第2話「橘メンタルクリニック」

 お父さんとお母さんと話した一週間後、私は橘メンタルクリニックへ行くことになった。

 メンタルクリニック……いわゆる心の病気を抱える人が行くところだということは、病院のサイトを見てなんとなく理解した。ただ、自分がそうなのかと言われるとよく分からない。今までとは違う何かがあるのは間違いないのだが。


 お母さんが車を運転して、連れて行ってくれた。家から三十分くらい走っただろうか、駅の近くに病院はあった。ここなら電車でも行けるな、そんなことを思っていた。


 クリニックが入っているビルは一階に駐車場と薬局、二階に別の内科、三階にメンタルクリニックがあった。エレベーターで三階まで上がっていく。降りると目の前に『橘メンタルクリニック』という文字が見えた。入り口を入ると、すぐに受付があった。お母さんが「予約していた相場と申します」と言うと、受付の女性が「はい、承知いたしました。すぐに看護師が来ますので、待合室でお待ちください」と言った。


 私は待合室のソファーに座って、辺りを見回していた。クリニックの中は綺麗で、ソファーは区切られていて、他の患者さんと視線を合わさないようになっている。照明も明るく、ほんのりとあたたかい感じがした。小さな音だがオルゴールの音楽も流れている。あ、これ知ってる曲だ、曲名なんだったっけと、頭の中で思い出そうとしていた。


「……小春、緊張してない?」


 お母さんが小さな声で私に話しかけてきた。


「う、うん、ちょっと緊張してる……ちゃんと話せるかなって……」

「まぁそうよね、大丈夫よ、ゆっくり自分のペースでね。診察が終わったらお母さんとデートしようね」


 お母さんがニコッと笑った。お母さんは私のことが好きすぎるのか、よく私とデートといって出かけたがる。まぁ世の中にはあまり仲が良くない親子もいるはずだから、それに比べればいいのかなと思っていた。


 しばらく待っていると、奥から一人の女性がパタパタとやって来た。


「すみません~、ちょっと電話が入っちゃって。お電話いただいていた相場さんですね」

「あ、はい、今日はうちの子がお話を聞きたくて」

「はい、分かりました。はじめまして、ここで看護師をしている大山おおやま佐奈江さなえといいます」


 看護師さんの大山さんは、私の目を見て自己紹介をした。あ、わ、私も自己紹介しないと。


「あ、は、はじめまして、相場小春といいます……」

「小春ちゃんか……可愛らしい名前ね。なんだか春がおとずれるような……今何年生?」

「あ……こ、高校一年生です」

「そっかそっかー、ピッチピチの女子高生だねー、あ、ちょっと診察の前に、血圧とか熱とか測りたいからこちらに来てもらえるかな?」

「小春、行っておいで。すみません、よろしくお願いします」


 大山さんについて行く形で、私は奥の部屋に案内された。ここは処置室だろうか、ベッドや椅子も見える。


「そこに座ってね」

「あ、はい、し、失礼します……」

「うんうん、小春ちゃんしっかりしてるねー、あ、ごめんねいきなりタメ口で話したりして。院長先生からもよく注意されるんだけど、私はこうして友達感覚でお話したいと思っててねー」

「あ、そ、そうなんですね……」

「緊張してるだろうけど、リラックスしてね。ちょっと血圧測らせてね」


 大山さんが慣れた手つきで血圧を測る。「ふむ……上も下もちょっと低いけど、まぁ大丈夫かな。ふらついたりすることない?」と訊かれた。


「あ、さ、最近ふらっとすることもあるというか……」

「そっか、適度な運動と、睡眠が大事だねー。お風呂にしっかりつかるのもいいよ。あ、熱も測らせてね」


 大山さんが私のおでこに体温計をかざした。大山さんは「ふむ、熱もない……大丈夫だね」と言った。


「あ、あの……熱もなくて、体調も悪くないのに、私、身体が重いことがあって……どうしてかよく分からなくて……なんかおかしいのかなって思ってて……」

「そっか、大丈夫よ、小春ちゃんと同じような症状を持つ人、たくさんいるよ。だから小春ちゃんがおかしいってことじゃないの。身体が重い以外に何か変わったことない?」

「あ、な、なんか、心が重いっていうか、なんて言えばいいのか分からないけど……」

「なるほど。それもきっときっかけがあったと思うんだけど、それは院長先生に話してね。ゆっくり小春ちゃんのペースでいいからね。院長先生はなんでも聞いてくれるよ」


 大山さんがそう言って私の手をとった。


「……手が冷たいね、緊張してるからかな。大丈夫だよ、私も小春ちゃんの味方だからね、気になることがあったらなんでも訊いてね」

「あ、は、はい……ありがとうございます……」

「……うん、大丈夫。ほんとに小春ちゃんはしっかりしてるね。もう少ししたら呼ばれると思うから、待合室で待っててね」


 大山さんがニコッと笑った。大山さんの手、あたたかいな……私が冷たいだけだろうか。

 私はそのぬくもりを感じて、ちょっとだけ落ち着いた気分になった。

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