告白-2

 駆けるように階段を下り、昇降口へ到着する。一秒のロスも許せないと靴を床に放って、だがふと振り返る。もしかして、と浮かんだものはどうやら現実のようだった。


 踵を返し、ある場所へと一目散に向かう。予想通り、そこに千歳の姿はあった。C棟へと通じる渡り廊下の手前、階段の下。“chi.”が三上千歳だと気づくことになった、あの場所だ。


「ちー!」

「っ、花村!? ……え、なんで」

「ちーの家行こうと思ったら、お前の靴まだあったから」

「…………」

「お前ほんとここ好きな」

「え? なんでそれ……」

「なあ、ちょっと詰めて」

「……な、なに」

「いいから」


 千歳が酷く動揺しているのは見て取れるが、押し切って体を捻じこんだ。言いたいこと、言わなければならないことがたくさんある。だがそれを阻むかのように呼吸は乱れていて、膝の間に顔を埋める。


「ちー」

「ん?」

「ちー」

「……うん」

「手、繋いでいい?」

「っ、うん……すごく冷たいね。ごめんね」

「ふ、なんでだよ。それは俺の台詞。ちー、ごめん。朝は悪かった」

「……ううん。オレが悪い、オレが、本当に」

「ちー……」


 言いたいこと、言わなければならないことがたくさんあるのに。また瞳が潤んできた千歳に引きずられるように、尊の鼻もツンと痛み始める。千歳の肩に鼻先を埋めると、久しぶりの千歳の体温にもっと泣きたくなった。


「なんでこんなとこにいんの?」

「それは……花村が」

「俺が?」

「真野さんのとこに行くのかな、って。いつかこうなるのは分かってたけど……どうしても気になっちゃって」

「…………? てか、もしかして聞いてた?」

「……うん。ごめん」

「別にいいけど。いや待った、どこまで聞いてた?」

「……花村に、好きな人がいるってところ」


 千歳はそう言って、いよいよぐすんと鼻を啜った。どうやら千歳はこの期に及んで、その“花村の好きな人”が自分だとは考えもしないらしい。尊はつい出てしまいそうになったため息を飲みこんで、胸ポケットに指先をつっこむ。これが尊の好きになった男なのだ。特別なのだととことん感じてもらうしかない。


「ちー、口開けて」

「え? なん……」

「早く」

「っ、あ……んん。飴?」

「そ。やる。特別な」

「あ、ありがとう」

「特別。分かる?」

「うん。これ花村のお気に入りだもんね」

「……そう。ちーにしかあげたことない。本当に分かってるか?」

「う、うん……?」


 キャンディひとつで特別だと知らせるのはさすがに難しかったか。千歳の口の中からカラコロと飴玉の転がる音が聞こえる。膨らんだ頬を撫でると、千歳はまた泣き出しそうになった。まぶたの下に触れれば、尊の指にひと粒の涙が転がる。


「これはなんの涙?」

「……この飴、またここで食べてる涙」

「また?」

「入学式の時も、ここでもらったから」

「あー……あれもここなんだ」

「うん」


 風邪をひいた千歳を自宅まで送った時、その思い出を自分も覚えていたかったと悔いた。

 ――入学式の日、ゲームの分岐点。ふたりのきっかけがこの場にある。今日という日も、それに刻みたい。


「ちー、聞いて」

「…………? うん」

「ちーが真野のこと断れなかったのはさ、そりゃそうだよなって思った。だから本当に、朝はごめん。悪かった」

「ううん、オレが……」

「ちー、聞いてて」

「っ、うん……」


 千歳の口元に人差し指を当て、どうしても自分を悪者にしようとするのを遮る。頷いてくれたのを見届けて、尊は続ける。


「ちーがさ、自分の気持ちを言わないところ。見ててこっちが悔しい時もある。でも、それがちーなんだよな」

「…………」

「ちーがそうしたいんならいいと思う。でも苦しい時は、なるべく気づいてやりたいとも思ってる」

「花、村……」

「でもなちー、俺も一個、気づいてほしいもんがある」


 涙をいっぱいに携えたまま、千歳は首を傾げる。特別だってたくさん教えたい、これから先もたくさんあげたい。それでも尊には譲れないものがひとつある。どうしても千歳から言われたい。待つ間に焦がれに焦がれて、そんな風に愛されたくなってしまった。


