ニンゲン、大地を跳ぶ
刻露清秀
🐧
朝起きて、アプリを確認すると、今日会う予定のオスから連絡が入っていた。
「明日は陸族館の前集合で。青い足環をしています」
本当なら昨日のうちに返信をしていた方が好印象だったに違いないが、気が付かなかったのだから仕方がない。
「おはようございます。わかりました。私は赤い足環を2つしていきます!」
返事を貝型通信機に吹き込んだ。巣穴の中で赤い足環を探し、装着する。もちろん自分ではつけられないので、装着機を利用する。
ペンギンの足環は、今や生活に欠かせない。昔のペンギンは足環なしで生活していたというけれど、どうやって初対面のペンギンと待ち合わせしていたのだろう。通信をすることがまれだったというから、待ち合わせなんてしなかったんだろうか。
親から巣立って早くも一年が過ぎている。晩番化の昨今といえど、これは遅いのではないか。巣穴なんて、普通は番になってから持つものだ。そんなわけで、私は少し焦っている。絶対にやらないと決めていたはずのマッチングアプリにも足を出したというわけだ。
青い足環のやつは、どんなオスだったっけ。通信機に指示をして、プロフィールを確認する。通信機の製造所に勤めていて、亜種レベルで同じで、私より一ヶ月先に孵化している。ちょっと歳は食ってるけど、なかなかの好条件だ。月齢に関しては、私も私なので、贅沢は言ってられない。
月齢に関しては、というか、全てにおいて私は贅沢は言ってられない立場である。文明社会においては、野生的な海に潜ったり岩に巣を作ったりする仕事は、尊敬されないけれど、私は魚の養殖場で監視員をしている。孵化してすぐの、発育がいいだけで褒め称えられていた時期が、私の全盛期だったのかもしれない。あの時期のヒナは、歩いただけでも褒められる。巣立ちもとうに過ぎた立派なペンギンは、歩いたぐらいじゃ褒められない。
そんなことを考えれば考えるほど、巣穴を出るのが憂鬱になってきた。でも行動しなければ変わらない。私は羽繕いをして、巣穴を出た。
外は休日にも関わらず、どこかへ向かうペンギンでいっぱいだった。
何年も前から少雛高齢化が叫ばれ、私のような独身は肩身の狭い思いをしているにも関わらず、街にはペンギンが溢れかえっている。溢れかえったペンギンとその文明は、環境破壊を引き起こし、同族の生息地である南極の氷は危機にある。難民となった南極種はこの街にもたくさんいる。
そんなことを考えていたら、明らかに南極出身の大きなペンギンが立っていた。真っ黒な顔、黄色い胸、私の倍はありそうな背丈。顔と同じ真っ黒な瞳は、どこにあるのかも不明瞭。南極訛りの抑揚のない鳴き方で、同じ言葉を繰り返す。
「この先工事中です。車両は通行できません」
よくないことだとわかっているけど、私は他種が苦手だ。大型のものは特に。単純に怖いんだと思う。生物的な恐怖を、差別感情だと言われればそれまでだけど、『なんとなく嫌』まで否定されたら、どうすればいいのだろう。どうもしないか。わざわざ伝えない限りバレないんだし。
無言で立ち去る私の背中を、さっきの南極ペンギンが見ている気がする。私が他種が苦手なのは、何を考えているのかよくわからないからでもある。陸族館にいる獣くらい、私とかけ離れた動物だったら怖くないのだが。
陸族館に行くのは久しぶりだ。水族園と陸族館どちらが好きかと聞かれれば、陸族館派である。わりと動物好きな方だと思うが、家族連ればかりの陸族館は、いつの間にか私にとって居心地が悪い場所になっていた。
今日行く陸族館は、猿が有名らしい。オランウータンにゴリラ、チンパンジー、ニンゲンと、大型テナガザル類はほとんど揃っているのだという。珍しい猿よりは、珍しい猫とか犬の方が見たいけど、まあいい。水族園より陸族館が好きなのは、アザラシとかオタリアとかの猛獣ショーがないこともある。その動物の生息地に近づけて展示する試みは、陸族館の方が成功しているように思う。
陸族館の目の前で、所在なげに立っている青い足環の同種を見たときは、なんだかホッとした。
※※※
「環境エンリッチメントの取り組みはこの陸族館の特徴で……」
