第25話「私の気持ちはどうしよう」
「ただいまー」
私はしばらく凌駕くんの部活を見学した後、家に帰って来た。やはり凌駕くんの先輩に「荒川は彼女がいていいなぁ」とからかわれていたような気がする。凌駕くんも恥ずかしそうにしていた。
「おかえり、小春。ちょっと遅かったわね」
リビングに行くと、お母さんがいた。お父さんはまだ帰ってないみたいだ。
「あ、うん、図書室寄った後に、凌駕くんの部活の練習見学してた……」
「そっか、凌駕くんも野球頑張ってるわね。スポーツができる男の子ってカッコいいわねー」
お母さんがそう言ったのを聞いて、私はドキッとした。たしかに凌駕くんは……カッコいい。胸がドキドキする。動悸の胸のドキドキとは違う。これは何なのだろうかと自分に問いかける。もしかして私……。
制服から普段着に着替えて、リビングで借りてきた本を読むことにした。悩める人の前に自分は神様という人が現れて、人の悩みを解決していくという、ちょっとファンタジー要素の入った面白い物語だった。その中に、恋に悩む一人の女の子の話があった。
好きな男の子がいる。でもどうしてもあと一歩が踏み出せない。そんな女の子に神様は、「一歩を踏み出すのはとても勇気がいること。でも、後悔するより前に進んだ方が自分のためでもあるよ」とアドバイスをしていた。
(……なるほど、一歩踏み出す勇気……か)
私は心の中でそうつぶやいた。私の勘違いでなければ、この胸のドキドキは、この女の子と一緒だ。でも私なんかが……という気持ちになってしまう。
(……こんな私なんて、好きになってもらえるはずがないよね……心も身体も不安定な私が……)
「――春、小春?」
呼ばれる声がしてハッとした。お母さんが私のことを呼んでいたみたいだ。
「……あ、ご、ごめん、何?」
「どうしたの? なんかぼーっとしてたみたいだけど……ご飯できたわよ」
「あ、わ、分かった、手伝う」
私は慌てて料理を運んだりお箸やお茶を準備したりした。わ、私、どうしたんだろう。物語を読みながら自分と重ねていたようだ。
「今日、お父さんは遅くなるみたいだから、先にいただきましょうか」
「あ、うん、いただきます」
お母さんと夕飯をいただく。今日は豚汁がある。私はけっこう好きだった。
「小春、ここのところ体調はどう?」
「う、うーん、上下が激しくて、けっこうきつい時もあるけど、今はまた少し上向きなのかなって……」
「そっか、いいことよ。凌駕くんの部活見てきたってことは上向きなのかもね。でも無理はしちゃいけないからね。ゆっくりと自分のペースでね」
「う、うん……ありがとう」
また凌駕くんの名前を聞いて、私は心の中でドキドキしていた。やっぱりそうだ、私もあの女の子のように……。
ご飯を食べ終わって、片付けをした後に、私は部屋に行った。そういえば数学の課題が出ていたような気がする。教科書とノートを取り出した時、ちょっとくしゃっとなっているのを見て、私はあの時のことを思い出した。
中等部出身の女の子たちは、最近はおとなしいみたいだ。私に挨拶することはあっても、それ以上ちょっかいをかけてくることはない。まぁ、こちらを見て何かヒソヒソと話している姿は見るので、きっと私のことを話しているんだろうなと思っていた。
(……こんないじめられている私が、人を好きになるなんて……本当にいいのかな……)
人を好きになる。
これまで私が経験したことのないことだった。私は小さい頃から引っ込み思案でおとなしく、おどおどしていたところがある。そういう性格もあって、自分から前に出ることができない。人を好きになることだって、もっと明るい子が積極的に行うことだと思っていた。
でも、今、私の中にあるこの気持ちは、間違いなく恋だ。凌駕くんのことが少しずつ、私の中で大きくなっている。スポーツができて、男らしくて、カッコいい凌駕くん。これまで友達としてたくさん助けてもらったのもある。涼子と一緒に私の近くにいてくれた凌駕くんのことが……。
……そこまで考えて、私はハッとした。これまで三人で楽しくやって来たのに、私が凌駕くんに気持ちを伝えてしまうと、三人の関係がこれまでとは違うようになってしまわないだろうか。もし凌駕くんはそんなつもりはなかったら、気まずくなってしまうのではないかと。
(……涼子と凌駕くんは、お互いいい友達って言ってたけど、もし私が自分の気持ちを伝えたら……)
私はそう考えて、ふるふると首を振った。やはり言わない方がいいのかもしれない。これまでの三人の関係が崩れるのは嫌だ。私には涼子も凌駕くんも大事な友達だ。失うことはしたくない。二人がいなくなると、私はひとりぼっちになってしまう。
ひとりぼっちは嫌だ。三人で楽しい時間を過ごしたい。
そして私は病気を持っている。もっと元気になるまで、この気持ちは伝えない方がいいのではないか。私はそう思いながら、ちょっとくしゃっとなった数学の教科書を眺めていた。
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