第3話・散歩してみる。
夜、八時を過ぎて、三十分と少し。
私と
暗闇にもったりと包み込まれている巨大な県立公園は森閑としていて、記憶にあった昼時とはまるで別世界みたい。
「杏、寒くない?」
「大丈夫。……むしろ少し暑い、かも」
部活終わりの杏は健康的に
「そろそろだね」
「うん。もうちょっと」
一応の目的地である展望台までは、あと三分も歩けば到着するはず。
正直、ところどころ気が気じゃなかったこれまでの道のり。ちょっとでも杏が癒やされていることを願う。
×
『明日、部活終わったあと時間ある?』
それはお風呂で体を洗っているときだった。雷に打たれたような衝撃と同時に脳裏に浮かんだのは。【マイナスイオン】という言葉。
旅行好きな両親は
それなに? と訝しげに問う私に対して、二人はやはり口を揃えて『なんか最高のやつ』との回答をくれたことを覚えている。(適当にも程がある。)
気になって調べてみたら、(科学的根拠があるか否かの論争はあるけど)人体やメンタルに対して良い感じの効果があるらしい。
そんなワードがポンと、どこからともなく顔を覗かせて、それからすぐに、今の杏にぴったりかもと繋がって、近場でマイナスイオンを感じられそうな場所もすぐに思い浮かんで。
お風呂から出て間もなく、杏へとラインを送っていた。
『あるよ』
そして更に次の瞬間、既読が付くと共に返ってきたメッセージ。
『それじゃあ図書室で待ってるから 部活終わったらラインちょうだい』
『了解』
素早い返信にしては淡白な文面に昔はそわそわしていたけれど、流石に慣れた。これが杏のデフォルト。怒っているわけでも面倒くさがっているわけでもない。
「っ」
にっこりと。微笑む可愛らしいネコのイラストの頭上に『たのしみっ』と添えられたスタンプが送られてきて……そのギャップにニヤけ笑いが抑えられなかった。
×
さまざまな運動部から"仮想敵"として重宝されている杏は、平日も休日も実にさまざまなスポーツに打ち込んでいる。
なにか一つに特化して集中すればとんでもない成果を挙げられそうな気もするけれど、杏がこういう楽しみ方をしたいと決めたのだから、誰が口を出すことでもない。
ただ、私が心配なのは、彼女の役割が『常に誰かと戦い続けなければならない』立場にあることだ。
フィジカルはもちろんのこと、メンタルへの負荷が凄そう……。
オンラインゲームの対戦ですら私は結構心がすり減るタイプだから、面と向かって誰かと勝負するなんてプレッシャー……想像もできない……リフレッシュさせてあげたい……!
とはいえ毎日が忙しい杏をわざわざ休みの日に引っ張り出すのも気が引けるというか元も子もないので……部活終わりに誘ってみた。
『終わった』
『はいよー!』
誰にも見られないように細心の注意を払いつつ杏と合流し、学校から歩いて十五程の場所にある県立公園へ訪れた。
広大な敷地面積を有しているにもかかわらず年中無休で24時間営業。今日はここでお散歩して、存分に癒やされてもらおう。
「……なんか……結構雰囲気あるね……」
景観保護のためなのか、照明がほとんどなくて……だいぶ暗い。
北風でうねる木々が不気味な音も奏でており、心拍数がいやに上昇していく。
「大丈夫。私がいるから」
「た、頼もしい〜!」
「っ」
お言葉に甘えて杏の左腕に両腕でしがみつき、一歩、マイナスイオンを求めて踏み出した。
×
「ひゃう!」
「……」
軽く、風が吹いただけ。わかってる。けれど蠢く草むらに獣の影を想起してしまうのをやめろというのも無理な話だ。
つまりは……下手なお化け屋敷より怖いんだけど!?
「ごめんね杏……私が誘っといてこんな……歩きづらいよね? どうかな? マイナスイオン感じる?」
歩き進めるにつれ、私が杏に抱きつく力は増すばかり。部活終わりで疲れてるだろうに全身全霊で密着されて……本当に申し訳ない……!
「マイナスイオンかはわからないけれど……」
恐怖と申し訳無さに見合った成果が欲しい! そう願う私に向かって、杏はなぜか瞳を閉じてから深呼吸をし、口角を緩ませて言った。
「今すごく、ものすごく……幸せ……!」
そうなんだ……! マイナスイオンってそんなにすごいんだ……!!
×
そんなこんなでようやく暗闇を抜け、開けた満天の星空の下にそびえる展望台へと到着。
木製のベンチに腰を落ち着け、白く溶ける吐息越しに煌めく夜空を眺めた。
「クコ、」
「なぁに?」
しばらくぼぅっとしていると声を掛けられ、視線を杏へと向ける。
「月が、綺麗だね」
じっと。私の瞳を覗き込むように見つめながら、杏は小さく小さくそう零した。
「うんっ。でも杏の方がずっとずっと綺麗だよ」
「っ! そ、そんなこと言ったらクコの方が……」
「それはない」
「あ、あるもん」
「ありません~」
「絶対あるから」
「絶対ないし」
「ある!」
「ない!」
「むぅ……!」
「ぐぬぬ……!」
「…………ふふ」「あははっ」
稚拙な
それからは理由もなく楽しい気持ちがずっと続いて。
組んだ腕を
頭上の荘厳な景色も忘れて。
ただ、杏の存在だけを感じていた。
×
「ほんっと、今思うと恥ずかしいよ」
楽しさはそのままバフとなり、帰り道は杏にべったりすることもなく歩くことができた。
公園を出て私達の家があるマンションへ向かいながら、杏に頭を下げる。
「あんなにビビっちゃってごめんね。杏もいてくれたし、他に誰もいなかったし、完全に安心安全だったのにね!」
不審者や怪しい人影があったわけでもないのに、オドオドし過ぎた自分に反省していると――
「……本当に」
――杏は足を止めて、真剣な表情で言った。
「本当に、そう思う?」
「どういう……意味?」
「……私と二人きりだったのに……クコが安心安全だったって……本当に思う?」
えっなんか怖いこと言ってる? もしかして他に誰かいた……?? お化け……とか……???
「なんてね」
逡巡する私の思考を断ち切るように、杏は微笑を浮かべて再び歩き出した。
「なに、なに今の!? 冗談!? 変な冗談やめてよ~」
「ごめん。クコは危機感が足りてないみたいだから。……ちょっと、意地悪した」
「も~!」
杏が冗談を言うなんて珍しいし、言葉に反して声音は少し明るめだ。……癒せたってことで良いのかな? そうだとしたら……マイナスイオン、恐るべし……!
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