春の日-2
得体の知れないものに、今の自分を全て託すような願い事などしなければよかった。無情な結果に尊は途方に暮れる。せっかく進級出来たのに、本当に退学への一途を辿ってしまうかもしれない。
「尊~、大丈夫……じゃねぇな?」
「先生たちってちゃんと見てねぇのな!? 尊は三上と一緒にしとかなきゃ駄目だろ」
「花村……」
「…………」
ケンスケとナベ、それから千歳は三年A組。尊はC組。ケンスケの言う通りだと心の中で激しく頷く。出席率の変化やクラスの様子をよく観察していれば、今の尊が千歳によって形成されていることは明白なはずだ。留年も退学もひとりだって出ないほうが、学校としてもいいだろうに。
友人たちに何と返せばいいか。うっかりすれば弱音が零れてしまいそうで、尊は口を噤むことしか出来ない。
「尊お前、頼むからサボんなよ!? 絶対一緒に卒業すんぞ!」
「…………」
「尊~!」
半ば千歳に引きずられるようにして、放課後は三上家へと直行した。極端に口数の少ない尊を千歳は抱きしめ、肩の上で頭を撫でる。背中に添えられた手がトントンとリズムを刻んでいる。子ども扱いみたいだと思いはするのに、尊はただただしがみつく。
「お昼は一緒に食べようね」
「……ん」
「休み時間も会いに行っていい?」
「……ん」
「花村……」
抱擁が解かれたかと思うと、今度は両頬を包まれる。潤んでいる瞳は、まるで尊の代わりに泣いているみたいだ。下まぶたに触れるとくちびるが重なった。慰めるようなキスをくり返して、頬をくっつけて千歳がささやく。
「ねえ花村、オレも寂しいよ」
「ちー……」
「一緒のクラスになりたかった」
朝からずっと、拗ねたような態度を取ってしまっている。こんな風に気遣わせて、恥ずかしい姿を見せてしまっている。分かっている。それでもそれを千歳が汲んで一生懸命心を砕いてくれることが、尊の胸をいっぱいにする。嬉しい、なんて言ったら困らせるだろうか。
「クラス替え決めたヤツは腹立つけど、卒業はちゃんとする」
「うん」
「ちー」
「ん?」
「もっと。キス」
「うん」
ふ、と微笑んだままのくちびるが再び近づいてくる。付き合い始めてからこっち、もう何度もキスをしてきたが、甘やかされるようなのは初めてだ。今まで以上に体が熱くなり、千歳の背に腕を回して後ろに倒れこむ。驚いた千歳が慌ててシーツに手をついて、それを見上げてさらに乞う。
「ちー、もっと」
「っ、うん……」
千歳がきゅっと眉を寄せる。オレも堪らない、と言われているみたいだ。丸い息を吐きながら舌を伸ばすと、答えるように千歳もそうしてくれて、眩んだ目を閉じる。離れないでほしい。千歳の髪に指を忍ばせ、深く絡ませる。ふたり分の短くて荒い息で部屋は満ちて、腹の奥がぐるぐると熱を持つ。千歳もそうなのだと、張り詰めたそこがぶつかり合って分かった。
明日からひとりの時間がぐっと増えるのかと思うと、いつも以上に触れられたくなる。けれど――と考えるのはもちろん千歳の気持ちだ。甘い雰囲気になっても、いつもはぐらかされてきた。それが悲しくても、ちゃんと待ちたいと思っている。今もそうだ。
ああ、でも。堪えるように瞳を眇める千歳に、今日は賭けてみたくなる。
「ちー、触りてえ」
「っ! 花村……」
「俺のも、触ってほし……嫌か?」
「っ、嫌なわけ、ない!」
ぎり、とくちびるを噛む様に息を飲む。嫌なわけないのか、嬉しい、嬉しい。気の急くままに千歳のベルトに手を掛ければ、尊のそれも引き抜かれる。
以前みたいに触りあって、キスをしながら擦ればあっという間だった。忙しなく上下する胸に千歳が崩れ落ちてきて、なんだか泣きそうな想いで抱きしめる。
「ちー、気持ちよかった」
「オレも……あ、手拭かなきゃ」
慌てて起き上がった千歳がお互いの手を拭いて、それから身なりを整えようと尊の制服に手を伸ばす。その手首を尊は思わず握ってしまった。ここで終わりにしたくない。そう言ってしまおうか。躊躇っていると、傾げた首を戻した千歳が促すように微笑んだ。
「……あのさ」
「うん」
「あー……いや、なんでもない」
「……そう?」
もっとしたい、という言葉が喉のすぐそこまで上がってきて、だが尊はそれを飲みこんだ。久しぶりに触れ合えただけでも進展したのだ。先を急いで千歳に嫌がられたら、当分立ち直れそうにない。
それでもいつか、と願わずにはいられない。
千歳からの告白を待つ間に、男同士はどんな風に体を重ねるのか調べた。二度目の告白を今か今かと待つ間に、以前なら考えもしなかった欲が芽生えた。欲しがられたい、触れられたい――ちーに抱いてほしい。ひとりで慰める時だって、もうずっとそんな妄想ばかりしている。
「ちー、こっち来て」
「うん。今日は甘えただね」
「……嫌か?」
「嫌じゃないよ!」
「マジ?」
「うん。甘えてもらえて嬉しい……大好き」
「ちー……」
シングルのベッドにふたりでぎゅうぎゅうに寝転がって、胸元に抱き寄せられる。あたたかくて、千歳の優しさが心強さになる。大丈夫だ。恋人同士なのだから、その瞬間はいつか必ず訪れる。ふたりの気持ちがちゃんと重なる時が。その瞬間を迎えるのは、きっとそう遠くはないはずだ。そう信じて、千歳の胸にすり寄る。
想像以上に待つことになるとは、この時尊は露ほども思わなかった。
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