第8話

「『魔法の反動と“堕落”という驚異』……」


「俺は魔法を使えるのに、お前を物理で破壊しようとしたのはこれの所為だな」


「具体的にはどんな支障が出るのでしょうか」


「具体的な説明はあんまり出来ない。実際のところよく分かっていないんだ。一つずつゆっくり説明していくぞ」


 彼はまず、本に描かれた人間が黒い靄に包まれている絵を指さした。


「例えば空を飛んだり、瞬間移動したり、綺麗な幻覚を見せたり――魔法はいわば幻想的で、夢のある能力だが、使っていくと負の魔力が体内に溜まっていくんだ。それが本人のキャパシティを超えると、この絵みたいに黒い靄に包まれて『堕落』となってしまう」


 次に指さされたのは龍や天使、又は形容しがたい異形の絵だった。ただ、どれも幻想的で美しい見た目をしていた。そしてそれを私は――見たことがある。


「これが堕落。人間が人間ではない怪物に変化してるだろ」


「どうしてこんな形になってしまうんですか」


「分からない。ただ、その魔法使いが憧れを抱いていた何かに変化するんじゃないかって一説もある」


「だけど、こんな姿になりたくて魔法を使っているんじゃないはずでしょう」


「うん。でも幻想世界にいる以上このリスクは背負っていかなきゃならない。俺達魔法使いは、幻想世界の文明の発展のために魔法を使っていく必要があるから」


 『堕落の脅威』。そのページには、暴れ狂い街を襲う怪物が描かれている。


「堕落になってしまった人間は、こうやって理性をなくしたまま街を襲っていく。理由は、溜まった負の魔力を魔法として放出させるためだな。全ての負の魔力を放出し終わると、堕落は自分の姿を保てずに塵となって消えていく」


「でも、そこまでいく前に、街や街の人々が――」


「そう。大変なことになる。だから」


 ――俺達がいるんだ。


 彼はそう言って本を片づけた。


「……まさか、ファルさん。貴方は…………」


「お察しの通り、命をかけて堕落と戦う。そういう仕事をしてる」


「一人で、ですか」


「うん一人“だった”。今日までは」


 彼は悲しむような、そして憐れむような眼でこちらを見た。そこには、深くどす黒い『何か』を感じ取れる。狡猾さか、それとも――。


「俺がお前を拾った理由は、一人で人殺しをするのに疲れたから。だからと言って、他の人間は信用出来なかったから」


「…………」


「俺はお前を少女として扱うけど、それと同時に道具としても扱わせてもらう」


 再度手を固く握りしめられる。だがさっきとは違う、恐怖すら感じる威圧感。まるでさっきの茨が全身に絡みついているような、そんな感覚。


「お前には、堕落退治に付き合ってもらおうと思ってる。魔法が使えないから、しばらくは戦闘訓練をすることになると思うけど」


「さっきみたいな武器を使ってですか」


「そうだね。手配はちゃんとするよ。それで、クオンという絡繰りが果たすべき責務、それは――」


 ――俺が堕落に堕ちた時、俺を殺すこと。


「今まで沢山堕落……人間を殺してきたから、そっち側にはなりたくないんだ。だから頼むよ。分かって、くれるよな?」


 有無を言わせない声色。クオンは萎縮する。しかし、同時に理解していた。ファルという男の微かな優しさと、その思考に至るまでのとてつもない苦心を。


「分かりました。その条件、承諾します」


「ありがとう。ごめんな、無茶言って」


「その代わり、私からも意見があります」


 ふーん、と、裏に何かを抱えた微笑で彼はこちらを見る。


「私は父親を探したい。そして、この世界のことをもっと知りたい。幻想世界がどんなものなのかを。だから、この世界にいさせてほしいです」


「いいよ。お前が責務を全うするなら、父親探しにも協力するし、どこにだって付き合ってやる」


「では、交渉成立ですね」


「ああ」


 二人は向き直って握手をする。クオンの手には、冷たい汗が滲んでいた。


「じゃ、残りはそれぞれ自分の部屋で過ごそうぜ。多分お前も頭の中整理したいだろうし。あ、風呂に入りたかったら言えよ。お前の部屋はねー」


 手を引き部屋まで案内される。そこにはアンティーク風の、落ち着いた感じのベッドや机、椅子等があった。


「ここがお前の部屋。家具は新品じゃないけど使いやすいと思う。俺は隣の部屋にいるから何かあったら声かけてくれ」


 そう言って部屋から出て行こうとするファルを、クオンは呼び止める。


「待ってください」


「なんだ?」


 目を丸くしてこちらに振り向く。どうしても聞いておきたいことがあった。この出会いにおいて最も重要なことを。


「どうして、私を拾った時に非世界にいたんですか」


「あー」


「ファルさんの仕事は、幻想世界の中だけで完結するものでしょう」


「それはねぇ」


 彼は妖しく、そして色っぽい目で睨む。


「ちょっと悪さをした馬鹿がいてさ。そいつを片付けてた」


 ――――だって俺、人殺しだし。


 それだけ言って彼は部屋から出た。バタンと、扉の閉まる音が部屋に響く。


 窓から月の光が差し込んでくる中、クオンは独り呆然と立ち尽くしていた。

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