちは決断したのである。


 くららあ、があ、たったあ。

 くららあ、があ、たったあ。


 轟音を響かせながら、世界中のバッファローが大地を駆け抜ける。立ちはだかるものはどれほど巨大な建造物であっても、山であっても、もちろん人であっても、簡単に薙ぎ倒された。

 当たり前である、走るバッファローの前に立ってはいけない──それはコーラを飲んだらゲップが出るくらい当たり前のことなのだから。


 くららあ、があ、たったあ。

 くららあ、があ、たったあ。


 走る。

 バッファローは走る。

 荒廃した世界を一掃するべく、過ちを正す力を失った世界をリセットするべく、バッファローはただ走る。

 春も夏も秋も冬も超え、雨も風も超え、雲も闇も超え、願い焦がれ走る──破壊の後の再生を夢見て。


 そして。


 ────Genesis────


 原始地球には、三分以内にやらなければならないことがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やらねばならぬ、やれば成る 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