愚者

第32話

 もうそろそろ潮時だと、その場にいる誰もが思った。私も彼ももう手遅れで、この体はぐちゃぐちゃで、彼の頭もぐちゃぐちゃで。


「いつか、君をもう一度」


 そう何度も繰り返す彼を見ているといたたまれなくなる。初恋に縛られたままの貴方は、醜くて、悲しくて、見ていられなくて。こんなことならこの『非世界』で恋なんかしなければよかった。してはならなかったのだ。


「いつか、君をもう一度」


 それでも彼はそう繰り返す。何度も、何度も。私の左手の薬指にはまっている指輪をさすりながら……。


 ――『私』はこの瞬間、貴方の家族でいることが、償いようのない罪なのだと察するしかなかった。




 ◇ ◇ ◇


「クオンっ! ちゃんと着いて来いよ!」


 第三都市。人が殆どいない森の中で、一体の堕落を追いかけ私達は疾走していた。


 緑色の木の葉がさわさわと音を立てる。曇り空の中、生暖かい風に吹かれながら全速力で走る。目標は前を行く四本足の怪物。“それ”は白くユニコーンの様な形をしていて、体は神々しく光っていた。


 腰に提げてあるレイピアに手をかけ、目でファルに合図を送る。


「イヤダッ! イヤダッ!」


 殺気を感じ取り焦ったのだろう。堕落が叫び走りが乱れた。


「そこだっ」


 その隙を見逃さず、ファルは無数の茨を生やし堕落の退路を塞いだ。そのまま体を貫く。


 堕落は動きを止めざるを得なくなり、ファルの攻撃に気を取られていた。


「……はぁっ!」


 その瞬間、私は跳躍した。


 この足の使い方も、体の使い方も、武器の使い方も。全てにおいて私は成長していた。


 宙を舞う中、茨が私の体の動きに合わせて踊る。そのまま堕落の真上から馬乗りになり、首をレイピアで切り裂く。


「ヤダヤダヤダ!」


 足を崩し堕落が地面に横たわった。その下敷きにならないよう堕落の胴体を蹴り、すぐに体を離す。


「ヤだやだや……」


 藻掻く堕落の下にファルが駆けつけ、剣で息の根を止めた。跳ねた鮮血がスーツに付いたが、すぐに吸収され元の色に戻った。


 黒い霧が空気に溶けていく。さっきまでの逃走劇が嘘だったかの様に、この森を静寂が包む。


 ざわざわと、木の葉が風に揺られ静かな音を立てる。見上げると、葉と葉の隙間から日の光が差し込んできた。それは、曇天にかかる光のカーテンの様だった。


「ふぃー、おしまいおしまい」


 ファルはハンカチで汗を拭った。私は目を閉じ、ただただ風の音に耳を澄ませる。


 ――あの日。ロキの処理課に押しかけたあの日から二ヶ月が経った。


 ◇ ◇ ◇


 次の日の朝。


 私は今、とてつもなく困っている。化粧とかした方がいいのだろうか。サプライズでプレゼントを渡した方がいいのだろうか。どんなプランなんだろうか。服装はいつものままなんだろうか。


 ……思考が、まとまらない。いつも通りでいいのだろうか。こうなってしまったのも全部、ファルさんのせいだ。


「あぁ……どうすればいいんだろう」


 昨夜の会話を思い出す。あれは一緒に寝ようとしてベッドの中に潜った直後のことだった。


『あ、明後日デートしようぜ』


『……え?』


『プランは考えとくから』


『え?』


『今日はお疲れ。じゃあおやすみー』


『えぇ……?』


 今まで何回も手を握られたり抱きしめられたり頭を撫でられたりしたが、改まってデートと言われると恥ずかしい。一体どこに連れて行ってくれるのだろう。


 ファルは買い物に出かけていて家にいない。私はどうすればいいか分からなくなって、ただできることもなくソファーで昼寝をすることにした。


「……私、ファルさんに何ができるかな」


 体を毛布にうずめながら、色々と考える。家族ってどんなものだろう。恋人の関係をすっ飛ばして家族とか、仲間とか。……そういうものになったことすらないから分からない。


 大体私は絡繰りだ。もしかしたら、この『ファルを愛する』という行為自体が人間の真似事で、根本的に何かが違うのかもしれない。


 でも。


「私、多分どこかで恋したことが、ある」


 最近夢によく出てくる、過去の記憶のようなもの。私は誰かを愛していて、でもその人がどんどんおかしくなってしまって、結局共倒れになる。夢の最後で必ず、「いつか、君をもう一度」と愛していた人に言われて目が覚める。そしてその度、隣にいるファルの温度を感じて安心するのだ。


「どんな悲恋だったんだろう。いつも終わりはバッドエンド……」


 悪夢といえば悪夢だが、この夢を見るたびにファルとの関係こそは悪いもので終わらせたくないと思える。そう、『今度こそ』は。


「……私は、本当に生きているの? 生きて“いた”の?」


 思考がぐるぐるする。今日は考えてばかりだ。いい加減寝よう。


 でも、このソファーには私しかいなくて。最初に話した日、ここでこの世界について教えてもらったことを思い出す。


「……さみしいよ」


 そのまま、私は眠りに落ちた。

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