第37話「前向きじゃなくてもいい」

 水曜日、通院の日となった。

 今日は電車で行ってみようと思っていた……が、外は暑いからとお母さんが送ってくれることになった。いつものように車で三十分くらい。病院へやって来た。

 受付の女性に診察券を渡すと、「前に二名お待ちになっております。しばらく待合室でお待ちください」と言われた。私とお母さんはソファーに座る。いつも通り落ち着いた雰囲気だった。


「小春、最近調子がいいのかな? ちょっと元気そうね」

「う、うん、まあまあいい方かなって思う……」

「よかったわ。また落ちることもあるかもしれないけど、今を楽しんでおこうね」


 お母さんがニコッと笑った。診察の後ショッピングモールに寄ろうと話していた。それが嬉しいのかもしれない。

 しばらく待っていると、奥からパタパタと大山さんがやって来た。


「小春ちゃん、おはようー」

「おはようございます、今日もよろしくお願いします……」

「こちらこそー。なんかパッと見た感じ、調子よさそうな気がしたけど、最近体調はどうかな?」

「あ、一旦落ちた後、また持ち上がってきたかなという感じで……今はだいぶ心も身体も軽い気がします」

「そっか、それはいいことだね。でもそういう時こそ注意だよ。周りが見えなくならないように気をつけてね」


 大山さんがそう言った。たしかに、調子がいい時も注意すべきなのだろう。難しい病気だなと思った。

 それからまたしばらく待っていると、大山さんに「小春ちゃん、診察室に入ってね」と言われた。私はいつものようにコンコンとノックをして、診察室の扉を開ける。


「おはようございます、小春さん。さぁ座ってください」

「おはようございます、失礼します……」


 橘先生が笑顔で迎えてくれた。挨拶をして、椅子に座った。


「ちょっとお待たせしてしまいましたね、すみません。さて、大山から聞いたところ、小春さんはけっこう調子がよかったみたいですね」

「あ、はい……一旦落ちたのですが、その後持ち上がって来たみたいで、なんだかふわふわと心も身体も軽いというか……」

「そうでしたか、よかったですね。やはり学校が休みというのが一つ大きいでしょう。心の波が大きくなる原因が学校にあったから、いいタイミングで夏休みに入れたのではないかと思います」


 そう言って橘先生がカタカタとパソコンを操作した。私の現状を書き込んでいるのかなと思った。


「あ、は、はい……本当は心の中では学校もやめてしまおうかと思っていたのですが、友達もいてくれるし、先生方も味方になってくれるし、もう少し頑張ってみようと思って……」

「そうですね、環境を変えるというのも一つの手ですが、あまり大きな決断は心と身体に重くのしかかってきます。最終手段と考えておいた方がいいでしょう」

「な、なるほど……」

「大丈夫です、学校にも小春さんの味方になってくれる人がいるので、今はその人たちに頼るようにしましょう。決して無理をせず、自分のペースでこれからも進んでいってくださいね」


 橘先生がニコッと笑った。三十五歳と大山さんに聞いていたが、笑顔は年齢よりも若い感じがした。


「それと、『前向き』という言葉がありますが、いつも前向きである必要はありません。たまには横向き、後向きでもいいのです。一旦立ち止まるのも悪いことではない。そのことは考えておいてくださいね」

「は、はい……分かりました」

「小春さんなら大丈夫です。これからも気分の上下はあると思いますが、きつい時は無理をせず、ゆっくりと進んでいきましょう。夜は眠れていますか?」

「あ、はい、寝つきもよくて、途中で目が覚めることもないです……少し朝がきつい時はありますが」

「そうでしたか、睡眠薬はこのまま同じものを使っていくのがよさそうですね。睡眠は大事です。朝きついのは心が重い人にはありがちなので、今は夏休みですし、無理に起きようとしないでくださいね」

「は、はい……分かりました」

「他のお薬も今は変えなくてよさそうですね。ただ、気分が重かったり、上昇し過ぎた時はいつでも言ってください。心の波を小さくするお薬を調整しますので。頓服は残っていますか?」

「あ、半分くらい残っています……ちょっと落ちてきたなと感じる時に飲んでいます」

「分かりました。今日は頓服は半分出しておきましょう。小春さんはしっかりと服用できて偉いですね。その調子で、きつい時は頓服を使いながら、またしばらく様子を見てみましょう」


 橘先生と次回の診察の予約を話し合った。お盆が明けた後か、また二週間後にここに来る。

 橘先生に「ありがとうございました」と言って、診察室を出た。ちょっと心が軽くなる瞬間だ。


「小春、お疲れさま。その顔だと先生といいお話ができたみたいね」

「う、うん、自分のペースで進めば大丈夫だって、背中を押してもらった感じかな……」

「そう、よかったわ。楽しいことも無理なく楽しんでね」


 私はなんとか心と身体が軽い状態が続くといいなと思っていた。

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