第6話・スノボしてみる。(前編)

『えっ、クコは行かないの?』


 その驚きと悲しみに満ちた杏の声が聞こえた瞬間、年末年始の予定はガラリと変貌した。


『一緒に……行けると思ってた……』

『…………い……行く。行くよ、私も』

『本当? 嬉しい。とっても楽しみ。ありがとう、クコ』


 私の返答を聞くや否やパッと花開くように明るいトーンに変わった杏は、早口で何故か感謝を告げる。


 12月30日から1月1日にかけて、桐谷家と神傍家の合同スキー旅行が計画されているのは知っていた。


 現実のイベントよりもゲーム内のイベントに人生の重きを置いている私はパスする気満々だったけれど……杏を元気づけるという使命を(勝手に)背負っているのに、むざむざ彼女が落ち込むような真似をするわけにはいかない。


『う、うん。私も……楽しみ』


 嘘ではない。

 杏と一緒に旅行して年越しなんて楽しいに決まってる。

 でも……でもね……もうちょっと運動音痴の人に配慮した旅行でも良かったんじゃないかな!?


×


「クコ、着いたよ」

「ふぇ……? うわっすご!!」


 隣に座っていた杏に軽く肩を叩かれて重たい瞼を持ち上げると、窓の外では大粒の雪が降りしきり、辺り一面が深く深く白に塗りつぶされていた。


 スマホをつけてみると現在時刻、朝5時前。

 杏のご両親はお仕事が忙しくて結局来られず、運転席の父、助手席の母、そして後部座席の私達というフォーメーションのまま、約6時間をかけて長野県の豪雪地帯に到着したらしい。


「ねぇ見て、すっごい氷柱つらら!」

「そうだね。クコ、危ないから近づいちゃダメだよ」


 車から降りてすぐ積雪の中にブーツがずっぽりと埋まってしまったり、地元では見たことが無いほど発達した鋭利な氷塊を発見したりで、眠かったテンションはいつの間にか爆上がり。

 自然と繋がれていた杏の手を引っ張りながら、あちらこちらを見て回った。


「あっ! 美味しそうなの売ってる!」

「食べる?」

「食べる食べる!」


 スキー場の受付開始は6時からだそうで、広めの待合室には大荷物の人々がひしめき合っている。

 唯一開いている売店では様々なホットスナックが売っており、お父さんとお母さんはからあげを買うと半分ずつ食べ、私と杏もあんまんをはんぶんこにして頬張った。


×


「え、杏、スノボにするの?」

「うん」


 スキー場の受付が終わり、ウェアやボードを借りにプレハブ小屋へ行くと、杏は一枚の大きな板を相棒に決めた。


「そっちの方が得意とか?」

「ううん。どっちもやったことはないけれど……スキーはボード2枚、ストック2本が必要だから。ボードなら1枚だけで済むし簡単かなって」

「なるほど! じゃあ私もスノボにしよ!」

「「いや……」」


 杏に続いて私もスノボを借りることにすると、両親は苦悶の表情で何かを言いかけて……やめた。

 きっと難易度の面で心配をしてくれたんだろうけれど、どっちみち私は運動音痴。多少の差は関係なく苦戦するだろう。

 まっなんとかなるよね! スタートラインは杏も同じだし!


×


「……………………………………つ、つまんない……………………!!!!!!」


 スキー・スノボを楽しむための道具を一式レンタルし、ホテルへ向かってチェックインすると同時に荷物をフロントに預ける。

 すると受付のスタッフに『もし良かったら、今から滑ってきても平気ですよ』と言われ、私と杏はゲレンデへと繰り出した。(両親はしばらく仮眠するらしい。お疲れさまです。)


 曇っているのか、それとも無数の降雪で陽の光が妨げられているだけなのかわからないけれど、視界は白みがかった灰色に染まっていて、道中にある裸樹は氷雪に覆われて身動き一つ取れずにいる。


 辺りに人影一つもない寂寞を歩いていても、隣に杏がいてくれるだけで怖いものは何もない。


 やがて真っ白で巨大な坂の中腹に出たので、私達はさっそくボードに両足をめ込んだ。


「……」

「よい、しょ、と」

「…………」

「なるほど、こんな感じ」

「………………」

「クコ、大丈夫?」

「………………大丈夫じゃ……ない……!!」


 なにこれ…………そもそも立てないんですけど!?!?!??

 両足が一枚の板に固定されてるから支えがなくてバランス取りづらいし、坂の途中にいるからその場でジッとしているのも難しいし!!


 何度挑戦しても膝から転んでうつ伏せに、お尻から転んで仰向けになるばかり。

 そうして私がスノボに対して最初に抱いた感想はこれだった。


「つまんないぃぃ……!」


 だけど、それ以上に。


「悔しいぃいい…………!!!」


 だって……もう杏がコツ掴んでるんだもん……!!

 さっきから少し滑っては、ボードを足から外して歩いて私の元まで戻ってきて様子を見て、また滑っていって……と杏は繰り返している。

 つまりは私待ちの状態だ。


 さっさとスイスイ下まで滑ってリフトに乗って更に高い場所からスノボを楽しみたいであろう杏を……私が待たせている……!


「……杏、」


 ひっくり返ったまま鉛色の空を睨みつけていた私の視界に、杏の心配そうな表情が入り込んだ。


「なに?」

「先、滑ってて」

「っ。でも……」

「お願い」


 私と違って杏はこのスノボというイベントを楽しみにしていて、楽しめるだけの技量を持っている。

 現在進行系でスノボが足枷となり動けない私だけど、彼女の足枷にはなりたくない。


「杏が近くにいると私……安心しちゃうから。もっと焦りたいの。早く滑れるようになって、杏と一緒に楽しみたい。だから……お願い」

「…………わかった。何かあったらすぐ連絡して」

「ありがとう」


 杏は二度三度、口だけを動かして、何かを言おうとして、それらをすべて飲みこんで、私には肯定だけを返してくれた。


「焦らないでいいよ。ずっと待ってるから」


 私の手を強く握ってから、それだけ言って離し、杏は颯爽とゲレンデを滑り降りていった。


「さて」


 大きく、ゆっくりと深呼吸。

 大丈夫、この感覚は知っている。

 格ゲーではコンボを習得するため、トレーニングモードでひたすら同じ動作を繰り返した。

 FPSではエイム力やキャラ操作を高めるため、射撃場で地味な立ち回りをコツコツと積み重ねた。


 ゲーマーの意地にかけて諦めない……!


「待っててね、杏」


 まずは立ち上がる。それから、転ばずに滑れるようになる。それだけでいい。速度も美しさも度外視でいい。

 そこまで追いつければ、それでいい。

 学校では遠く離れた存在かもしれないけれど……このゲレンデでくらい、近くにいたい。背中だけでもいいから、姿を捉えていたい。白銀の世界を悠々と飼い慣らす杏の姿を、ずっと、見つめていたい。

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