告白-1

 久しぶりに行われた席替えで、尊は再び窓側のいちばん後ろの席となった。ケンスケとナベには羨ましがられた。強運だなと確かに思う。位置よりも、ひとつ前の席に千歳がやってきたからだ。


 だが、ミルクティー色の後頭部を眺めるばかりで、視線が交わることはほとんどない。球技大会の帰りに別れた後から、まともな会話は出来なくなっている。


 話しかけても当たり障りのない返事で顔を逸らされ、取り付く島もない状態だ。優しくて繊細な千歳のことだ、あの日の尊の感情を感じ取ったのだろう。苛立ったのは確かだが、こんなことになるとは思っていなかった。


 十一月も下旬となればさすがに寒くて、昼休みも教室で過ごすようになった。ケンスケとナベがこちらの席にやって来るから、四人で固まるのは相変わらず。加えて、千歳がいるからと真野たちも近くに寄って来て今や大所帯だ。ケンスケとナベには何があったんだとさすがに心配されているが、賑やかな声たちに尊と千歳の気まずい空気は上手く紛れている。


「尊~、廊下がうるさい」

「俺に言うな」

「だって全部尊目当てじゃん」

「知らねえよ」


 尊を取り巻く環境の変化は、千歳との関係だけではない。球技大会以降、女子たちがあからさまに好意の目を向けてくるようになった。

 クラスメイトと協力し、バスケットボールで二年C組を学年優勝に導いた。千歳との連係プレーでシンメだ何だと騒がれ、点数が入れば仲間とハイタッチ――それらの影響で、以前のような近寄りがたい印象が薄まってきたらしい、とはナベ談だ。

 それを聞いた時は、馬鹿だろとつい吐き捨てた。自分の何を知っているんだか。それよりも、千歳がいっそうモテ始めていることこそが面白くなかった。告白されたら一体どうやって断っているのだろう、その度に心を痛めているのだろうか。千歳が好きなのは俺だぞとじりじり胸が焼けるが、未だ友達関係のままなのだから、手を出すなと言う権利は持っていない。


「ねえねえ、花村くんのおかずっていつも三上が持ってきてるの?」

「……あ? うん」

「私も作ってこよっかなあ」

「いや要らねえ」


 千歳の“押し”はこんな状況でも続いていて、尊の昼食は今も菓子パンふたつに炭酸水、水色のキャンディと、小ぶりのコンテナに入った千歳お手製のおかずだ。今日はアスパラのベーコン巻きとプチトマトがふたつ。今やこれだけが自分たちを繋いでいて、じっくり味わいたいのに真野が鬱陶しい。だが千歳の友人を邪険には出来ない。適当に相槌を打ち、ごちそうさまと手を合わせる。


「ちー、ありがとう。今日も美味かった」

「……ん、よかった」


 笑顔に滲む寂しそうな色が痛々しい。どうにかしてあげたくてもそれは自分のせいだし、かと言ってずっと友達のままでいいともやはり思えない。謝ることはないつもりだ、謝ってもらうことだってない。じゃあどうしたら千歳が笑ってくれるのか。ずっと分からないままだ。



 千歳とギクシャクしたまま、十二月を迎えた。冷たい風に身を縮めて、白い息にうんざりしながら登校した朝のことだ。


「花村、ちょっといい?」

「……おう」


 おはよう、以外の言葉を朝から交わすのはいつぶりだろう。瞬時に高揚する自分に、尊は内心苦笑する。本当に好きだな。そう噛みしめたのに。千歳が声を掛けてきた理由は、何とも残酷なものだった。


「これ、花村に預かってる」

「なに?」

「真野さんから」

「…………」


 自分の席に腰を下ろしている千歳が、こちらを振り返って尊の机に何かを置いた。ゆっくりと離れていった手の下には、折りたたまれたメモが一枚。開いたそこに書いてあった内容に、尊は絶句する。


