春の日-3
三年生になって初めての土曜日。大学進学を希望している千歳は、最近塾に通い始めて今日は会えない。付き合いだしてからこっち、休日はほぼ一緒に過ごしていたから寂しさは否めないが、今日に限っては好都合でもあった。アクセサリーショップにひとりで行きたかったからだ。
今日も尊の左手にある千歳の指輪。同じものが陳列されているコーナーを横目に、ピアスが並べられた前で足を止める。千歳の耳に開けたピアスホールがそろそろ安定する頃合いで、プレゼントを見繕いに来たのだ。指輪を交換した日、お互いにここのブランドが好きだと知れたのはラッキーだった。
ブランドとしての統一性はありながら、様々なデザインが施されたピアスをひとつひとつ吟味していく。千歳のミルクティー色の髪から覗くなら、派手なデザインよりシンプルなものが映えそうだ。千歳ならどれを贈っても喜んでくれる気もするが。
これだと思うものを選びたくてうんうんと唸っていると、ひとりの店員が近づいてきた。
「ゆっくり見てってね」
「……っす」
ショッピング中に声をかけられるのは苦手だ。出来ることなら放っておいてほしい。素っ気ない態度でその意志を示したつもりだが、その男性店員はめげない。
「君の雰囲気とちょっと違うの見てるね」
「あー……俺のじゃないんで」
「プレゼント?」
「ですね」
「彼女?」
「彼女、っつうか……まあ」
くだけた話し方が、無遠慮に距離を詰めてくるようで居心地が悪い。適当に相槌を打ちつつ、半ば背を向けていたのだが。話題がアクセサリーとなると、つい興味を引かれ話に乗ってしまう。
「あ、その指輪もうちのだよね」
「はい」
「うちの気に入ってくれてるんだ」
「……っす。新作いつもチェックしてます」
「それは嬉しいな」
なんだかんだと会話をしながらも、ひとつのピアスに目が留まった。店員も「それ気に入った?」と聞いてくる。頷きかけて、けれど尊は眉を顰める。値札を確認すると、予算を少しオーバーしていたからだ。千歳に贈るのだから惜しみなく、なんて格好をつけたくたって、無いものを出せるはずもない。
仕方ない、別のものにするか。気に入ったそれを手放せないままに他のピアスも改めて見ていると、ずっと傍にいた店員が「ねえ」とまた声を掛けてきた。
「うちでバイトしない?」
「……え?」
「丁度募集してんだよね。アクセサリー好きなら向いてると思うし」
「…………」
「それ、足りない分はバイト代で後払いでいいよ」
そこで初めて店員を目に入れ、尊はぱちくりと瞬く。指さされた方には実際に求人の紙が貼られている。
二十代半ばくらいだろうか。男は不敵に笑っている。怪しんでも罰は当たらなさそうな好条件を示され、尊はつい怪訝な顔を覗かせる。とは言え、すぐにプレゼント出来るのは魅力だ。他所でアルバイトをしたってそうはいかない。気に入りのアクセサリーショップで働けるという点でも、惹かれずにいられなかった。
「お願いしてもいいんすか?」
「交渉成立な。それ包む」
「あざす」
話はとんとん拍子に進み、千歳へのプレゼントを無事に購入することが出来た。土日は忙しいから月曜にでもまた顔を出してと言われ、名前と連絡先のみ渡して店を後にした。
五月のあたたかい風が、屋上でくるくると円を描いている。
尊の高校生活は、仲のいい三人とこそ離れてしまったが、二年時に千歳とよくつるんでいた男子の
告白をされてすぐこそ真野との間には気まずい空気があったが、今はそんなものどこへやらで。山田とふたりして、半ば無理やり友人の枠に引きこんでくる。千歳に好きだと言われて、自分も好きになったからこそ。受け取れない恋心でもきちんと向き合う、そう決めたけれど。過ぎ去った後にこんな今を齎すこともあるのだと知った教室は、思っていたより悪くない。
「じゃあ俺らお先~」
「尊、次もサボんなよ」
「サボんねぇよ」
ここ最近は決まって早めに教室へ戻ってしまう、ケンスケとナベに手を振る。
自分と千歳の関係を“仲がいい”と称すふたりは、恋人同士であることまで気づいているのだろう、と尊は思っている。気づいた上で、自分たちの近況を知ってふたりきりにしてくれているのかもしれない、と。
ケンスケとナベをよく知らない者たちは、不良だとかチャラいだとか、そういった言葉でふたりを表現するだろう。それでも友人たちは、男同士で付き合っている自分たちを茶化しもしなければ、距離を置くこともしない。気のいいふたりが尊は好きだ。大人になっても切れない関係を腐れ縁だと笑い合って、酒を酌み交わす日を既に楽しみにしてしまうくらいに。
齎される時間は有意義に。千歳の隣にもう一歩近づき、耳に光るピアスを指先であそぶ。先日贈ったそれを、千歳は涙を浮かべてまで喜んでくれた。こうしている今も、くすぐったそうに肩を竦める仕草が愛しい。小ぶりでシンプルだがひと味スパイスの効いたデザインが、千歳を上品に彩っている。
「今日もバイトある日?」
「ああ。ちーは塾だよな」
「うん」
「お疲れさん」
「花村もお疲れ様。バイト楽しい?」
「なんだかんだな。
「そっか」
後払いにしてもらった分のピアス代は、ゴールデンウィークを乗り切った後に無事に払い終えた。あの時声を掛けてきた店員、椎名が個人的に立て替えてくれていたと知った時は驚いたものだ。その厚意に報いたい。それに何より、まだまだ教わることばかりと言えどアクセサリーに関われることが楽しくて、今もバイトを続けている。
「なかなか時間合わないね」
「だなあ。しょうがねえけど」
「そうだね」
春を迎えて、一緒に過ごせる時間は格段に減ってしまった。この状態は当分続くだろう。しょうがないと口では言っても、寂しさは体中に巻きついていて、先が思いやられる。いつか泣きついてしまいそうな、すっかり別人のような自分がこわい。だが日々勉強に励んでいる千歳の背中は、まっすぐに押したいとも思っている。
「ちー」
「ん? ……あ」
手を繋いで、千歳の頬にキスをする。はにかんだ千歳が、今度はくちびるに返してくれる。なんだか可笑しくなって、笑いながら「もっかい」とねだれば頷いてくれる。今はこの昼休みのキスだけが、心を交わす貴重なスキンシップだ。
「花村、そろそろ時間」
「あと十秒」
「……うん、十秒」
またゆっくり過ごせる日を希望に、この日々を頑張ろうとキスをする度に決意する。だけど今だけはもう少しと、予鈴が聞こえた後の「あと十秒」を毎日くり返している。
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