第29話

「そ、それでも引けません。例え私の命が――」


 言いかけた途中で、バタンと応接間のドアが開かれた。


「そこまでだ、クソ野郎」


「……ファルさん!」


「あらら、来ちゃったんだ」


 ロキの平然とした態度に対してファルは怒りを露わにする。ここでまた殺し合いが始まると、今度こそ助けられない。私は席を立ってファルに抱き着く。


「クオン……?」


「私が言い出したんです。貴方の過去を勝手に覗き見てしまったのは」


「君が教えなかったから私がわざわざ教えてあげたんだ」


 ファルは一瞬拳を強く握って、それから力を抜いた。彼はそのまま抱きしめ返してくる。さっきまで固く激しかった心臓の鼓動が、暖かく優しいものに変わる。私はひとまず大事は免れたと安心した。


「ファル、これから人形ちゃんのことどうするの?」


「どうもしないし、したところでお前に話したりしない」


「“これ”は私が君に謝ってほしいみたいだけど」


「謝る気もないクセに言うな。それにクオンは“人形”でも“これ”でもねぇ」


 ファルのその台詞を聞いて、ロキはきょとんとする。笑ってはいるが、疑問を複数浮かべている顔だ。


「え、君って本当にそう思ってるの?」


「……ああ。クオンは生きてる」


「へ、へぇ! ますます意味分かんないなぁ! 生きてる? これが?」


 さっきの、六年前の時の様に態度が変わる。これは動揺か、もしくは興奮か――。


「気が変わった。謝るよ。ファル、先日はごめんね」


「どういうつもりだ」


「その代わりこの子が人間だって言うなら、道を外したときは私も介入出来る予知があるよね」


 意味が分らない。私は堕落にはならないのに。


 ここで最大の矛盾に気付く。もし、今後燃える悪夢の様な『人間を堕落に変える』堕落が現れた時、その時私は――。


「こいつは道を外さねぇ」


「人間は道を外すものでしょ。それがどういう意味であれ」


「…………」


「その矛盾を抱えてこれから生きていけばいいさ。ああ、君の人生は矛盾だらけだったっけ」


 ファルの表情が険しくなる。漆黒の瞳がロキを刺す様に鋭く光る。


「でもね、その矛盾は彼女も傷つけることになるよ」


 ファルはそのまま苦い顔をする。


「……帰るぞ」


「逃げるのかい?」


「逃げと思ってくれても構わない」


 強く手を引かれて応接間を出る。ロキに何か攻撃されるのではと思ったが、何も言わず見送っていた。


 ポケットに違和感を覚えて中に手を入れる。そこには、


『またいつでも来てね。待っているよ』


 とだけ書かれた紙が入っていた。

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