“花村くんへ

今日の放課後、教室で待っていてください。真野”


 十中八九、告白をされるのだろう。言葉を失って数秒後、今度は乾いた笑いが腹の底から湧いてきた。千歳が、自分を好きだと言う男がこれを渡してくるのか。虚しさは簡単に怒りへと変貌し、体が熱くなる。


「……マジかよ。はっ、ちーにこんなもん渡されるとか」

「…………」

「行ってもいいんだ?」

「……いやだよ」

「でも言えねえもんな」

「っ、それは……」


 酷いことを言っている自覚があるのに、止められなかった。だが体の内側では怒りが暴れ狂っている。それをどうにか抑えているのだから、褒められてもいいくらいだ。でもそんなことが千歳に分かるはずもない。自分にだって、千歳がどういうつもりでこんなものを渡してくるのか分からないように。

 涙をいっぱいに溜めて、切れてしまいそうなほどにくちびるを噛みしめて。苦しそうにする千歳の姿が腹立たしい。耐え難いのは尊だってそうなのに。好きな相手に、他の者との恋路を応援するようなことをされて。そのくせに嫌だと言って。俺をどうしたいのだ、と叫びたい。


 怒りに任せ立ち上がると、激しい音を立てて椅子が倒れた。千歳の肩がびくりと震えるのが見えて、もっと腹が立つ。机の上に広げられたままのメモをぐしゃりと握りこむ。


「くそっ!」


 このままここにいては、千歳を傷つけるばかりだ。静まり返った教室の重苦しい空気にも嫌気がさし、尊は足早に外へ出る。


「おい尊! どうしたんだよ!」

「……もう無理だわ」


 ナベが尊の腕を掴んで引き止めようとしたが、かろうじて一言だけ返して振りほどいた。

 尊はこの日、一度も授業に出ることはなかった。それはもういつぶりかも分からないくらい、久しぶりのことだった。

 


「急に呼び出してごめんね」

「あー、うん」

「今日ずっといなかったし、来てくれないかと思った」

「…………」


 放課後、メモに書かれていた通りに誰もいない教室で真野を待った。


 今日は一日のほとんどを屋上前の踊り場で過ごした。ケンスケとナベから何度もメッセージが送られてきたが、全て無視するかたちになってしまった。頭の中は、千歳のことばかりだった。


 ノーと言うのが苦手な千歳は、真野の頼みを断れなかったのだろう。仲介を乞われ笑顔を見せただろうか。上手くいくといいね、と応援したのだろうか。そう想像すると怒りは頂点に達して、近くの壁を殴りつけた。


 だが、体が冷えるのと共に少しずつ冷静になった。真野と話した時、千歳の笑顔にはどんな痛みが伴っただろう。自分への恋心を蔑ろにしたわけでは、絶対にないはずだ。苛立ちをぶつけてしまったことに後悔が募った。


「えっと、私、花村くんのこと好きになっちゃって」


 華のある声が尊に好きだと言う。以前の自分なら、あんなメモを貰ったところで確実にすっぽかしていた。でもこうやって出向いたのは、千歳と出逢い自分も恋を知ったからだ。好意の目たちが鬱陶しくても、その想いに応えられなくても。真摯に伝えられるのなら、きちんと向き合うべきだと考えるようになった。千歳が苦しんでそれでも渡してきたものなら、尚更。


「よかったら私と……付き合ってくれませんか」

「ありがとな。でもごめん、付き合えない」

「……もしかして、好きな人いたりする?」

「うん」

「……そっか! いいなあその子。幸せ者だね」

「どうだか。泣かしてばっかな気がする」


 それじゃあ、と切り上げ、教室を飛び出る。


 屋上前の踊り場でひとり向き合ったのは、後悔だけではなかった。もう限界だと思った。このままただ、千歳から踏み出してくれるのを待つだけではいられない。そんなことはもう無理なのだ。

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