君に夢中Ⅱ

 通常なら十分程度の道を、急いで帰ったのに。見慣れた景色はもどかしく、何倍もの時間がかかったような気がする。


 千歳の自室に入り、どちらからともなく手を繋ぐ。上がっている息に今更気がついて、それでも抱きしめ合おうとした時。待ったをかけたのは、尊のほうだった。


「ええ、花村~」


 踏み出すことに躊躇っていたのが嘘みたいに、千歳がくちびるを尖らせる。身勝手とも言えるそれは愛おしく、尊はわざと千歳と目を合わせたまま自身のシャツへと指を掛けた。千歳はあわあわと取り乱し始める。


「え、なに!?」


 閉めたことなど一度も覚えのない、1番上のボタン。その下のボタンをゆっくり外す。唖然としていた千歳が、生唾をごくりと飲みこむ。それに気分を良くしながら、ネックレスを摘まみ上げる。


「……あ、それ」

「エロいこと考えたろ?」

「なっ! そんなこと! あるけど……」

「はは、素直」


 ネックレスを首から外し、そこに通していた指輪を千歳の手に乗せる。それから左手を「ん」と差し出す。


「ちーがつけて」

「うん……え、もしかしていつも首にさげてたの?」

「ちーが家ではずっとつけてるって聞いて、それから」

「……球技大会の後も?」

「うん」

「そうだったんだ……」


 感極まっている千歳は、尊の指をそろそろと撫でる。その間に、尊は千歳のデスクへと手を伸ばす。


「ほら、ちーも」

「うん」


 千歳の右手に指輪を嵌め、そのまままた手を繋いだ。お互いの手の中で指輪がぶつかる感覚は、交換をした日以来だ。なんだか心にまでくすぐったい。


「じゃあ続きな」

「はは、なんかムードないね」

「ムードより大事なもんがあんだろ。ん」


 抱きしめられたくて、尊は両腕を広げる。さっきは待ったをかけてしまったから、そこからやり直したかった。顔をくしゃっと歪ませた千歳が腕の中に飛びこんでくる。抱きしめ返し、千歳の首に鼻を擦りつける。


「オレ、世界一幸せかも」

「俺も。ちーあったけー、なんか力抜ける」

「花村はまだちょっと冷えてる」


 千歳の背中を撫でると、同じように背中をさすられる。体温が溶け合う感覚にふたりで息を吐き、どちらからともなく額を合わせる。


「ちー、ここ」

「花村……」


 トントンとくちびるを示し、学校の階段下へと時間を巻き戻す。邪魔するものはもう何もない、やっとキスしてもらえる。そう思ったのに。近づいてきたくちびるは、もうほんの数センチしか距離がない、というところで止まってしまった。


 ああもう。腹立たしいほど心をかき乱される。この期に及んで怖気づく千歳が焦れったくて、その頬を両手で挟みこむ。


「ちー、俺すげーお利口にしてたと思うんだけど」

「……え?」

「返事すんなって言われたから、好きになってもずっと待ってた」

「花村……」

「だからさ、ご褒美あってもよくね?」

「……ご褒美」


 不機嫌に尖るくちびるを自覚している。千歳の前ではどうにも子どもみたいになってしまう。でも、そんな自分まで愛してもらわなきゃ困る。千歳の恋がこんな風にしたのだから。


「すげー待ったから。好きって言われんのも、キスすんのも。だからなんつーか……そういうの、ちーからされたい」

「っ……」

「なあ、早く」

「花村……っ」


 眉をぎゅっと寄せた千歳が、ぶつけるようにキスをしてきた。不格好で、それこそムードなんてなくて、けれどそれが堪らない。すぐに離れて今度は柔らかなキスをする。


「花村、好き、だいすき」

「っ、ちー、あ、俺も」


 ああ、待ってよかった。好きだと叫びたくなっても、強引にキスしたくなっても。それでも耐えたのは『何も言わないで聞いててほしい』と言った千歳を守る為で、千歳から欲しがられたい己の為でもあった。箍が外れたように好きだとくり返す千歳が、尊を満たす。もどかしかった日も、離れていた日々も報われる。


 あんなに躊躇していたのが嘘みたいに、何度も角度を変え、キスをくり返す。そうしてくちびるが同じ温度に溶け合い始めた頃。甘い吐息をもらすと、背中を掻き抱かれた。求められる喜びに、腰が崩れ落ちる。ふたりで床に座りこんで、千歳が鼻を啜って、それに尊も続いて。再び指を絡めながら、千歳の首に擦り寄る。


