第15話 謎

 吐き気がするかのようだった。人間こうも汚くなれるものなのか。


 大家は渉に向かって頭を下げた。


「言いそびれた。俺の名前は常盤隆二ときわりゅうじだ。あんたが殺された晩、隣の部屋に居たんだ。……篠原とな」


 常盤隆二は憑き物が落ちたかのような顔で俯いている。溜めこんでいたものを吐き出せたのだろう。


「まさか、俺が床下を覗いているとき、隣の部屋で……」

「ああ、よく見ないとわからないくらいの、小さな穴を壁にあけていたんだ。あんたが畳を上げた瞬間、篠原は動いた。俺の部屋のマスターキーを持って、あんたの部屋へと向かっていった。……本当に申し訳ないことをした」


 つまり渉が怯えている間、ずっと隣の部屋から監視していたということだ。


 妙な動きをしたら、すぐに殺害できるように。


「篠原が戻ってきたとき、別人のような顔をしていた。何かをやり遂げたような顔をして、血に染まったシャベルを見ながら笑ってやがった。その後は悲惨だった。俺は篠原に連れられて、嵐の中、校舎の裏から学校に侵入した。使われていない荒れた土地を掘り返して、まだ微かに息のあったあんたを埋めたんだ」

「そして?」


 渉は静かに声を出した。いろんな感情を押し込めているのか、話しかけられるような雰囲気ではない。


「深く深く掘るように言われた。俺は堀った。言われるがまま。奴と二人で、深く、深く。あんたをそこへ寝かせた後、俺は決めた。土をかける前に、奴を殺そうと……」

「そして?」

「俺は殺された……。穴の中へ置く前に気が変わっていれば、もしかしたら助かったかもしれないのに……。すまない……。いきなり、殴られたんだ。俺は穴の中に倒れた。そして、上から土を掛けられたんだ」


 少なくともこれは、小学生が聞いて良い話ではない。


 これから先どうしたらいいのだろう。篠原さんに何と言えばいい。どう立ち振る舞うのが正解なのだろうか。


 常盤隆二は続ける。


「その後、どれくらい経ったかは分からないが、豊田と篠原が死体を掘り返しに来た。そういえば、それも嵐の晩だったな……。掘り出した死体は、二人でどこかへ持って行っちまったよ……」


 渉が失踪したら、警察は星雲荘を調べるだろう。それを考慮すると、床下に遺体を埋めておくのはリスクが高すぎる。失踪となれば警察犬なども出てくるはずなので、臭いを消せる強い雨の日に運搬するのは理屈として通る。警察が捜査を終え、ほとぼりが冷めた時点で、死体を星雲荘に戻したのだろう。戻さなければ、新体育館設立の工事で死体が掘り起こされていたはずだ。


「もういい。もういい!」


 渉は叫んだ。自分が何に巻き込まれたのかが判明し、犯人の身勝手さに苛立っているのかもしれない。原因が判明したところで犯人は死んでいる。これから罪を償うこともない。遣る瀬無さは計り知れない。


 巳継は久しぶりに言葉を発した。


「篠原巧は死にました」


 常盤隆二は驚いた顔をした。


「本当か」

「はい」

「豊田は?」

「今朝の段階で、刺されて意識不明だそうです。今の状況は分かりません」

「そうか……」

「なのでこれで僕の知る限り、この件に関わった人間は豊田以外、全員死亡しています」

「俺がここにいた理由は、あんたに謝りたかったからだ。死んだ娘には、もう会わないほうがいいと思っている。俺なんかと会うとまた不幸になっちまうからな」

「俺はもういい」


 渉は頭を抱えてそう言った。どのような心境なのかはわからないが、巳継の思いを尊重してくれているような気がした。


 巳継は考えていた。この常盤隆二という男がどうしてここに留まるに至ったか。学校の怪談では、体育館の霊は泣いていると言われている。自分のせいで死なせてしまったとはいえ、赤の他人である渉の死に涙するものだろうか。


 ならば、泣いている理由は……。


「常盤麗子さんも、先ほど成仏されました。もうこの世にはいません」

「……そうか。そうか。ありがとう……」

「成仏してください」

「ああ……」


 常盤隆二は俯いたまま、すうっと消えてなくなった。


 渉は「成仏した」とだけ言った。




 学校を出て、雨の中を歩いた。傘などないのでずぶ濡れだ。そのうえ雨脚も強くなってきていて視界も極端に悪い。風も強くなってきた。


「いい気なもんだ。一人でさっさと成仏しちまいやがって」


 先ほどから渉はぶつぶつと文句を言っている。


 まあこうも加害者が簡単に成仏していくのは面白くないだろう。自分なら、もっと苦しめばいいのに、とか考えてしまうと思う。


「いいじゃない。これで体育館が平和になったよ」

「まあそうだけどよ」

「……ねえ、僕はどうしたらいいと思う?」

「……何もしないのも手だと思うが」

「だめだよ。そんなの」


 巳継は感じていた。


おそらく、生きてきた中で一番怒っている。一番混乱している。


「どうしよかな……」


 今回の判明した篠原巧の真相は、少なくとも娘である篠原さんには伝える気でいる。ひとりの父親の未来を奪った男が父親として生き、父親として死んでいくのは到底納得出来ない。今後、父親の尊厳というものは失われるべきだ。


 しかし、篠原さんはどう思う。父親が極悪人だと知ったら、どうなる。それが世間に広まるとどうだ。拠り所は母親だけ。確実に不幸になる。


「最悪だ……」


 巳継はぽつりとそう漏らした。


「そうだな……」


 渉もそう言った。


 篠原巧。この男は己の欲望のために人を殺していいと本当に思っているのだろうか。本当に何も報いらしき報いを受けずに、この世を去ろうというのか。


 そういえば、豊田もそれを良しとしなかった。ただ殺すだけでは足りない。すべてを公にして初めて篠原巧を殺しうる。そう考え策を練っていた。そして今回、おそらく篠原巧を殺したのだ。


 それにまだ謎はある。


 小林は嘘をついた。三億円強奪事件について自白したくせに、アパートには誰も来ていないと言った。死んだ後も誰かを庇っているように思えた。


 なぜだ。


 豊田が篠原巧を殺したのは見たはずだ。教師が一人死んだのだ。絶対に足はつく。隠す意味はない。小林は隠しきれると思っているのだろうか。いや、そんなことはない。最近の警察はすごいのだろう、ということも口走っていた。小林は警察の追跡能力を知っていて、その上であの発言をしたのだ。巳継に真実を話す意味は確かにないが「ここに警察を呼べ」のひと言で片付く話だ。わざわざ嘘を吐く必要はない。


それに、篠原巧と実行犯たちの繋がりを示す写真も密かに撮っていて、晩年は反省していたらしい。そんな小林が果たして篠原巧を庇うだろうか。


 そういえば……。


 巳継はあることを思い出し、全力で学校の裏手へと走った。


 そしてそこで偶然、星雲荘のあたりに人影を見た。

 真っ暗な山中にひとつ、ちらりと光が見えたのだ。

 



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