第16話 有為転変

 竜頼は長原の館にて一つの書物を見つけた。そのタイトルは『陸奥の歴史』。竜頼は気になりその本を読んだ。

 そして、読み終わったとき竜頼の感情は揺さぶられた。竜頼は藤原の血を引く者だ。その藤原はかつて陸奥への───蝦夷への差別を行った。


 そして、その時代、藤原は日本の頂点に立っていた。内裏だいりの参議や五衛府などのかみはほとんどが藤原のものとなっていた。

 そんな藤原が栄えた時代に蝦夷への差別はあった。竜頼自身は蝦夷を差別していない。しかし、祖先たちは違う。


 伊治鮮麻呂や阿弖流為、安倍頼良あべのよりより。藤原は───朝廷はこれらを否定してきた。その事実は消えない。差別した、その事実は消えない。

 そんな不快感と同時に奥六郡へと思考は移り変わった。奥六郡はまさに阿弖流為や安倍頼良たちが治めていた領土だ。


 そんな土地を藤原の血を受け継ぐ自分が本当に治めて良いのかと疑問に陥った。そして、結論を出す。駄目だ、と。奥六郡は自分が治めるに足る権利はないんだとそう思った。

 悪い思考はどんどんと続いていく。結妃たちのことを思い出す。物部一族。朝廷にとって、藤原にとっては忌むべき存在だ。


 竜頼は自身の無知を恥じた。そして、決断をする。そこからの行動は早かった。輝宗に連絡を入れ、会談の日取りを繕う。

 そして、奥六郡の支配権放棄を宣告した。当然、輝宗たちが困惑するのは目に見えていた。しかし、それを貫いてでも竜頼は領土放棄を強引に宣告した。


 談合が終わり、竜頼は退出した。


「当主殿、わしにもお聞かせ願いたい」


 辰治は談合が終わったあと、一人竜頼の下へ向かった。竜頼は周囲に誰もいないのを確認し、話し出す。


「俺は奥六郡を治めるに値しない人物なのだ」


「それは………」


 辰治は首を傾げ質した。


「藤原の名は、藤原の血は、陸奥にとってもそなたら物部にとって憎むべき存在だ」


 辰治は黙って竜頼の言葉を聞く。


「俺は藤原の血を引く者だ。長く長く、そなたらを苦しめ続けてきた憎むべき、忌むべき男なのだ。それを知らず、俺はこの土地を支配しようとしていた。なんと、なんと、おこがましいことか!」


 竜頼の言葉には自らへの怒りとこの土地の人々への謝意が含まれていた。辰治は何も言わず、微動だにしたない。


「俺はこの戦国の世を終わらせる。ゆえに多くの人々から恨まれよう。それは構わない。天下統一は達成せねばならぬ偉業なのだから。大義はある」


 しかし───と竜頼は続けた。


「しかし、そなたらへの行為は悪以外の何物でもあらず。それを俺は許すことはできぬ。大義のない血を俺は軽蔑する」


「ゆえに、俺は奥六郡から、陸奥から手を引くことを決めたのだ。ただそれだけだ」


 竜頼は話し終わりしゃがみこんだ。よほど許せないのだろう。辰治も険しい顔をしていた。


「しかし、あなた様はわしらを受け入れてくださった。例え、差別を知っていようといなかろうとわしはそれが嬉しかったのですじゃ」


 辰治は優しい声で語った。


「無理強いはしませぬ。ゆえに、待ち申しておりまする。もし、戻りたいと思われたときにはぜひ陸奥へ、奥六郡へお越しください。わしらはあなた様を長原家当主長原竜頼殿を歓迎いたしますぞぃ」


