第15話

 向かうと、瓦礫になった建物の前で小さな女の子が泣いている。


「待ちなさいネル! まだどんな危険があるか分からないでしょう!」


「でもお母さん、お父さん、わたしたちのおうちが!」


「いいから逃げるわよ!」


 子供の手を引っ張っていく両親を見て、心が痛くなった。堕落退治は事が起こってからしか対処できないという事実を突きつけられた気がして。


「しょうがないなぁ」


 ファルはそう言うと親子の方に声をかけた。


「もう堕落はいませんよー! 安全ってこった!」


 その声で子供はぱっとこちらに振り向き、ファル目掛けて走って来た。


「ねぇ、それほんとう!?」


「うん、本当」


「おにーさんありがとう!」


「うわっぶ。……よしよし。怖かったな」


 女の子は泣きながらファルの足に抱き着いた。ファルも女の子の頭を撫でている。


「こらネル! 勝手に行かないの! すみません……」


「いいですよ。さぁ、お母さんの所へ帰って。お家はまたすぐ修復されるから」


「そうなの?」


「そうだよ」


 ファルは女の子の目をじっと見つめて、優しくそう言った。


「よかったぁ! おにーさん、ほんとうに、ほんとうにありがとう!」


「うん。じゃぁな」


「ファルさん、貴方には感謝しかありません……。ほら、行くよ」


 女の子は両親に連れられた。多分避難したのだろう。堕落が死んだとはいえ、まだ処理が――。


「あ」


「どうした? 痛いところとかあ」


「私、堕落を――」


 人を、殺した。


 それは重い事実なはずなのに、あっさりと、軽くそれを成し遂げてしまった。もっと考えるべきだった。いや、でも自分の身を守るのに必死でそれどころじゃない。街だって襲われていたし正当な防衛だ。例えそれで命を一つ失ったとしても。私の命じゃ駄目だ。これはあの堕落が死ななければ“ならなかった”。そう、しょうが無いじゃないか。これは、これは――――。


 ぽんっ。


「――ひっ」


「大丈夫、じゃねぇよな」


 ファルに肩を叩かれた。そのまま頭を撫でられる。


「何も気にすることじゃない。これは仕方の無いことだから」


「仕方の、無いこと」


 その言葉は行き場のない感情を静め、癒やしてくれた。


「そ、そうですよね」


 辛い現実から目を背けさせてくれた。


「いい言葉ですね。『仕方の無いこと』って」


「この世界では目を背けた方がいいことがいっぱいあるから。何もお前が全部背負う必要無いんだ。嫌なことからは目を背けて、重荷はそのまま下ろせばいい」


 撫でていた手で頭を彼の胸に寄せられる。そのまま抱きしめられた。


「せっかく簡単に壊れない体をしているんだ……。『心』だって大事にしないと」


「……はい」


 彼の胸に顔をうずめる。彼の鼓動と体温が伝わってくる。――彼は生きている。


「救急隊、只今到着しました!」


 声のした方を見ると、十数人の白い隊服を着た隊員が駆けつけて着た。恥ずかしくなったので彼から離れ少し距離を取る。


「堕落は退治して頂けましたか?」


「ああ」


「では怪我人の確認や建物の修復、堕落の処理はこちらで行います。今回も本当にお疲れ様でした」


「そっちこそこれから頑張ってくれ。クオン、帰るぞ」


「もう帰っていいんですか?」


 この惨状を放っておいていいのだろうか。何か出来ることがあるかもしれない。それに、こんな悲惨な状況を見たまま家に帰っても罪悪感しか湧かないだろう。


「そのことは安心して。明日になったら元通りに戻ってるから。何なら明日また見に来るか」


「本当ですか」


「うん」


 それが本当なら、この救急隊と呼ばれる人達がきっと魔法を使って修復するに違いない。


「そしたら、救急隊の人達が堕落になってしまうんじゃ……」


「一応その辺の対策はされてるから大丈夫。それに堕落になったらまた退治すればいいし」


 対応ってどんな対応なのだろうか。疑問を目で訴えて見たが、彼は優しく見つめ返してくるだけだった。――まるでこれ以上質問するなと言うかの様に。


「さぁさぁ、疲れてるだろうしさっさと帰りましょう! 今夜は祝いも込めて焼き肉だ!」


「ありがとうございます……」


「はい、手」


 朝と同じく手を差し伸べてくれた。違う風に感じるけど、それはきっと気のせい。今日は色々ありすぎたんだ。この手は何も変わらない。だから吸い付く様に自分から手を差し伸ばす。


 何も変わらない。なのに、彼の手に触れた瞬間。


 ――――どこか救われて、そして堕ちて。もう戻れないような気がした。

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