青い足環のオスはとにかく語りたがりのひけらかしたがりで、私の返事もろくに聞かないで喋っていた。彼の語る環境エンリッチメントとは、まあざっくり言って、その動物の生息地に近づけて展示する試みであり、ろくに知識もない私でも思いついたようなことを、小難しい言葉で言っているに過ぎないのだが、それは無知な私が立派な名前のついた概念に自然と気がついたということで、なんだか嬉しかった。
「それ、わかる気がする」
その嬉しさを共有しようと、私は嘴を開いた。
「ん?」
「あのね、つまりね」
私は拙い言葉を駆使したが、頭のいいオスには要領を得なかったようで、礼儀上ふんふんと興味のあるふりはしてくれたものの、それが興味のあるふりであることを見抜けないほど、私はバカではなかった。
「それで?」
「それだけ」
しばらくして、オスはまた知識の発表会に戻っていった。懇切丁寧に解説してくれたオスによると、環境エンリッチメントとは私が思うほど単純ではなく、動物福祉と結びついた概念で、犬は犬らしく、猿は猿らしく展示することが重要なんだとか。猛獣ショーのようなありのままの生態を歪める展示は、批判されるらしい。
無学な私にはオスの語ることは新鮮で、多分このペンギンは頭のいい両親に育てられたんだろうな、と思った。私の両親だってバカではないが。
「ご覧よ、ここの目玉だ。ニンゲンだよ」
オスに言われるまま、展示場をのぞいた。
「私ニンゲンって初めて見ます。知ってはいたけど」
「そうかい? 飼いやすい動物だから、陸族館にはよくいるもんだけど。まあ雛が見たがる動物ではないかもね。羽が、頭と脇と股にしか生えてないから、見た目がだいぶ変わってるだろう?」
オスの言う通り、それはとても奇妙な猿だった。頭部は長い羽で覆われているにも関わらず、最も守るべきであろう胸や腹は羽が薄く地肌が丸見えで、なぜか脇と総排泄孔の周りの羽が濃い。よく見るとうっすら羽が生えているので、『羽が頭と脇と股にしか生えてない』というのは誤りだが、奇妙なことにかわりはなかった。もちろん存在は知っていたけれど、生で見るとますます珍妙な動物だ。
「ニンゲンが変なのは、見た目だけじゃなくてね。知ってるかい? ニンゲンは木に登れない猿なんだ。さっきのチンパンジーがやっていたブラキエーション……枝から枝へ飛び移るような跳躍は、得意ではないんだ。野生下ではほとんどしないと言われている」
私は黙って頷いた。それは両親から聞いていた。ニンゲンって猿は、木に登ることをしないで、私たちみたいに歩くのよって。
「これまでは猿だからって高所での展示がされていたけれど、ここはエンリッチメントがしっかりしているからね。動物福祉的な観点から、そんなひどい展示はしてない。岩場でも高所でもなく、平地で飼われているだろ?」
私はまた、黙って頷いた。
「今から餌やりの時間だよ。見ててごらん」
機械仕掛けの餌箱がレールの上に飛び出した。よく見ると、展示場には仕掛けがあって、飼育員がいなくても餌やりができるようになっているらしい。
「あんなスピードで動かしたら、食べられないんじゃないですか?」
私の素朴な疑問には、
「まあ黙って見てて」
と返事があった。
言われた通り黙っていると、それまでのんびりと寝そべっていたニンゲンが、がばりと起き上がった。猿なのに二本足で立つんだ、と妙なところに感動する。ニンゲンは餌箱との距離を計ると、不恰好に長い足で展示場の床を蹴った。
「はや」
黙ってて、と言われたのに、口に出してしまった。ニンゲンは足を器用に使って、先ほどオスが言っていたブラキエーションさながらの速さで、餌箱を捕まえていた。弾むような、独特の足の動かし方で、木を登るようにするすると動く。
「大地を跳んでいるみたいだろ。野生下のニンゲンはああやって天敵から逃げたり、捕食をするんだ。この動きを見せることこそ、陸族館の目玉なんだよ。跳べない猿が跳んでるみたいですごいってね」
あの動きは、跳ぶと表現すればいいのか。確かにあれは、歩くというには速すぎる。跳べない猿が平地を跳んでいるその姿は、不恰好で他の猿のように俊敏でないそれまでと違って、野生の風を感じた。それまでは気にもとめなかったのに、展示場の周りにベタベタと貼られた説明文まで読んでしまった。
