何者でも何色でも

井上うずら

第1話

私の母はかつて漫画家だった。


──などということはなく漫画だったかもしれないが、その道を諦めた多くの人の一人だった。つまり何者でもないごく普通の人である。

若い頃の母は勤め人をしながら漫画を描いていたらしい。投稿や編集部への持ち込みをしていたと聞いたが、具体的なことは何も知らない、どの出版社のどの雑誌であったのか、青年誌か少女向け雑誌なのか──何作ほど持ち込んだのか、どのくらいのスパンで描いていたのかなど。

 当時の私は確か中学に上がったばかりで、母の過去の話を聞いてもそれを掘り下げようとは考えもしなかった。母は母という生き物だったので、母の昔の話を耳にしてもそれはとても曖昧でぼんやりとしていた。今になって母にその具体的な細部を尋ねたくはあるが、残念ながら私の母はコロナ禍以前の2017年の早春に、癌でこの世を旅立ってしまった。享年59歳の若さだった。

 湿っぽい幕開けだが、さて黒歴史である。

 母が当時描いていたという漫画原稿を私は一作だけ持っている。遺品となってしまった母の私物を母の再婚相手と整理している際に、中学生以来に私は母の原稿と再会することとなった。原稿を目にした母の夫は「ああ、描いてたって聞いたなぁ」と、やや呆れるように笑っていたので、彼にとってこれは愛すべき伴侶の黒歴史という認識なのだなと感じたものだ。

 母の漫画の作風は今の感覚で見ると当然のこと相当に野暮ったい──母世代の描き手が大きく影響を受けただろう竹宮恵子氏と萩尾望都氏を模した絵柄に、山岸涼子氏を思わせる淡々と、そして時折ヒヤッとする心理描写が刻まれた作品だ。もちろん出来としては前述の三人には程遠いもので、上手い方の素人なのかもしれないけれど、それ以上に感じ入るものは身内の贔屓目を持ってみても浮かばない。母に限ったことではなく、故人にまつわる大抵のものが大方そうなのだろう。

 母の遺品となってしまったその漫画原稿は、昨年処分した九州の実家から、今は私の部屋のクローゼットへと居所を変えた。日焼けした畳の部屋の押し入れから、真新しいままの、ほとんど開きもしない私の結婚式のアルバム脇へと。かろうじていくらか元気だった頃の母の姿も、まだそこには写っている。

「お母さん元気そうだな」と少し呟いてみたりする。

 さて専用のファイルケースにケースに一枚一枚収められている母の漫画原稿は、一枚がA3くらいの大きさだろうか。年数を経て黄ばんではいるものの、大切に保管されていたことがうかがえる。母が何かしらこの作品に特別なものを見出していたことを、据えた臭いのするページを捲りながら私は感じ取る。

 原稿が納められたファイルケースに原稿未満の用紙や、ネームが挟まっているのを見ると、母は他にも作品を描いていたらしい。けれど他の原稿はストーリーが追えるほどの内容は残っていなかった。

 ファイルを開くと私は私が知らない時代の、おそらく今の私よりもうんと若い頃の母の気配に触れられる。私の母になる前の母がこの原稿には詰まっている、それは母だけの特別な時間だったろう。


 母の作品はタイトルは「依子の夏」とつけられていた。主人公である依子(よりこ)は裕福な家庭の主婦だ、生活は満ち足りているはずなのに、高度経済成長期下で働く夫との心理的な差を埋められずにいる。

 そんな折、絵画教室で出会った年下の女性と依子は親しくなっていく。妹のような素朴で可憐な彼女と段々と親密になる中で、その女性がとある男性と道ならぬ恋をしているのだと、そんな告白を耳にする。オチとしてはその不倫相手の男が依子の夫だったというもので、まあなんと狭い世界の話だなあとは思うも、母が描きあげたこの作品を私もどこか愛着を持って見てしまう。

 創作物とは不思議なもので、どんなに隠していたとしても必ず誰かの目に触れてしまう。日記も手紙も幼い頃の文集も、小っ恥ずかしいハンドルネームのブログも。それらに実態があってもなくてもきっと、母の漫画と同じに開くときっとカビ臭く、押し入れに仕舞い込まれていたような気配があるだろう。それらは固定されている時間なのだから。

 振り返って見る過去はいつだって黒い、この文章だって数年経てば恥ずかしい過去に変換されていくだろう、立派に私の真っ黒な過去の一部になっていくだろう。

 黒歴史、過去を昔のやらかしを恥ずべき行いを人はそう呼ぶ。私も恥ずかしさと今の自分への保身から、過去の行いを「黒歴史」と呼んでしまう。その渦中にあった時々には真剣だったはずだったのに、笑い飛ばしてしまった方がきっと楽だからだ。馬鹿だったなあ、若かったなあ、青かったなぁ──そうやって集まった黒歴史のかけらはいつか磨き上げた玉石のように不思議な光を放つのかもしれない、だってその人が生きた証なのだから。

 漫画家になりたかっただろう母は、漫画家にはなれなかった。私を生み母にはなったけれど、離婚を経験した、つまり私の父とも別れた。やがて再婚したけれど、癌に罹患し六十を前にこの世を去ってしまった。まだまだやりたいことも、見たいものもあったろうに。母は骨となり粉骨されて淡いクリーム色の粉となり、やがては海に撒かれた、海洋散骨だった。

 文字面だけでなぞると、母は不幸とされる側の人生だったのかもしれない。苦労ばかりの毎日だったのかもしれない。私の中には母に対するが後悔が堆積しているが、それを解消する術はどこにもない。

 母は何を成したのだろう、夢中で描いていたはずの漫画は何もならずに私のクローゼットで静かに眠っている。大切に育てたはずの娘もまた、特に何者でもない人生を凡庸に歩んでいる。

 ただ何者かにはなれそうにはないけれど、それなりに毎日を楽しく歩んでいる、愛しい猫と好きなラジオ番組と共に、おかげさまで。

 

母の漫画を、母自身は黒歴史と呼ぶだろうか。

「いやあ、恥ずかしいね。酷いの描いてたね私」と。

そんなふうに笑うだろうか?答えは永遠に返ってこないけれど、それもどうでもいい。だって黒歴史だとしても、そうでなくとも私には大切な母の一部なのだから。

今、一つ目標がある、母のこの漫画を本にしてみようと思う、いわゆる同人誌の形態に。母の漫画と、そして母の記した漫画の続きを綴った私の小説を添えて。母子で共作したアンソロジーとそんなコンセプトで。母から継いだバトンで黒歴史を更新していきたいと思う、母の時間は止まってしまったけれど私の時間はまだ続いているのだから。そんな風に私は私の歴史を更新していきたいと思う、黒でも白でもどちらでなくとも、どちらであっても。

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