その絡繰りの名は
第2話
最後に彼に触れたのはいつだろうか。
彼の髪の感触や、抱きしめられた時の安心感を覚えている。一緒にいるだけで幸せを感じた。
だけど、顔を思い出せない。声も思い出せない。目の色も、髪の色も、肌の色も、全部黒いモザイクがかかっている。
――――『彼』って、誰だっけ。
目を覚ました。光が突然目に入ってきたため、一瞬視界がかすんだ。ぼんやりと視界が戻って来たとき、私は今、何が起こっているか理解出来なかった。
「……え?」
「……あー?」
目の前に男がいた。喪服のような黒い服を着て、黒い剣を少女に向かって振りかぶったまま止まっている男が。
「おーやっと目を」
「うわああああああああああ!?」
少女は驚き椅子から転げ落ちた。この時に初めて今まで座っていたのだと理解する。
「な、なに!? なんで殺されかけてるの!?」
「えーっと……全然目を覚まさなかったから……なんとなく?」
「なんとなく」。彼は首を傾けて、悪びれずにそう言う。なんとなくで殺されてたまるか。
「まぁ目を覚ましたならいいや。はい、俺はお前の味方です」
そう言って彼は剣をテーブルの上に置き、両手をぱっと開いた。 信じられるわけがないだろう、さっきの今で、そんなこと。
「ちょっとびっくりしたかもしれないが、本当に敵じゃないから。ほら、何もしない」
「ちょっとどころじゃありません! ……ここは、どこなんですか」
「んー、俺の家。ゆっくり見て、どうぞ」
まず本当に相手に敵意がないか探るため、立って後ずさりをしながらじっと彼の姿を見る。見た目は二十代前半から真ん中あたり。短くて黒い髪と漆黒の瞳に四角い細渕の眼鏡が、色白の肌に妙に映えている。黒いスーツをかっちりと着ていて、正にクールなイケメンという感じだ。
「なぁにジッと見てんの。俺じゃなくて部屋を見ろよ」
「そう言われても……。というか、まず貴方は誰なんですか」
「ああ、そういえば名前を言ってなかったな」
そう言って彼は腰に手を当てて私の方を見た。
「俺の名前はファル。呼び捨てでいいよ。年は二十五。お前の名前は?」
「私は……」
――あれ、私の名前……名前?
「……名前が、思い出せません」
「あらら……」
気の毒そうに、そしてわざとらしく目をつむって腕を組み、考えるふりをするファル。
どうしよう。これは一体……。
「わ、私、どうすれば……」
「うーん、どうしようか。ちょっと待ってて」
そう言ってファルは部屋から出て行く。私は動揺しながらも、その間に部屋を調べることにした。
ここはダイニングルームだろうか。クリーム色の壁と天井に、四角いテーブルとお洒落な木製の椅子が二脚ある。あの椅子からさっき転げ落ちたのか。側にはキッチンがあったが、勝手に人のキッチンを覗くのは失礼だと思ってやめた。
あれ、でも、そういえばなんでここにいるんだろう。というか服とか、今、どんな見た目をしているんだろうか。ぱっと見た感じ、オーバーサイズの白い半袖Tシャツとぶかぶかの短パンを着ているみたいだ。
それに、彼はさっきまで殺意を持っていた。これはもしかしなくても誘拐では。
どうにかしてこの家から出なくちゃ。そうあたふたしていると彼が戻ってきた。
「ごめん、待たせた」
その声に体がびくりと震える。
「あ、え」
「そんなに怯えんなって。ほら、名前の候補。これでも真剣に考えたんだから」
彼は様々な文字が書かれた紙をテーブルの上に置いた。
「あの、私」
「ここから名前選んで」
何故か変な方向にとんとん拍子で進んでいく。このままじゃ流される。だから声を張り上げて言った。
「私! なんでここにいるんですか……」
「ああ、まずそこからか」
まぁ座ってと、彼は椅子を引いた。
「あのな」
お前、捨てられたんだわ。
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