「次はいつ告ってくれんの? 俺、もう待てねえわ」

「…………」


 好きだと今すぐに叫びたい。それ以上に、欲しいと千歳に言われたい。本音を言えない千歳にそんな己を飛び越えてでも、欲しがられたいのだ。

 困惑している千歳に構わず、ぐっと顔を近づける。


「っ、花村、近い……」

「ちー。俺のこと、今も好き?」

「っ、好き! 好きに決まってる」

「ん……絶対に俺と付き合いたいんだっけ?」

「っ、そうっ」

「じゃあそれ言って」

「……でも、だって、フラれたくねえもん! 仲良くなれて、そしたら嫌われるのが怖くなって! オレ、結局全然押せてないし、オレが、オレがもっと、好きになるばっかで……!」

「……でも頼む、ちー。俺、お前に言われてえの。ちーの気持ち、俺にちょうだい」

「っ、オレの、気持ち?」

「うん。他の奴には隠しててもいい、でも俺はお前の本当が欲しい」

「あ、花村……」


 繋いでいた手を一度解いて、指を絡める。顔をさらに近づけて、定まらなくなった視界はもうキスの距離だ。けれど尊は、触れるギリギリで動きを止める。

「っ! 花村っ!」

「どうすんのか、ちーが決めろ」


 すると千歳は、ぎゅっと眉間を寄せて瞳を強く光らせた。ああ、これだ。たまに見せてくれたこのまっすぐな千歳の想いを、もっとたくさん注がれたい。


「……っ、花村、好き、好きすぎてもうしんどい」

「……うん」

「オレのことも、好きになって欲しい」

「うん」

「っ、花村の彼氏になりたい、誰にもとられたくねえよお」

「うん。俺もちーが好き」


 このチャンスを逃すまいと、尊はすかさずそう言った。目をまん丸に見開いた千歳は、口をぱくぱくと瞬かせながらぺたんとその場に座りこむ。


「え……」

「どうした」

「待って」

「待たない。もう俺はちーのもんな」

「っ、うそだ」

「ふ、なんでだよ」

「いや、だって……」

「俺、分かりやすかったと思うんだけど。何とも想ってないヤツと指輪交換とかしないだろ」


 夢を見ているかのようなぼんやりとした瞳で、千歳は一心に尊を映す。濡れた頬は、先ほどより熱い。


「ほんとに? 花村が、オレのこと」

「うん、好き」

「っ、オレ、こんなんだよ」

「ちーが言う“こんな”が何か知らないけど。俺は皆を大事にしてて、だから自分の気持ちあんま言えなくて、でもたまに俺相手だと怒ったり泣いたり好きって言ったりしてくれるちーが好き」

「……ひえ、夢かも」

「ふは、だからなんでだよ」


 もう観念して、ちゃんと現実を受け止めろ。お前を好きな俺を受け入れろ。

 告白を引きずり出せたからには、尊は強気だ。もう好きだと言えるし、どんなに躊躇われてもこっちを向けと引っ掴む権利がある。恋をするとこんなに弱くなるのかと思うけれど、いくらでも強くなれる気もする。


「ちー」

「……はい」

「ふ、敬語ウケる。なあちー、ちーがキスしてよ」

「え……え!?」

「ちーにされたい、って、ずっと思ってた」

「――……っ」


 そんなこと出来ないと言いたげな顔は、だがすぐに真剣なものになった。千歳の手が頬へと伸びてきて、ぞくりと背が震える。早く、はやく。


 スローに近づく千歳の気配に呼吸が乱れ、眩みそうで目を瞑る。そして待ちに待ったくちびるは、頬へとやってきた。なんだよ頬かよ、と思うのに、体中の血液が歓喜に駆け巡る。自分から仕掛けてきたキスとは全然違う。うっかり泣きそうになって、千歳の制服の裾をぎゅっと握りこむ。それから震える指で、自分のくちびるをトントンと示す。


「ちー……こっちも」

「っ……」


 大胆なことをしているな、と俯瞰する自分が苦笑いしている。気恥ずかしさに目を逸らすと、千歳がごくりと喉を鳴らした。伝ってくるのは、隠しきれない男の欲だ。それが堪らなくて、再び目を閉じた時――賑やかな笑い声がどこからか届いて、ふたりで肩を跳ね上げた。


「学校なの一瞬忘れてた……」

「……俺も。なあ、ちー」

「ん?」

「……ちーの家、行っていい?」

「花村……」


 たくさん待った、たくさん我慢した。だからもうこれ以上、耐えられそうになかった。千歳の肩に額を擦りつけ乞う。すると千歳はすっくと立ちあがり、尊の手を取った。


「ちー?」

「行こう。オレんち」

「かっけーじゃん」


 歩き方を忘れたみたいに、一歩一歩がふわふわと浮つく。それでもどうにかふたりで昇降口を目指す。誰かに見られては、と思うのに、繋いだ手はなかなか離せなかった。

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