「かたじけない」


 竜頼は手を合わせ礼を言った。辰治も満足そうな顔をしていた。


 ◇ ◇ ◇


 支配下にない奥六郡は輝宗が伊達氏の管轄と宣言した。それに伴い伊達は戦国大名としてもっと広く、知られることになる。

 また、奥六郡の管理者には伊達政宗が任命された。政宗は喜々として奥六郡へ出発していく背中を見て、輝宗は息子について安堵した。


 一方、竜頼と英松は一度伊達の支配地、仙台城により、休んでいる。竜頼は部屋の天井を眺めながら考え事をしていた。

 あと二年で準備を終わらし、小田原制圧に向けて動くのだ。竜頼はあとどうすればよいかを思案する。しかし、策は思いつかなかった。


 時刻は朝の六時。竜頼は小鳥のさえずりで目を覚ます。洗面所にて顔を洗い、着替えた。今日、この城出て長原城へ戻る。身支度を済ませ、輝宗の下に向かった。


「早うございます、御前殿」


「そなたもじゃ、当主殿」


 軽い挨拶を交わし食事を取る。竜頼の隣には英松が並んだ。数十分で食事を終え、竜頼は輝宗に最後の声かけをした。


「二年後、我々は北条を堕としてみせまする。御前殿には下野をお願いしたい」


 輝宗はがはははと笑い、承諾した。


「良かろう、そんな程度ならわしらに任せるが良い。伊達の力を世に知らしめる良い戦となり申す」


「それは行幸」


 竜頼は立ち上がり輝宗に一礼した。そして、英松とともに仙台城をあとにする。輝宗はその背中を見送った。


「がっははは!これは変わるぞ、戦国の世もそろそろ終いかのぅ」


 輝宗は笑いに笑った。


 竜頼が長原城へ着いたのは一日経った昼頃だった。長原城に入城した竜頼は義重と合流する。


「本当によろしかったのでしょうか、奥六郡を手放すなど」


「良い。現状を報告しろ」


「はい、えっと~───」


 ◇ ◇ ◇


 一年が経過した。天守閣にいる竜頼はその報告を聞き、数秒固まっていた。送り主は織田信長。竜頼は何事かと手紙に目を通したところ、絶句した。


『長原家当主長原竜頼殿、我ら織田軍は上杉軍と戦っていた。しかし、ここ最近やつらの攻撃が弱まってきていた。不思議に思い調べてみたところ、上杉謙信は死去していた。この事実を長原当主殿へ届ける。もう一度書く、上杉謙信は死去していた』


 戦国最強の武将、上杉謙信。その男が1578年、この世を去った。竜頼は逸る気持ちを抑え、皆を招集した。

 集まったのは長原軍の全戦力だ。将虎に英松、晴仁、義重、高増、重道、正道、時上ら将校たちが円を描き、竜頼の招集に集った。


「義重、重道、時上、報告を」


「はっ。佐竹軍の練兵は完璧にございます。実践さえ経験すればかなりの練度に」


「同じく我らも大丈夫と心得まする」


「右に同じ」


「そうか」


 竜頼は満足そうにうなずいた。そして、信長より知らされた情報を開示する。


「今日の朝、織田信長より手紙が送られてきた。その内容をそなたらに伝える」


「それは?」


 英松が催促する。


「上杉謙信が死んだ」


 突然告げられた武将の死。一瞬の静寂のあとどよめきが起こる。


「そ、それはまことですか?!」


「あぁ」


「なんと、ならば!」


「落ち着け、皆のもの!」


 竜頼の一喝に皆が冷静になる。


「上杉が死のうと我らには関係あるまい。我らの相手は北条ぞ。目の前の敵を見よ。やるべきことはなんぞや?」


 その言葉にて皆は冷静さを取り戻した。もしこのままいっていたらもしや出陣まで考えられる勢いであった。ここでも竜頼の能力が生かされる。


「しかし、だからと言って一年待つこともない。三ヶ月だ。十月より常陸の南地域の侵攻を始める。一陣は義重率いる第三軍と重道率いる第四軍だ」


「「はっ」」


「南常陸を抜けたら一度そこで停まる予定だ。南常陸の大名たちを引き入れ小田原制圧を行う」


 竜頼はいきいきと言った。それに皆も自然と笑い出す。


「北条がもし常陸に出てくるようなら潰せ!ここは我らが領土、常陸なり!」


 ◇ ◇ ◇


「申し上げます!上杉謙信死去、上杉謙信死去でごさいます」


「なん、だと!それはまことか!」


 男は聞き間違いかと思い、繰り返させた。しかし、返ってきた言葉は先ほどと変わりない。つまり、そういうことだ。


「馬鹿な!」


 男はがっくりと座り込みうつむく。


「愚か者めが」


 その目には涙が見えた。男は昔を思い出す。いつぞやの古い記憶が蘇ってきた。


「下がって良いぞ」


「はっ」

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