「ちーのこういう顔、俺しか知らねえんだよな」

「こういう、って?」

「えろい顔」

「っ、えろい顔……」

「なあ、もっとちょうだい」

「あっ」


 腹の深いところから、果てしなく欲は湧いてくる。膝を立て、半ば乗り上げるようにして今度は尊からキスをする。恋なんて、とすら思っていたのだから、全ての感情が眩しいくらいに鮮やかだ。欲しがってもらえたら、自分からも届けたくなるらしい。片手で腰を抱き留められ、千歳もキスに夢中な様子にくらくらする。もっと千歳を感じたくて、濡れた舌を差し出す。もう、と千歳がらしくない悪態をついて、髪の中に指が入ってきた。吸われる舌がぴりぴりと痺れる。

 ああなんで、こんなに触れ合っているのに寂しいのだろう。もっともっと近くにいきたい。眩んだ頭でもっとキスを深くした時――体がぶつかって、そこで初めて気がついた。いつの間にか、制服の下がきつく張り詰めている。尊も千歳も、だ。

 肩を跳ねた千歳が、一心に尊のそこを見つめてくる。そんな目をされると触れられたくなってしまう。尊はそこをぐっと押しつける。


「あっ、は、花村」

「どうする?」

「どうする、って……どうもしないよ!? だってそんなの、早すぎる」


 やっと今日、想いを繋げられたばかりだ。千歳の言わんとすることはよく分かる。だが尊にも言い分はある。


「俺は百年待った気分だけど」

「ええ……じゃあオレは五百年片想いしてたね?」

「……ふ、それはそうだな」

「あは」


 だが予想外の返しに、思わず笑ってしまった。この流れでも笑い合える関係が心地いい。でもそれでも、もう一押しさせてほしい。


「でもどっちもガチガチだけど」

「それは……」


 じりじりと後ずさりをする千歳を同じスピードで追う。背中がデスクにぶつかり、千歳はいよいよ逃げ場を失った。


「触んのイヤ?」

「っ、嫌なわけ、ないじゃん」


 少し怒ったような千歳の顔に、腰が甘く疼いた。こんな顔は俺にだけ、と思うと堪らない。そのまま腰を擦りつける。ゆらゆらと体を揺らして、耳元でささやく。


「ちー……ちーに、触ってほしい」

「もう……っ!」



――――



 手で触れ合った後、弛緩した体をくったりと預け合う。乱れたままの湿った呼吸が肌にぶつかる。自分でねだったのに、顔を見せるのがどうにも恥ずかしい。それでも千歳の顔を見たくて首をもたげたると。同じようにこちらを向いた千歳と目が合った。その頬は赤く染まっていて、ああまた好きになってしまったと、尊は丸く息を吐いた。


 手を綺麗にして、衣服を整えて。どことなくぎこちない動きで、ベッドを背もたれに腰を下ろした。外はもう暗い。帰らなければと思うのだが、どうにも離れがたかった。


「ちー」

「んー?」

「ちー」

「はは、なに?」

「なんでも」


 ベッドに頭を預け、千歳をじいっと見つめる。すると照れくさそうに笑ってくれる。指を絡ませると、引いていた赤がまた千歳の頬に咲く。可愛いな、と思っていると、花村顔赤いよと言われてしまった。どうやらふたりして同じ顔をしていたようだ。


「花村とこうなれて……夢みたいな気分」

「うん」

「ありがとう」

「俺もありがとな」

「花村も?」

「うん。そもそもちーが変なゲーム始めなかったら、こんな今なかったし」

「変なゲーム……」

「変だろ。いやそれは置いといて、マジでさ。じゃなかったらちーのこと好きになってなかったのかもって思うと……不思議な感じする」

「……それって良かった?」

「はあ? 当たり前」


 何を憂いた顔をする必要があるだろう。男同士だとか、何か難しいことを考えているのだろうか。尊に満ちるのは幸福ばかりで、それを齎したのは他でもない千歳なのに。

 全く心配性な恋人だ。それすらも可愛いのだけれど。千歳の鼻をきゅっとつまむ。笑ってくれたことに一安心しながら、千歳の肩に顎を乗せる。


「なあちー。そんな顔するくらいなら、責任取って俺を大事にしろ」

「責任?」

「俺、恋愛とかどうでもいいと思ってたから。でもそうじゃなくなったのは誰のせいだ?」

「……オレ」

「そう。だから責任重大だな」

「はは、そっか。うん。大事にするよ、絶対」

「よし。まあ俺も負けないけどな」


 思えばあっという間に恋に落ちた。突然見舞われたようで、その実千歳にはずっと前から募った想いがあって。お互いに嫌われていると思いこんでいた期間さえ、この今に繋がるのなら悪くないとすら思える。


「そうだ、ちー」

「ん?」

「コッペに会いたい」

「はは、分かった。呼んでくるね」


 これからどんな日々が待っているのだろう。初めてだから見えなくて、だけどそれもまたいい。それでもひとつだけ分かっていることがある。


「コッペ~。久しぶりだな。ちー、コッペ抱っこして」

「え、オレが?」

「うん、ちーとコッペのツーショ欲しい」

「あ、オレも! 花村とコッペの欲しい!」


 落ちてしまったこの恋に、千歳に――きっとずっと夢中だ。

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