第41話

 ◇ ◇ ◇


 結界から出た後、デラニーはすぐに家まで転移魔法を使ってくれた。


『……デラニーさんは、そんなに魔法を使って大丈夫なんですか』


『僕が堕ちる訳ないじゃん。大丈夫だよー』


 ファルがリビングの明かりをつける。住み慣れたこの家がとても愛おしい。


「紅茶が飲みたいんだっけ。ストレート? ミルクー?」


「ミルク……」


「ん。ソファーに座っときな」


 ソファーに座り、呆然と窓の外を見る。かちゃかちゃと、彼が紅茶を淹れる音が聞こえる。


 今日は沢山のことを知りすぎた。ファルの過去のこと、非世界のこと、ファルの名前のこと、私のこと、ローザのこと、私とローザの父親のこと――。最初はデートだと浮かれていたのに、どうして……。


 元気が、出ない。もう何も考えたくない。欲に溺れたい。何も考えずに堕ちたい……。


「ほれ」


「ん……ファルさん」


 彼が二人分のミルクティーを持ってきてくれた。一つを手に持つと、柔らかな香りと心地よい温もりが肌に伝わる。ファルは隣に静かに座った。


「ゆっくり飲んでな。また戻したら大変だ」


「はい……」


 ゆっくりと一口、口に含む。砂糖たっぷりのまろやかな甘さが口の中に広がる。


「おいしい……」


「ん。よかった」


 ファルも黙ってミルクティーを飲む。監獄の中にいた時とは違い、心地よい沈黙が流れる。


「……ねぇ、ファルさん」


「なぁに」


「……えっち、したいです」


「やだ」


 ……。


「だめ、ですか」


「だーめ! 風呂入って寝なさい」


「じゃあ一緒にお風呂入」


「だーーーーめーーーー‼」


 彼はソファーの前にあるテーブルにミルクティーの入ったカップを置き、机をバンバンと軽く叩く。


「するわけないでしょうが‼ 怒りますよ!!」


「もう怒ってる……」


「当たり前だぁ‼」


「はぁぁぁぁぁ」と深くため息をつき、ずれ落ちた眼鏡をくいと上げる。


「お前、そんなことしても虚しくなるだけだぞ」


「虚しくてもいいんです。何もかも忘れて、気持ちよくなりたいんです。貴方に溺れたいんです」


「よくもまぁそんな恥ずかしいことを……」


 どうしたら誘いに乗ってくれるだろうか。一人でお風呂とか気がおかしくなりそうで嫌だ。でも、怒られたくないな……。


「……自暴自棄になる気持ちはよく分かるよ」


「……」


「よし! 俺は風呂の扉の前で座ってるから、一緒にしりとりしよう! で、その間にお前は体を洗う! どうだ?」


「……まぁ」


「じゃあ風呂洗ってくるわ。変なことしてたらマジで怒るからな。お前も怒られたくないだろ」


 そう言ってすたすたと行ってしまった。私は残ったミルクティーを飲み干した。


「優しいな」


 そうだ。私は彼のそういうところが好きだったんだ。普段はお茶らけているところ、仕事では真剣なところ、いつも私を大切にしてくれるところ、いつも私のためを思ってくれているところ――。


 たまにふと思ったりすることもあった。彼は自分のために私を利用しているのではないかと。でも――。


「私も、彼を信じなきゃ」




 その後、ちゃんと私はお風呂に入った。


『じゃあ“しりとり”の“り”から』


『もう大丈夫です』


『あ? なんだよ人がせっかく――』


『ただ、そこにいてください』


『……わかった』




 ◇ ◇ ◇


 お風呂から上がって、髪を乾かしてもらって、今度は彼がお風呂に入っている。


 私はファルのベッドの中に入って、先に寝させてもらうことにした。


「……いいにおい」


 布団の中で彼のシャツをぎゅっと抱きしめる。変態チックだが、一人は寂しいので彼の許可の元拝借させてもらった。シャツからは、男の人の安心する――いや、本当に変態みたいだからこれ以上はやめとこう。


「愚か者……」


 彼の名前や彼の生き様、ローザという女性の生き様、スタインという老人の生き様。今日はいろんなところで『愚か』という単語を聞いた。


「……愚かとか愚かじゃないとか、そんなことどうでもいいよ。ファルさんはファルさんだよ」


 この言葉は、明日朝起きたらファルに言おう。彼はどんな反応をするかな。きっと「はいはいそーですか」とか言って流すんだろうな。


「ふぁぁ」


 眠気が限界だ。意識が沈んでいく。


「おやすみなさい……ファルさん……」


 ――また明日。

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