ニンゲンの住む草原を守ろう。私たちの生活を支える巣穴開発や、通信機を作るための貝の乱獲によって、大地が荒れています。
ありふれた警告文に感心する私の姿に、なぜか自慢げなオス。この陸族館での一日は、私の強烈な思い出の一つだ。
ちなみにこのオスからは翌日、丁寧なお断りのメッセージが届いた。ぐだぐだと要領を得ないメッセージだったが、要するに私は優秀な自分には相応しくないと言いたいのだろう。正直わかりきっていたことではあったが、私にとってはあの陸族館での時間が楽しかっただけに、寂しくなったことをよく覚えている。私のあの感動は、青い足環のオスにはありふれていて取るに足らないものだったと、そう言われたようで。
文明の中にありながら、文明の求めるペンギンにそぐわない私は、あの瞬間、不恰好な猿に自分を重ねていたのだろうか。頭が良くなければならない。巣穴は番になってから持たねばならない。文明的な仕事をしなければならない。他種を認めなければならない。発育がいいだけではなく、品格も兼ね備えていなければならない。文明はならないだらけ。窮屈だったから。
※※※
あれから十年。世界は様変わりした。
端的に言えば、ペンギン文明は滅びた。南極の氷が溶けるなんて異常事態を、放っておいたのが運の尽き。ニンゲンの住む草原を守ろうなんて悠長なことを言っている間に、私たちの住んでいる岩場が、相次ぐ異常気象でダメになってしまった。勤めていた養殖場も、陸族館も、何もかもたちいかなくなった。文明を維持することができなくなったペンギンは、先史時代さながらの天敵に怯えながら魚を捕まえる狩猟生活で、なんとか命を繋いでいる。
私がこんなにも長生きしているのは、頭が良かったからではない。もちろん、文明的な仕事をしていたわけではないし、他種は今でも苦手だ。かといって、際立って発育が良くて野生的な勘が鋭かったわけでもない。私は文明の中で生きづらさを感じるペンギンだったが、だからと言って野生向きなペンギンでは、残念ながら、なかった。
私は、ものすごく運が良かったのだ。
巣穴のあった辺り一面が大雨で流された時、私は巣穴にいなかった。養殖場がシャチに襲われた時、私はたまたまサボっていた。
誰が一番はじめに飛び込むかで揉めている若者を尻目に、私は海へと飛び込んだ。幸いにも天敵が待ち構えていることはなく、一番乗りの私はすぐに魚を捕まえることができた。生き残る秘訣は、こういう小さな幸運の積み重ねだ。
ただし、生き残りはしたものの、繁殖にはとことん縁がない。適当なオスと番ったが、みんなアザラシに食べられたし、抱卵は経験したが、雛が孵ることはなかった。かつてはアザラシなんて猛獣ショーの賑やかしでしかなかったのに、今や立派な天敵だ。まあ諦めたわけではないが。諦める、弁える、そういった類の行動は、文明とともに消え去った。生き汚くて何が悪い。
もう一つ、私の長生きの秘訣を語るなら、私は泳ぐのが上手だ。野生のペンギンは、逃げるにも狩りをするにも泳がなければいけないから、この能力には助けられた。
海を泳いでいると、陸族館で見たニンゲンを思い出す。文明のあった頃は、考えもしなかったことだけど、ペンギンは奇妙な鳥だ。見た目も変わっているが、それだけでなく、鳥なのに空を飛べない。
視界の端を、大きな影がよぎった気がした。アザラシかどうか、なんて確認している暇はない。私は、地面を蹴るように水を切って、一目散に陸地に向かう。捕まったら命がない。
不恰好な鳥の私は、なんとか今日も生きている。明日はわからないけれど、それが生きると言うことなのだろう。ニンゲンが大地を跳ぶように、ペンギンは海を飛ぶ。もしかしたら、猿が猿らしく生きるのが幸せなように、鳥は鳥らしく生きるのが幸せなのかもしれない。生き残った私は、そんなことを考えながら、巣穴へと戻った。
ニンゲン、大地を跳ぶ 刻露清秀 @kokuro-seisyu
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